初めてのでーと 第三話

「…………」
 そんなラブラブ状態な彼らを、少し遠くのビルの陰でジッと伺っている影が一人。
「先輩たち……」
 そう、それは彗相手に燃えるような恋を抱いている、後輩の井上秋乃であった。とは言っても、元々最初から張り込みを行っていたわけではなく、はたまた家に盗聴器具を仕掛けていたわけでもない。
 ただ単に、買い物の帰り道に手を繋ぐ彼らの姿を目の当たりにしたためだ。
 幸いなことに、彼らはこちらの気配に気付いていない。これをチャンスに、より彼らに近づこうと……
「何やってるの? 井上秋乃さん」
「きゃぁぁぁぁぁ!?」
 後ろからの声に、思わず叫び声のような大声を上げてしまう井上。
 それによって、彗と円花も、一斉にそちらへと振り返る。
「な、何だ!?」
「今、誰かの叫び声がしましたね」
「そんなことは分かってるよ! っていうか、どっかで聞き覚えのある声だったような……」
「そうなんですか?」
「いや、確信は持てないんだが……。まさか、こんな街中で、普通は叫ぶわけないからな」
 とりあえず、何かがあったのだろうという結論を導き出して、彼らはまるで気にしなかったように、再び歩き出した。

「はっ、はっ、はっ……」
 危なかった、今はかなり危なかった。
 一瞬で、彼らの視界に入らない物陰に移れたのは、いつも鍛えている己が肉体のおかげだった。
 だが、その緊張感のせいで、やけに呼吸が乱れてしまっている。
 そして、それもこれも……
「大変そうだね。井上秋乃さん」
 目の前で、無表情で自分の姿を見ている襟木真のせいであった。
「襟木君のせいでしょ!」
 思わず怒鳴る。さすがにあの場で彗にバレてしまうのは、彗の中の自分に対する評価ゲージを思いっきり下げてしまうことに繋がりかねなかったからだ。
「何してたの? ストーカー?」
「違うわよ……。単なる様子を伺ってただけ」
 人、それをストーカーというのだが……彼女の中では、どうやら大問題のようなので真は何も言わないことにする。
「ふーん……。でも、二人とも、行ったみたいだけど」
「……って、え?」
 気付けば、彼らの姿はどこにもない。
 どうやら、人ごみの中にすっかり紛れ込んでしまったらしい。
 あぁぁぁぁぁぁ……、と、自分の失態に井上は頭を押さえる。
「……終わった。終わったわ……」
 ガックリと項垂れ、彼女のそのショックぶりが身体でも分かる。
 そんな彼女に、真は言った。
「探すの、手伝う」
「え? どうして、いきなり?」
 その理由が分からず、井上は彼にそう尋ねた。
 無表情のままに、真は言った。
「面白そうだから」
「は、はぁ……。なるほど」
 以前も聞いたことがあるが、どうやら彼の行動源は『興味』によって成り立っているらしい。
 まぁ、手伝っていただけるということなので、どうせなら手伝ってもらうことに、井上は決めた。

「……何だったんだろうな。さっきのは」
「さぁ……」
 彗は首を傾げる。どうにも、先ほどのことが気になって仕方ない。
「いや、本当にどっかで聞いたことがある叫び声だったんだよ」
「そうですか?」
「あぁ、って、お前、考えるつもりないだろ!?」
「いえ、そんなことはないですよ」
 まぁ、元々深く考えることはないので、円花がどう悩んでいようと勝手なのだが。
 はぁ……と、彗は小さくため息をつく。
「……。まぁ、それよりも……ここだな」
「あ、もう着いたんですか?」
 そう言って、目の前の巨大な建物に円花は目を移す。その目は、興味津々といったところだろう。
「あぁ。ここが映画館だ」
 へぇ……と、感心するように円花は呟いて、一言
「楽しみですね。映画とポップコーン」
 そう、言った。
「そうだな。映画と……何だって?」
「彗さん、聞こえなかったんですか。ポップコーンですよ」
 円花の目がキラキラと輝いていた。物凄く嫌な予感が、彼の背筋を襲う。
「……お前、まさか、映画館に来たかった理由って、それか!?」
「はい。映画も楽しみですけど、ポップコーンってどういう味なのか楽しみです」
「待て待て待て待て待て! ポップコーンは100円ショップで買えるから、今度買ってきてやる。だから、今日は……頼むなとは言わないが、あまり頼まないでくれ」
「どうして、ですか?」
 ウルウルと目を潤ませて、悲しそうな表情をしているが、彗はその程度では動揺しない。
「お前が食べたら、映画を見るよりも、絶対に金がかかる!」
「そんなもんなんですか?」
「そんなもんだ。だから、あんまり食べるなよ?」
「はぁ……。彗さんがそういうなら……。分かりました」
 少し納得のいかないような表情を浮かべながらも、円花は彗の後に続く。
 映画館の入り口付近に、未だ井上たちの姿はなかった。


続く