いつもと変わらない朝。
「おはよう」
「おはようございます」
いつもと変わらない挨拶。
何一つ変わらない、つまらないように見えるこんな生活が愛おしくてたまらない。
「今日の朝食は何ですか?」
円花の毎日の楽しみはこの瞬間だった。
朝食といえども、彗の持っているバリエーションは豊かだ。
そのためか、まったく料理に飽きが来ない。
「ご飯と味噌汁とししゃもと卵焼きだ」
そう言って、自慢げに話す彗。
一人暮らしの長い(大きなお世話だ)彗にとって、料理というものは少しは自慢できる自分の特技の一つになっていた。
「朝から本格的ですね。彗さん」
彗の作る料理は全て美味しい。
それが分かっているからこそ、円花は嬉しそうに笑って目の前の料理を眺める。
「あぁ。栄養っていうのは、一番朝に取らないといけないからな。昔の日本人は、今とは逆で、朝に一番食べて、夜はほとんど食べなかったって、知ってるか?」
「ふふ…。彗さん、それは、確か先週も言ってましたよ?」
そういって、円花は笑う。
そうだったっけ? と首を傾げながら、彗は自分の記憶を甦らせる。
「…まぁ、そんなことよりも、ご飯が温かいうちに食べるか」
「そうですね。それじゃあ…」
「「いただきます」」
胸の前で手を合わせて、目の前の料理に手を付け始める。
味に…文句はない。どれも美味しかった。
「彗さんは専業主夫に向いてると思いますよ」
食べ物をきちんと飲み込んでから、円花は笑って言った。
「…遠慮しとく。っていうか、男がなってどうするんだよ!?」
「彗さん、世の中には意外と専業主夫っていう人も結構いるんですよ」
知らないんですか? と言わんばかりに、円花はクスリと小さく笑って彗に言った。
「…少なくとも俺はそれには興味ない」
簡単に答えて、箸をししゃもへと伸ばす。
「絶対彗さんには向いてると思うんですけどね…」
残念です…と小さくため息をつく円花。
「いや、それを褒められても嬉しくないし!」
彗は自分の性格も災いしてか、それについては突っ込まないと済まない。
「じゃあ、彗さんは、奥さんに料理をまかせっきりにするってことですか?」
円花の質問に、彗は口を濁す。
「いや…そういうわけでもないんだが。つまり、ほどよく料理が出来てくれればいいんだよ。一緒に手伝って料理が出来れば、それで満足だし」
その言葉は、特定の誰かに向けられているわけでもない。
それは、ただの彗の夢。
家庭の事情から、家族の温かさがあまり分からなかった彼にとっての、ささやかな夢。
「ふーん、そうなんですか」
でも、円花にとってその答えは満足ではない。
”奥さん” その言葉に、ちょっとした意味や期待を望んでみても、鈍感かつ誰にでも優しい彗はまったく気付いてくれない。
「あぁ。…って、なんだ。その少しショックを受けたような目は」
そういうと、プイッと円花は彗から視線を逸らした。
やっぱり、彗は何も分かってはいない。
「彗さんが、鈍感だからです」
「は?」
円花の言葉に、彗は唖然とする。
鈍感? …一体どこが。
「何でだよ!?」
円花に尋ねるが、円花は簡単に答えた。
「分からないなら、それでいいです!」
怒気を含めた口調。
彗にとっては、訳がわからない
何故、彼女は怒っている? 自分は何一つ間違った一言を言ったつもりはないのに。
まったく原因は頭の中に思い浮かんでこない。
「俺、何か悪いことを言ったか?」
円花は首を横に振る。
「いえ、私がちょっと期待していただけです」
期待? …一体何を…
「ひょっとして、奥さんがどうとかの話か?」
「……」
円花は少しの間、黙ってしまう。
どうやら、原因はこれらしい。
しかし、原因が分かったところで、全てが分かるわけではない。
「でも、俺、何か悪いこと言ったか?」
だから、さっきから言っていないと言っている。
ただ、自分が期待していただけ。ただ、それだけだった。
「彗さんは、優しいから、しょうがないですよね…」
彗にとっては訳が分からない。
「確かに料理が出来ればいいって言ったけど、現実にはそれを望んでるわけじゃなくて、あくまでもそれは理想であって…」
「…じゃあ、本当は何が望みなんですか」
初めて円花が喰らいついてくる。
彗は言った。
「一番好きな奴と、一緒に毎日を過ごせるだけで…本当は十分それで幸せなんだよ」
それがどういう意味を含めているかは円花には分からない。
だけど、だけど…もし、それが自分に向けられているものとしたら?
そう考えると、自然と頬が赤くなった。
プイッと再び、彗から円花は視線をそらす。
「あれ? どうして、目を逸らすんだ?」
「こ、これは…彗さんの攻撃が不意打ちだからです!!」
「は?」
そういうと、やっぱり彼のことが好きだと思う。
何げなく当たり前のことを言って、時々かっこよくて頼りがいのある彗。
鈍感…それゆえに、予想が出来ない愛情表現。
それらの全部をあわせて…好き。
秋乃というライバルはいるけど、絶対に取られたくない。
それが円花にとって、彗という存在はもはや欠かせないものだったから。
「わけが分からないんだが…」
「分からないままでいいです!!」
彗はなんだそりゃ…と言って、苦笑いを浮かべた。
本音を言えば、分からないままでいてほしくはない。
きちんと彗には理解してもらって欲しい。
今すぐじゃなくてもいい、明日でも、1ヵ月後でも、数年後でも…いいからいつか。
それが円花の願い。
「…って、なんだ。結局、私も彗さんと同じ…なんだ」
一番好きな人と、ずっと一緒にいられること…
「ん? 何か言ったか? 円花」
「…いえ、何でもないです」
自分の考えに、思わず笑みがこぼれる。
それを彗は不思議そうに眺めていた。
終了