――ポカポカとした日差しが、家の中へと差し込む。
気温は摂氏22℃程度。暑すぎることもなく、寒すぎることもない過ごしやすい環境。
平和としか思えない、そんな日常の中で
――彼は、言った。
「……円花。お前に頼みがある」
「頼み、ですか?」
円花にとっては、前触れもなく告げられた彼の一言。
もちろん、それだけでは何が何だか分からず、彼女は小さく首を傾げた。
そんな彼女に、彗は言う。それも至極、真剣な瞳をして。
「あぁ、重要な頼みだ。このことに、俺たちの明日がかかっていると言っても過言じゃない」
「そ、そんなに大変なことなんですか? わ、分かりました。彗さんのお役に立てるなら、私がんばります!」
彗の言うことを、よほど大変なことと感じ取ったのか、彼女は意気込んでそう言った。
まぁ、明日がかかっているとまで言われたら、彼女の反応も当然なものかもしれない。
彗はその言葉にうんうんと何度か頷いている。
「それで、私は何を頑張ればいいんですか?」
そんな彼に、円花はそう尋ねた。
「あぁ、それは……」
答える彗の一言に
「え……?」
と、彼女は驚きの色を隠せなかった。
――第1次スーパー大戦勃発
「あの、これは……」
言葉を濁す彼女の手には、一つの黄色いプラスチック製の籠が提げられている。
「さっき、言ったはずだろ。ここで何するかって」
と、彗。彼の手にも、彼女と同じ籠が提げられていた。
「……確かに聞きましたけど」
と、少々納得がいかない様子で、彼女は目の前の建造物に目をやる。
無数の蛍光灯で照らされた内部。
また、その外部にはいくつものダンボールが詰まれてあって、その中にはいくつかの野菜が並べられてあった。
――そして外壁には、赤色の文字で『スーパー サンセン』と書かれてある。
……まぁ、ここまで説明すれば、自ずと何だと分かってくるだろう。
「本当に、重要なんですか? これが」
そう、愚痴をこぼす円花に、彼はそっと呟いた。
「……なら、質問するが。……お前と俺、どっちが多く飯を食べていると思う?」
「……それは、私です」
「自覚があるのはいい証拠だ。……で、その材料をいつも用意しているのは俺かお前のどっちだ?」
「……それは、彗さんです」
次々と図星をつかれ、彼女の声が尻すぼみになっていく。
そんな彼女を見ながら、彗はふぅ……と、小さくため息をついた。
「――つまり、本当だったらお前がいつもここへ買い物に来てもおかしくないはずだよな!」
「その、通りです……」
そう言葉を返し、彼女は顔を俯かせる。
円花にはそれ以上、何か言葉を返すことができない。
全てが真実……というか、道理が通っているためだ。
そればかりか飯を作ってもらっているのも彗だし、それ以外の家事も彼がこなしている。
円花自身、役に立ちたいとは思っていたが、寧ろ彗がほとんどをこなしてしまうため、どうしようもないと言えばその通りなのだが。
「……まぁ、本当はそこまで気にしてないんだが、たまにはいいだろ。それに、来た人数によって、商品を買える個数も変わるんだ」
「……そうなんですか?」
「あぁ。大抵安くなってるのは、個数制限があったりするんだ」
「へぇ……」
と、素直に彼女は感心する。
もちろん、そんな知識は彼女の中には未だ備わっていない。
気付けば単純なのかもしれないが、それでもまだ未開の地に近い彼女にとっては尊敬の眼差しを向けられることに違いはない。
そんな彼女の視線に気付いたのか
「……まぁ、そんなのは入ってみればすぐに分かる」
と、促すように言葉を紡いだ。
円花も、しっかりとその言葉の意図を読み取って
「そうですね……。じゃあ、入りましょう? 彗さん」
「そうだな」
彼の行動を促し、ゆっくりと二人がともに足を進めた。
「……彗さんの買いたいって言ってたもの、どこにも売ってませんね」
一通り店内を回ったあと、円花はそう言葉を漏らした。
それを証明するかのように、お互いの籠の中には未だに何もいれられていない。
とっくに売りきれてしまったのか、あるいは元々から置いていなかったのか……。
そう、円花の頭には考えがよぎった。
だが、彼の表情には何一つとして落胆の色が見えない。
左腕にはめた腕時計を確認しつつ、彼はふと口を開く。
「……もう少し待ってろ」
「はい……?」
そう言う彼の意図が分からず、円花は小さく首を傾げる。
今までで見つからなかったのに、もう少し待てば見つかる……ということはどういうことだろう。
と、考える彼女の思考はこのスーパーという店舗を詳しく知らないがため。
反して、それを知り尽くしている彗にとって不安要素など、何一つとてない。
――と、その時。
――世界は、一変した。
「――ただいまから、本日のタイムサービスを開始いたします」
どこからともなく、スピーカー越しに届いた声。
――タイムサービス?
それがどんなものなのか分からず、円花は再び首をかしげた。
だが、彗は……違う。
「円花、あっちに走るぞ!」
「え……?」
彼女が驚く暇もなく、彗はその足を速め、彼自身が指差した方へと向かった。
どうしたんだろう? と、不思議に思った円花は……気づいた。
――いや、違う。
足を速め、彼と同じ方向へと向かっているのは……彼、だけではない。
店の中にいたみんなが、走り出しているのだ。彗と同じところへと。
(な、何ですか? これは)
まったく理解できない人々の動向。
初めて見た人にとっては、これはよほど異様な光景かもしれない。
それに気圧されつつ、彼女もようやく足をそちらへと向けた。
――そして、彼女は見た。
「…………」
あまりの衝撃的な光景に、彼女は言葉を失う。
いや、言葉ではどう表現していいのか分からないのもある。
とにかく、そこに広がっていた光景は――幾多の人々が一箇所に群がり、大声をあげながら自らの手を必死に上方へと向けているその光景は……異様以外の何者でもなかった。
そして、そんな中に彗は紛れ込んでいる。ごく自然と、その光景の中に溶け込んでしまっている。
と、そんな時、彗の目が円花に気付いた。
――少し待っててくれ
そう、彼の目は語る。
ひとまず何でこんな現象が起こったのか分からない円花にとっては、彼のその意志に従ってジッとその光景を眺めることしかできない。
できることと言えば、そこから何が起こっているかを分析することぐらい。
そういう違った視点から、再びその異様な光景に注目する。
そうしてよく見れば人々が上方に出している手は、何かを求めるかのように前後左右に振られている。
すると、そのうちの一つが……何かを掴んだ。
――いや、分かる。
それは透明なプラスチックのケースの中に、白い楕円型の物体がいくつも詰められていた。
――卵である。
と、その途端に彼女の脳裏によぎった彗の一言。
(いるのは、まず卵……だな。もう3、4個ぐらいしか残ってないし)
しかし、そう言っていた彼の籠の中に卵は今まで入っていなかった。
だが、彼は言った。――もう少し待ってろ、と。
そして、待った結果が……これだ。
まだはっきりと分からないが、何か得があって彼はそこに紛れているんだろうと、円花は思う。
と、そんな時。
――彼の手がしっかりと、それを掴んだ。
それをすぐさま自らの持つ籠につっこむと、円花の元へと駆け寄ってくる。
そして、息を抜くかのようにため息を一つ。
「ふぅ……。……疲れた」
「あの、大丈夫ですか? 彗さん」
心配そうに彗に声を掛ける彼女。
あの光景を目の当たりにしたのなら、その反応は仕方がないものかもしれないが。
そんな彼女の言葉に、彗は幾度か手首を振りつつ、口を開いた。
「あぁ、これぐらい慣れてるから大丈夫だ。卵が手に入っただけでも十分だし」
「そう、ですか……。それなら、いいんですが」
彼の一言に円花は安堵したのか、ふぅ……と小さくため息をつく。
だが、そんな彼女に彗は言った。
「じゃあ、俺は肉とか魚の方を見てくるから。円花、お前は野菜の方を見てきてくれ」
「あ、はい。分かりました」
彼の提案に彼女は即座頷く。
「えっと、それで何がいるんでしたっけ?」
「いや、そろそろタイムサービスが激しくなる頃だから。出てくるのを籠に入れてきてくれればいい」
そう言う彼の言葉に、円花が遠慮気味に尋ねた。
「……あの、彗さん。そのタイムサービス……って、何なんですか?」
それを聞いた途端、彗は目を白黒させる。
まるで信じられないことを聞いたかのように。
だが、すぐさまその表情には苦笑が浮かび
「何って言うと、商品の安売り……だな。その代わり売られる時間が限られてるから、普通の安売りよりもさらに安いんだ」
「はぁ……、なるほど。つまり、タイムサービスで売られるものは物凄く安いんですね」
「俺の言ったことを反復しただけのようにも聞こえるけどな……。まぁ、そんなところだ」
完全……というわけではないが、幾分かタイムサービスについて理解できた円花は小さく頷いた。
と、二人がそんな会話をしている時、不意に再び店内に従業員の声が響く。
「続きまして、野菜コーナーにてタイムサービスを開始いたします」
その声を聞くや否や、彗は言う。
「今日は確か野菜の方は三回ぐらいあったはずだ。多分、全部は無理だろうから……最低、一つぐらいでもいい」
「分かりました。えっと、じゃあ……行ってきます」
緊張の面持ちで声がした方へと向かおうとする円花に、彼は一言。
「怪我は、するなよ」
「……はい」
何が? と、尋ね返すほど彼女もさすがに鈍感ではない。
あの光景を終始見ていた円花は、あの場に紛れた途端、怪我をする可能性があることが分からないほど呑気な性格でもない。
だからこそ、彼女は緊張していた。
第一ケース ――もやしの場合
「うわぁ……」
声のした方へとたどり着いた途端、彼女はそう声を上げた。
――無理もない。
そこには、先ほどとまったく同じ光景が広がっていたからだ。
密かにやる気を出していた円花も、眼前にそれを捉えると、さすがに気持ちが削がれてしまいそうになる。
しかし、そこで止まっているわけにはいかない……と思い直して、彼女は人々の中へと飛び込んだ。
――が
彼女の身体は手を上げることすら侭ならないばかりか、人々の中に紛れ込むことさえ出来なかった。
――近寄ることはできる。だが、人々の間に割り込むことが、出来ないのだ。
仕方なくその場で手を伸ばしてはみるが、所詮それは無駄でしかない。
そればかりか、円花の後から集まってきた人々に、彼女の身体はドンッと前へと押し出される。
「きゃ……ッ」
という声も掻き消されるぐらいの大声の中に放り込まれるばかりか、前後に立つ女性に自らの身体が押し潰されそうになる。
(く、苦しい……)
こうなってしまっては、さすがの彼女も手を上げることなど出来はしない。
そんな状況下に置かれ、何分か時間が経ち……
「今を持ちまして、もやしのタイムサービスは終了いたします」
そんな声が聞こえた時には、彼女はもはやボロボロだった。
何もやっていないのに口からは荒い息が漏れ、膝に手をついて呼吸を整えなければいけないほどに。
だが、そうやって休んでいる暇もなく……次のアナウンスが入る。
「続きまして、次のタイムサービスはニンジンです」
(にん、じん……)
疲れた身体に鞭をうって、円花は再び声のした方へと足を進めた。
第二ケース ――ニンジンの場合
まったく変わらない、目前に広がるその光景。
だが、円花はもう驚かない。
そして、一度の経験により、彼女には分かったことが二つほどあった。
一つは……
(――どんな時でも、手を上げること)
そうしなければ、どれだけ必死に並んでいても商品は絶対に手に入らない。
だから、前後から押し潰されそうになろうが何だろうが、手は上げつづけなければならない。
そして、もう一つは……
(正当性は……考えない)
つまり、どんな手段を使ってでも商品を手に入れろ……ということ。
もちろん、喧嘩になってしまうようなことを言っているのではない。
自分がそれを手に入れるためなら、他人のことに気を配るな……と、そういうことだ。
そして、彼女は――特攻する。
(今度は、手に入れます……)
そう、強く意気込んで。
――が、一つ彼女は忘れていた。
それは……
――商品を掴んでも安心しきってはいけないこと。
前後に立つ女性に押し潰されそうになりながらも、彼女は必死に自らの右手を上げ続ける。
そして、大声。
「ニンジン、ください!」
ひたすらにそれを繰り返す。
と、そんな時。
――彼女の手に、何かが触れた。
(あ……。これは……)
瞬時にそれが何か感じ取った彼女は、片手でそれを強く掴み取る。
――硬い、感触がした。
(やった……!)
――ついにニンジンを手に入れることが出来た。
円花の心は、喜びのあまり飛び上がりそうになる。
――だが
一瞬で、その手の中の感触が……消えた。
(あれ……?)
気のせいかと思い、右手を開いたり握ったりしてみる。が、先ほどの硬い感触はどこにもない。
落としてはいない。落としたなら、真っ先に自分が気付くはず。
だとすれば、何が……?
(まさか……)
そして、考えついた一つの結論。
――奪い取られた
思わず後ろを振り返ったが、そこには無数の人、人、人。
誰が自分の掴んだものを取り、籠の中に入れたなんて分かるはずもない。
(ニンジン……)
悔いは残るが、もはやどうしようもない。
仕方なく彼女は、再び手を上へと伸ばした。
――だが、運命とは時に残酷であり
「今を持ちまして、ニンジンのタイムサービスは終了いたします」
彼女が再びそれを手に入れることが出来ないまま、それは終わりを告げてしまった。
そして、最後のタイムサービスを告げるアナウンスが鳴る。
「本日、最後のタイムサービスはジャガイモとなっております」
第三ケース ――ジャガイモの場合
(今度こそ、絶対に手に入れます……)
肉体的にも精神的にも、円花はほとんどボロボロの状態だった。
だが、彼女は諦めない。
その原動力となっているのは、彗が彼女にこれを託したという事実。
――最低でも一つぐらいでもいいと、彼は言っていた。
だから、今回こそは手に入れる。そうでなければ、自分は彼の役に何も立てていない。
――そう思って、彼女は群がる人々の中へと突入する。
「ジャガイモください!」
出せる限りの大声をあげる。
もはや、そこに残っているのは意地のみと言っても過言ではない。
それでも、彼女は手を伸ばし声を出しつづける。
そして……
――彼女の手が、それを確かに掴んだ。
(やった……)
だが、まだ安心はしない。
これも今までの経験で掴んだ教訓。
掴んだジャガイモを胸元まですぐさま降ろし、しっかりと両手で握り締める。
そして後ろへと振り返り、わずかな人々の隙間を掻き分けて、その群集から必死に逃れる。
やがてそこから抜け出した瞬間に、思わず彼女は右手で小さくガッツポーズをした。
(やっと、一つ……手に入れた)
息も絶え絶えだったが、今はそれよりも達成感の方が圧倒的に強い。
少なくともジャガイモは手に入ったのだから、自分がここに着いてきた意味はあったんだと、彼女はホッと安堵のため息をついた。
と、そんな時だった。
「お疲れ」
そんな優しげな、彼の声が聞こえたのは。
「本当に、疲れました……」
「俺がいつもどれだけ苦労してるか分かったか?」
「……はい。十分すぎるほど分かりました」
そう言って、彼女はふぅ……と小さくため息をつく。
そんな様子を、彗は苦笑いを浮かべて見ているのだった。
スーパーにたどり着いた時と、まったく変わらない春の日差し。
道ばたに咲き誇る花々は、疲れきった彼女の心をほのかに癒してくれる。
不意に優しい風が吹き抜け、サァーッと音を立てて木々が揺れる。
「今日の夕飯は、何にする?」
唐突に彗は、そう口を開いた。
「うーん……、鍋がいいです」
彼女の口が、すぐさま言葉を返す。
しかし、彼はその答えに少々驚いた様子で……
「……今、春だぞ。さすがに鍋は……」
「いやいや、彗さん。鍋は冬に食べるのがいいんですけど、何も冬にだけ食べないといけないと言うわけではないんですよ」
「いや、それはわかるけど……」
「あれです。冬にカキ氷が食べたくなるのと一緒ですよ」
と言って、彼女は笑う。
「それとは大いに違う気がするぞ!?」
「違いませんよ。冬が春になっただけの話です」
――そんなにも鍋が食べたいのか、と。
彼女の強い願望を、そこから感じ取った彗は反論することを諦める。
その代わりに、ため息を一つ。
「……はぁ」
「……? どうしました?」
彗がため息をついた理由がわからず、円花は小さく首を傾げる。
「いや、何でもない。……で、鍋でいいんだな」
「はい。それでお願いします」
そう言って、彼女はニッコリと微笑む。
はぁ……とため息をつく彗も、そんな笑みを見て、フッと頬を緩めるのだった。
非常識の混じった常識の日常。
そして、今日もまた一日が過ぎていく。
終わり
あとがき
久しぶりに長い小説を書いた気がします。朔夜です。
――えー、企画小説ということで第一回目は「彗×円花」です。
……最初はギャグにしようと思ったのですが、ノリがおかしかったので普通の文章にしてみました。
なんか説明が多くて読みにくいかもしれません。申しわけないです……。
来週ははてさて、どんなお題なのやら。
では、今日はこの辺りで。