バレンタインデー 彗と円花の場合

「相変わらず、バレンタインデーの近くになると、チョコレートばっかりですね」
 二人で買い物に来ていた彗と円花。
 そんなとき円花が、スーパー内のバレンタインデーコーナーを見て、そうポツリと呟いた。
「バレンタインデーは、チョコレート販売メーカーも必死だからな。1年間で一番売れるのは、この時
期だろうし」
「そうですね…。ところで、彗さん…」
 照れた様子で、円花は彗に話しかける。
「何だ?」
 いくら鈍感な彗といえども、円花の様子の違いには気づく。
 とは言っても、どんなことで円花が照れているのか、現状と今の話題からして大体想像が付く。
「私からのチョコだったら…彗さんは貰ってくれますか?」
 円花は若干不安そうな顔をしたが、不安になる理由が分からない。
 円花からもらえるものは、全て何だろうと嬉しいというのに。
 円花はたまにそれを分かっていないときがある、…まぁ、そこが可愛いところなのだが。
「もちろん」
 彗は、それが当たり前のように頷いた。
 円花は、ホッと安心した様子で、言葉を続ける。
「…それじゃあ、バレンタインは、あんまり期待せずに待っててくださいね」
「おう」
(円花手作りのチョコか…。楽しみだな…)
 去年までは、一切貰えないのも理由の一つだったが、バレンタインデーなんかは何一ついつもと変わ
らず、過ごしていたというのに、たった一年で状況というものは一変する…。
 彗は少なくとも、そんなことを思った。
「あっ、あと…」
「何だ?」
 円花は一瞬、困ったような顔をしたが、すぐに続ける。
「秋乃さんから貰ったものよりも、大切に食べて…くれますか?」
 円花の言葉に、彗は小さくため息をつく。
 やっぱり円花は、不安になることばかりで、俺の気持ちとかを一切考慮していない。
 というか、本当に秋乃からもらえるのだろうか。
 どうして、そんなに確信を持って、円花は言い切ることができるのか…。
「貰えるかどうか分からないけど、円花のチョコは絶対に一番大事にする」
「はい。ありがとうございます」
 円花は嬉しそうに笑いながら、彗を見つめた。
 彗もそれにつられて、笑った。
 昨年とはまったく違う気持ちで、バレンタインデーを迎える自分にも。

 そして、日はあっという間に経ち、2月14日になった。
 ついでに彗は、いつ円花がチョコを作っていたのかを知らない。
 きっと彗が寝た後か、または家にいないときに、密かに作っていたのだろう。
 実際、チョコがおいしいかどうかなんて、どうでもいい。
 愛しい人からチョコレートがもらえる、それだけで愛されているという証明になる。
「円花」
 円花に呼びかける。
「彗さん、チョコレートはまだですよ」
 ふふっ…と微笑みながら、円花はまだ彗にチョコレートを渡す気配はない。
(いつ、渡してくれるんだ…)
 彗には、待ちきれない部分もあったが、渡す円花が『待って』と言っているのだから、今は諦めるし
かなかった。
「彗さん、そろそろ学校へ行きましょう」
「あぁ。そうだな」 
 危うくバレンタインのせいで、学校に登校しなきゃいけないということを忘れるところだった。
 慌てて用意をすると、彗と円花は、揃って学校へと向かった。

 登校中も、学校に着いてからも、円花はチョコを渡してくれない。
(まさか、まだ作ってないとか…。いや、でも、それはさすがにないだろうな…)
「先輩!」
 と、お昼休みに廊下を一人で歩いていた彗の耳に聞き覚えのある声が届く。
「おう、井上か」
 現れたのは、井上秋乃。
 彗に思いを寄せる人間の一人だが、無念。
 彗は鈍感すぎるせいか、彼にはまったく気付かれていない。
 しかし、今日こそは…という意気込みでバレンタインを迎えた一人であり、その鞄の中には、彼に渡
すべきチョコレートが入っていた。
「えっと…」
 話しかけたのはいいが、どうやって渡せばいいのか、井上は考えていなかった。
 そのためか、二人の間の会話がピタリと止まってしまう。
「…何か用か?」
 声をかけてきたのは井上だが、井上は何故か固まっている。
 彗からしてみれば、不思議なことこの上がなかった。
 だが、その質問をしたところで、何かが変わるわけでもなかった。
 二人の間に、またもや沈黙が訪れる。
 だが、しばらくして、井上が意を決したように高速で鞄からチョコレートを取り出して、彗の目の前

に差し出した。
「せ、先輩! これを受け取ってください!」
 綺麗に包装された箱。
 恐らくこの中には…あれが入っている。
 それは鈍感な彗でも、いくらなんでも想像がついた。
「これって…チョコレート…だよな」
「はい…」
 先ほどの井上の様子はまるで嘘のようだった。
 井上は、不安そうに彗を見つめる。
 だが、彗は笑顔でそれを受けとった。
「ん…。ありがとな。大切に食べさせてもらう」
「は、はい! ありがとうございます!」
 秋乃は、大げさなぐらい大きな声で返事をして、頭を下げる。
「それじゃあ、もういいか?」
 そういって、彗はその場から去ろうとする。
 そんな彼の背中に、井上が慌てて声をかけた。
「あ、ちょっと待ってください。死之神先輩に、これを渡していただけませんか?」
 そう言って、井上が差し出したのは、1枚の手紙。
「分かった。渡しておく」
「お願いします」
 彗は、ぜひともその手紙の内容が見たくなったが、女子の手紙を見るのはさすがに引けた。
 彗は、手を振って井上と別れると、円花を探すべく、再び自分の教室へと戻っていった。
 そんな彼の後ろ姿を見ながら、井上は『自分の思いが届くように』と、密かに願っていた。
教室に戻ってきた彗は、円花の姿を探す。
 案の定、円花はすぐに視界のうちに入った。
 偶然にも、その瞬間、円花との視線が重なる。
 手で『ちょっと来い』の意味を含めたサインを送る。
 円花にもそれが伝わったようで、座っていた席を立って、彗の方へと歩く。
「どうかしましたか? 彗さん」
 円花は、彗のすぐ近くまで行って、彼に尋ねた。
「井上から、円花に渡してくれ…だってさ」
 そう言って、彗は先ほど渡された手紙を円花に渡す。
「秋乃さんから? 一体何が……」
 目を通した瞬間、円花の目が変わったような気がした。
 そして、次の瞬間には、クシャリとその手紙を円花は握りつぶしていた。
「お、おい? 円花?」
 円花らしからぬ行動に、彗も驚きを隠せない。
「…彗さん、ちょっと人の目がつかない場所に行きませんか?」
「え? あ、あぁ」
 円花の熱意が伝わってきたのか、彗には断ることなんて到底出来なかった。

 
「はい。彗さん、チョコレートです。上手くできてるかわかりませんけど…」
 円花はポケットから取り出したチョコレートの包みらしきものを、彗に渡す。
「あ、あぁ。ありがとな…」
 彗と円花の声が、部屋中に響く。
 それもそのはず、この部屋には二人しかいない。
 この二人の間にも、変な雰囲気が漂っていた。
「円花、…どうして、こんな場所で渡そうと考えたんだ?」
 彗には、それが分からなかった。
 チョコレートを渡すだけなら、こんな場所で渡さなくてもいいはず。
 朝に渡しても、昼に渡しても…。
 でも、何でこんな誰も来ない場所で…円花は。
「……から」
 ボソボソと呟くように円花は何かを言ったが、彗の耳には届かない。
「今、何て言った?」
「特別だってことが証明したかったから…それに…秋乃さんにも負けたくなくて…その、…や、やっぱ
り何でも…きゃっ!」
 円花が何かを言い切る前に、彗は円花を床に優しく押し倒した。
「特別だって証明したいなら、…いくらでも協力する」
「あ、あの…、やっぱり何もなかったことに…しませんか?」
 慌てたように、円花が言うが、もう遅い。
「誘ったのは円花のほうだろ。…逃げられねぇし、逃がすつもりもない」
 彗は、ニヤリと笑って、そんなことを言った。
「す、彗さん…」
 円花は顔を真っ赤にさせて、思わず言ってしまった自分の言葉に後悔をしてしまう。
 だが、嫌なわけでは決してない。
 これで、彼と自分との繋がりがきちんと確認できるのだから。

終わり