「彗さん」
 前を歩く彼に向かって、そう呼びかける。
 それは紛れも無く彼自身の名前。
「何だ? 円花」
 私に声をかけられた彼は、足を止めて私に振り向いてくれる。
 初めて出会ったときは、足を止めないどころか、無視ばっかりだったっていうのに、これって結構大きな進歩かもしれない。
「ふふ…。呼んでみただけです」
「そうですか…って、はっ!?」
 彼は唖然とした表情で、私を見つめる。
 そんな正直な彼の反応が、私には面白くて仕方がない。
 最初のうちは、からかわれる方だったけれど、最近は彼をからかうというのも私の日課になっている。
 彼曰く、「人をからかって面白がるなよ!?」って前に言っていたけど、彼自身も前はそうだったから、きっとお互い様だ。
「彗さんの反応は、いつも見てて飽きませんよ」
 からかいも含めて、私は彼に向かって笑顔で言った。
「人で遊ぶな!!」
 彼はそういうけど、私にとってそれは遊びじゃない。
 それは交流。
 それは安らぎ。
 それは関係。
 つまりは、そういうこと。
 私が、彼のことをからかっているのは、彼とずっと関係を持ちたいから。
 そして、私にとって彼と過ごす時間は、一日で一番安心できて、とっても楽しい時間だから。
 私は、彼のことをからかい続けている。
 彼が聞いたら、「それぐらい硬く考えなくてもいいって」と言うだろうけど、私にも不安はある。
 私は、その不安を、彼との交流で消し去りたいだけ。
「だって、彗さんの反応が面白いから、いけないんです」
「なるほど…って、俺のせいかよ!?」
「はい」
 笑顔できっぱりと肯定する私。
 彼は不満そうな表情で、私に言う。
「…それもそれで、そんなにきっぱりと肯定するなよ…」
 ほら、やっぱり彼は面白い。
 冗談交じりで私は言ったのに、彼は本気にしているかわからないけど、ショックを受けているみたい。
 どこからどうみても、単純な嘘なのに…。
「なんて…冗談ですよ。本当は、彗さんとこうやって話してるだけで、私は満足なんですから」
「ッ……」
 彼の表情が歪んだ。
 仕方もない。
 今の私の一言は、私の心の隅を表に出したようなものだったから。
 彼も、きっとそんな私の心を読み取ったに違いないと思う。
 言うべき言葉を…間違えたかな…。
「俺は…満足じゃない!」
 私は、驚いた。
 だって、いきなり彼が大声で話し出したから。
 それに…満足じゃない…って?
「本当は…もっともっと円花との時間を過ごしたい。俺は、お前と1時間でも1分でもいいから、与えられた時間を大切に過ごしたいんだ」
 私は思わずポカーンとなってしまった。
 まったく…いきなりこういうことを言われてしまうから、困ってしまう。
 私の顔は、今赤くなっているだろう。
「…そう、ですね…」
 だから、私は俯いて応えた。
 自分がからかっていたつもりだったのに、本当にからかわれていたのは私だったと分かりたくなかったから。

終了