「……やった」
 ほんの少し口元を緩めて、迅伐は自分の手を見つめながらそう呟いた。
「……悔しいですが、仕方ありませんね」
 はたまた対面していた相手――リタ・レーンは、一瞬残念そうな表情を浮かべたが、すぐさま顔を俯かせてため息をついた。
 まるで己が中にある未練を打ち消そうとしているかのように。
 しかし、今の迅伐にとっては、そんなことはほとんど関係ないのであって……。
「ライル様……」
 居間の端で眠る彼を見つめる瞳は、いつもの彼女とはまるで違うように思われた。恋する乙女……という表現は行きすぎかもしれないが、大方間違ってはいないだろう。
「迅伐が燃えてる!?」
「違うわ。薙刃。あれは、愛の力ってやつよ」
 長い間、一緒にいた薙刃や鎮紅たちが彼女の様子を見て、何かを囁きあっている。その様子から、彼女がこのような様子になるのも、珍しいと言えるだろう。

 約束は約束……ということで、迅伐を除いた薙刃たち他四名は、先ほどまで皆が揃った部屋から、各個人の部屋へと戻っていった。
 ということは、今、この部屋には自分とライルの二人だけということになる。
「ふふ……」
 そう考えると、迅伐の口から自然と笑い声が漏れた。
 しかし、そんな想像だけで満足していられるはずもなく、彼女は行動に移った。
「ライル様」
 寝ているライルの身体を左右に揺らす。
 薬の効力で眠っているライルも、さすがにこの攻撃に気付かないはずがない。

「ん……。何…だ?」
 目をゆっくりと開けた彼の視界には、迅伐の顔がドアップで映りこんだ。
「……」
「……」
 驚愕のあまり、ライルの頭には適切な言葉が浮かび上がってこない。
 というか、何故、自分のこんな目の前に迅伐がいるのかすら、彼には分からない。
「……」
「ライル様……」
「な、何だ? 迅伐」
 いきなり自分の名前を呼ばれて、思わず返事をする声が上ずってしまった。
 しかし、迅伐からしてみれば、面白くない。彼の反応は、まるで惚れ薬が効いていないかのようなものだったためでもあるからだ。
「……」
 ギャンブルをするかのように、迅伐は彼に身体をさらに近づけた。これで興味がもたれなければ、惚れ薬ではないということになる。
「何で近づく!?」
「ライル様……」
 彼の胸に、もたれるような形で、倒れこむ。これ以上は……もはやどうしようもないが。
「……ぅ…ぁ……」
 彼の身体が、一瞬ビクッと震え、うめくような声が聞こえたかと思うと、その動きが少しずつ変化していった。

「迅……伐」
 包み込むようにして、ライルの大きな腕が迅伐の背中へと回される。
 さらに、自らの顔を指で少し上げられて、ライルと見詰め合う体勢になる。
 彼の瞳は、自分の心まで見透かしてしまいそうなほど綺麗で、さすがの迅伐も胸の高鳴りを押さえていることは出来なかった。
「ライル……様……」
 時が止まってしまったかのように、見つめあい続ける二人。
 お互いの呼吸や心臓の鼓動まで感じられてしまいそうな数秒、数分間が過ぎ……やがて、ライルが行動に移る。
 彼女の身体を近くの壁に押し当て、両手で彼女の両肩を掴んで、彼女の身体を固定させる。
 その動きには、抵抗を許すほどの隙はない。
「迅伐、ごめん。何か……止められない」
 そう言って、彼女の顔へと自らのそれを近づけていく。
「……謝らないで」
 彼の呟いた一言に、迅伐はそう言葉を返す。そうして、彼女は目を瞑った。
 そんな覚悟を決めた迅伐の顔を見て、ライルはゴクリと喉を鳴らした。
 そして、数秒の後、二人の唇は――重なり合った。
 とはいっても、それはただ触れ合うだけのような軽いもの。迅伐にとっては、まだまだ満足がいくはずもない。
「ライル様……。……もっと」
 そう呟くと、再び唇が重ねあわされる。
 今度は少し強く、感触がしっかりと残るもの。
「……」
 唇が離れてから、目を開けると、そこには真剣な目をしたライルの姿。
「……嬉しい」
 それを見ているだけで、迅伐は幸せな気分になった。自分ではよく分からないが、きっと、今自分は、満面の笑みを浮かべているに違いない。
 迅伐は、確かに――そう思っていた。


 終了