石段を登りきって鳥居をくぐった二人の目の前には、相変わらずのボロボロの寺があった。
 ライルは、そこで自然と薙刃の様子を伺ってしまった。
 そこには、少し表情に影を落とした薙刃の姿があった。
 声をかけるべきなのかもしれない、励ましてやるべきなのかもしれない。
 だが、数年が経っても薙刃たちにとっては嫌な場所には変わらない。
「ライル? どうかしたの?」
 ライルの視線に気付いた薙刃は、ライルに目を向けて、尋ねる。
 しかし、その理由は、薙刃本人も分かっているだろう。
「あ…いや、何でもないんだ」
 慌ててライルは視線をそらす。
 ライルが視線を逸らすと、薙刃も再び目を寺へと向けた。
「…本当はね、今日、皆と出かけようと思ったのは、ライルとここに来るためだったんだ」
 薙刃の言葉に、ライルはえ?と、思わず呟いた。
「鎮紅だけじゃないんだよ。私も、ここに来るのは、あんまり好きじゃないよ。でも、ここに来るとね、ライルと逢ってからの思い出が、甦ってくるんだ。だから、私にとってここは、良い思い出と悪い思い出が、重なり合っている場所なんだ」
 ライルは、薙刃の言葉を一つも聞き漏らすまいと耳をかたむけた。
 薙刃は続ける。
「でも、本当は、ここに来ても、もうほとんど辛い思い出なんか感じないんだ」
 どうしてだ? と、ライルはそう思った。
 薙刃たちにとって、ここでの思い出は忘れることのできないもの。
 鎮紅はもちろんだが、迅伐まで苦手とするような場所だというのに。
「ライルは、それがどうしてか、分かる?」
 薙刃は、ライルに身体を向けて尋ねた。
 その顔には、まるで天使のように優しげな笑みが浮かんでいた。
「…えーっと、…悪い。…分からないな」
 すると、薙刃は言った。
「簡単だよ。この場所のおかげで、ライルと出会えたっていう喜びの方が、悪い思い出なんかより、ずっと強いからだよ」
 ライルは、薙刃の言葉に衝撃を受ける。
 そして、どうして薙刃が、この場所に来てそんなことを言うのか…ということまで分かってしまったような気がした。
 これが、もし…何とも無いいつもの日常だとしたら、自分はどういう行動をしていただろうか?
 薙刃の言葉に、恥ずかしさを感じて、軽く照れていたかもしれない。
 笑顔で、薙刃に「ありがとう」と言っていたかもしれない。
 だが、現実は違う。
 恥ずかしさも、感謝の気持ちも、わずかにしか、心にはこみ上げてこない。
「薙刃…」
 ライルは薙刃へと手を伸ばす。
 これ以上、薙刃には辛い気持ちになってほしくない。
 そして、その口で辛い言葉を言ってほしくなかったからこその、自然的な行動だった。
 何の抵抗もなく、薙刃の腰へと手を回し、そのまま優しく抱きしめようとする。
 しかし、薙刃は弱々しい声で呟く。
「ダメだよ、ライル…。こんなことされたら、私…。せっかく決心した意味がなくなっちゃうよ…」
「……」
 ライルの腕がピクリと反応を示して、その場で止まった。
「ライル、一つだけ聞いていい?」
「…なんだ?」
「…本当に、ライルはイエスズ会に明後日戻らないといけないの?」
 それは何度もした質問。
 決心はつけても、未練は残ってばかり。
 そんな薙刃の心情を表すかのように
「それは…」
 そうだ。と答えようとして、ライルの口が止まる。
 そして、鎮紅の言葉が頭をよぎる。
『重要なのは、ライルくん自身の意志よ』、『ライルくんの意志が、ここに残ることだったら、抗ってみてもいいんじゃない?』
 自分の意思…。
 この際、正直に言おう。
 皆と別れたくない、この町を出たくない、あの家を出たくない、そして…
 薙刃と逢えなくなるなんて、絶対に嫌だ。
 しかし、自分ひとりだけで上層部に抗っても…聞き入れてくれるはずがない。
 だが、自分で何もしようとしないのに、戻らないといけない。なんて薙刃に言い切ってしまえば、薙刃はどう感じる?
 薙刃はきっと泣いてしまう。
 覚悟、決心は出来ていたとしても…薙刃はそんなに大人じゃない。
 そして、薙刃の涙なんて、ライルは決して見たくなかった。
「それは…」
 考える。自分に何が出来るかを。
 そして、ライルはまだ気付かない。
 自分の考えが、少しずつ先ほどとまったく変わってきていることに。

続く


第十四話へ