「それは…分からない」
 その答えに一番驚いたのは薙刃だった。
「…分からない、って…、そんなはずないよ。それはライルが一番分かって…」
「絶対に戻らないといけないなんて、誰も決めてない!」
「ッ…!? で、でも…ライルが言ってたんだよ? 戻らないといけない…って」
 ライルは、自分でも今なんでこんなに自分が必死なのか分からなかった。
 でも、心が告げている。
 ここで肯定してしまえば諦めてしまったことになる。
 そうなれば、永遠に何かを後悔していき続けることになる。と。
「それは…俺が、今まで何もしようとしなかっただけだ」
「え?」
「ずっと、上層部の人間の命令は絶対だと思っていた。どんな理由でも、通るはずがない。どれだけ抵抗しても、自分の意見が通ることは不可能だって…。
でも、結局、それは逃げてるだけだ。何もしないで、諦めてしまったら…、後悔だけが残る、って…」
 言葉がドンドン頭に浮かんでくる。
 しかし、この中の言葉のほとんどは鎮紅の言葉のおかげだった。
 しかし、薙刃は動揺を隠せない。
「そ、そんなこと、今更言われたって困るよ! ライルが戻らなきゃいけないって聞いたとき、最初は泣いたけど、それからはせめてライルに名残が残らないようにって、ずっと笑顔でいるって決めてた。毎日、辛かった…、でも、ライルのためだって思って…ずっと我慢してたのに…」
 薙刃の目からは涙がこぼれる。
 薙刃の辛さがどれほどのものか、ライルには到底分からない。
 分からないけど、薙刃を見ているだけで伝わってくる。
 大切な存在がもうすぐいなくなってしまうことが分かっているからこそ、人間は無理をしてしまう。
 しかし、その分、心には大きな負担がかかってしまう。
 そして、その心は、たったの一言で簡単に崩れてしまう。
「俺が、気付くのが遅すぎたんだ。あの家も、お前も、鎮紅も、迅伐も誰も失いたくないって…。そして、失ってしまえば、もう二度と手に入らないものだって…」
「…もう、無理だよ! 現に、この5日間、何もなかったんだよ? …今更、何をしたって、きっと無駄だよ…」
「そんなこと、やってみなきゃ分からないだろう!? 無駄だって分かっててもやるんだ!」
 二人はお互いの気持ちを言い合う。
 初日の薙刃とライルとは、まるで真逆の状態だった。
「ッ…。でも、私…」
 ライルの言葉は、確実に薙刃の心を少なからず動かした。
 しかし、薙刃は言葉を続ける。
「…もう、決心しちゃったんだよ? ライルと一緒にいるも、ライルへのこの気持ちも諦める…って」
 ライルは、何故かその言葉でフッと軽く笑みをこぼした。
 そして、薙刃はそんなライルの表情に驚く。
 ライルがどうして笑ったのか、ちっとも分からない。
「薙刃、俺はお前に何度も励まされてきた。だから、そんなお前の口から『諦める』とか『無理』だって言葉は似合わないし、聞きたくない。諦めるのはまだ早いし、それに…」
 何ていうか、心が崩れるのがたった一言だとすれば…。
 自分の気持ちに気付くのも、たった一言で十分なんだな。とライルは思う。
 薙刃の背中へと自分の腕を回して、少し力を入れて抱き寄せ…
 簡単な一言を薙刃に言ってやる。
「…俺への気持ちを諦めるのは、せめて俺の返事を聞いてからにしてくれ…」
「え?」
 そして、引き寄せた薙刃と自分の唇を、ゆっくりと重ねる。
「ッ…!?」
 いきなりのことに薙刃は、まったく対処できない。
 感じるのは、唇に感じる何かの柔らかさと温かさ。
 おかしなことに、腕も足も金縛りにあったように、ピクリと動かせない。
 だが、そんな時間は長くと続かず、すぐさま暖かな感触はゆっくりと離れていく。
 と、同時に視界のうちに、ライルの姿をしっかりと捉えることが出来た。
「簡単に諦めるな、薙刃。俺一人だけじゃ、確かに無理かもしれないが、薙刃たちが手伝ってくれれば、きっとうまくいく。それでうまくいかなかったら、俺はイエスズ会を抜けたっていい。俺も…そんな簡単に自分の居場所も、思いも諦めたくない」
「……」
 薙刃はライルの言葉を、ただ黙って聞いていたが、やがて笑顔を取り戻していった。
「…イエスズ会は抜けちゃだめだよ? ライル」
「場合によっては、仕方ないかもしれないが、薙刃たちが手伝ってくれればそんなことにはならない」
「…本当?」
「あぁ。約束する」
「…うん! 約束!」
 薙刃は左手の小指を差し出した。
 それだけで薙刃が何をやりたがっているのか分かる。
 ライルも、自分の右手の小指を出す。
 そして、お互いに小指を交差させて言った。
「「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます! 指切った!」」
 
続く


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