(ライル…来てくれるかな)
 薙刃は、ただ一人、工房でライルを待つ。
 自分で言うのもなんだけど、早起きはあまり得意じゃない。
 だけど、ライルとの時間が限られているから、せめて少しでも長くライルと一緒に話したい、一緒にいたい。
 今日は休日だっていうのに、今までと同じように早起きしてしまった。
 パン屋の営業が無い今日は、ライルはわざわざ早くおきてパンの仕込みをする必要はない。
 それなのに朝早く起きてしまったのは何でだろう?と自分で問いかける。
 それはきっとライルに対する期待。
「ライル…」
 誰も居ない工房で、薙刃は一人小さく呟く。
 ライルとの別れは近い。
 最初は信じたくなかったけど、それは認めざるを得ない事実。
 だから、最初はライルに迷惑をかけてしまった。
 でも、それからはちゃんと現実を受け止めて…精一杯この日々を楽しもうと思って過ごしている。
 だけど…。
 よく分からない気持ちが自分の中にこみ上げてくる。
 それは…別れたくないという矛盾した気持ち。
 ライルにパン作りを手伝ってもらっている間、ライルと平凡なことを話している間、ライルの姿を見ている間…この思いはどんどん募っていく。
 押さえつけていなければ、ライルに『帰ってほしくない!』と叫んでしまいそうなぐらい。
 分かってはいるのに、ライルとはずっと一緒にいたい。
 そして、ライルにはずっと自分のそばにいてほしい。
「これが…好きっていう気持ちなのかな?」
 それは動物が好きという気持ちとは似たようで違う気持ち。
 胸を自分の手で押さえてみる。
 ライルのことを考えると、自然と鼓動が高鳴っているような気がした。
 と、そんな時、カチャリと工房のドアが開いた。
「ライル?」
 誰なのかわからないのに、薙刃は思わずそう声をかける。
 そこから現れたのは、薙刃の予想通り、ライル本人だった。
「あのな、薙刃。俺じゃなかったら、他に誰がいるんだ…」
 ため息をつきながら、ライルは薙刃を見つめる。
「えへへ…。ごめんね。でも、今日は休日だったから、ライルが来てくれるって思ってなくて」
「…それだったら、早起きする必要はないだろ」
「うん。でも、…少しでもライルとの時間が欲しかったの」
「なッ!?」
 ライルの顔が少しだけ赤く染まる。
 しかし、薙刃にとっては本当のことだった。
「そ、それよりも、パン作りするぞ!」
 ライルは薙刃から視線を逸らす。
 しかし、薙刃にとっては少しだけその行動が寂しかった。
 ライルはテキパキと慣れた手つきで、準備を始める。
 そんな彼の後姿を見ながら、薙刃は彼に尋ねた。
「ライルは、どうして毎日教えてくれるの?」
 ライルの手つきが一瞬止まったが、すぐに再開して彼は言った。
「薙刃が教えて欲しいって言っただろ?」
「でも、休日まで教えて欲しいなんて言ってないよ? 私は、ライルが暇なときには教えてもらいたかっただけで…」
 とは言いながらも、自分の行動もそれに矛盾している。
 現に、休日この場でライルを待っていたのは薙刃自身だった。
 しかし、ライルもちゃんとこの場に現れたのも事実だった。
 ライルの手つきが止まり、ライルは薙刃へと顔を向けた。
「気にするなって。俺だって薙刃に教えたくて教えてるんだし」
「ライル…」
「それに…薙刃と同じ理由っていうのは、ダメか?」
「え?」
 薙刃はライルへと視線を向ける。
 ライルは視線をキョロキョロとさせて、落ち着かない様子だった。
(同じ…理由?)
 自分の発言の中の、ライルと一緒にパン作りがしたい理由は…
「あっ……」
 薙刃は気付いてしまった。
 そして、その意味を知って恥ずかしくも嬉しくなってしまう。
 ライルはとっくに薙刃から視線を逸らしていた。
「ううん。それで十分だよ」
 薙刃は笑顔でそう答えた。
 何だ。ライルもそうだったんだ。
 私はライルとの、ライルは私との時間が欲しかった…って。

続く

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