彼女と彼の運命 〜登校〜

 

 

 学校を鮮やかに彩る、桜色の桜の花々。

 その花が、風によって飛ばされ、宙を舞う。まるで、学生たちは緊張の面持ちでその校門をくぐる彼らを、歓迎しているかのように。

 そしてまた――彼女もそうだった。

 

「…………」

 ゆっくり、ゆっくりと校門を潜り、敷地内へと入る。

 そこには自分と同じ真新しい制服に身を包んだもの、はたまた部活動用の運動着を着用した人間など、様々な人間で溢れていた。

 その中には、やはり複数の友人に囲まれながら登校している生徒の姿もある。だが、自分の隣に友人はいない。いや、今年度、この学校に来た自分の同級生の友人は、誰一人としていない。

 つまりは、何一人、友達も関係のある人もいないゼロの状態から、彼女の学校生活が始まるわけである。

 だからこそ、それが緊張してしまってしょうがない。

 ――友達が、作れるだろうか。

 ――楽しい毎日が送れるだろうか。

 不安要素はいくらでもある。今となれば、その選択は失敗だったのではないかとさえ、思ったこともある。

(大丈夫……だよね)

 彼女は自分を元気付ける。そうだ、こんなところで悩んでいる場合ではない。自分でこの道を選んだのではないか。始まる前から、そんなことで困っているわけにはいかない。

 そう、彼女が決心したとき、一つの大きな突風が吹いた。

「あっ、帽子が!!」

 彼女が頭に被っていた帽子が、その突風によって飛んでいってしまう。

 そう、この学校の特徴は、何故か女子は帽子を頭に被らなければならない。という、校則があることである。

子供っぽいという意見も多いようだが、人によっては紫外線がどうたらこうたらで、好評の意見もあるため、どうやら伝統のように昔からそれは語り継がれているらしい。が、今はそんなことはどうでもいい。

 帽子は強風に乗って、遠くへと飛んでいく。それを追って、彼女が走り出す。

 しかし、いくら追っても、帽子の元へと彼女は追いつけない。よっぽど風が強かったのだろう。

そんな時、一つの手が、その帽子をしっかりと掴んだ。

「これ君の?」

 帽子を手にとって、それを追いかけるように走っていた彼女に、真っ黒な学生服を身を包んだ男子が声をかけた。

 ブロンドの短髪は、それとなく外国人っぽいイメージを抱かせ、顔はキリッと整っており、優しそうな雰囲気をそれは醸し出していた。だが、その目はどこか冷めているように見られた。

 しかし、そんな彼を見て、彼女の心がドキ……と、不思議と高鳴った。

「あ、はい…。ありがとう…」

「今度は気をつけて」

「あ、はい…」

 そう言って、彼はそそくさと彼女から離れていく。だが、それだけでは済まなかったのか

「あ、あの!」

 彼女は、彼の背中に少し大きな声で呼びかけた。それによって、彼の身体がゆっくりと振り返る。

「何だ?」

「…名前を、教えてくれませんか?」

「……ライル・エルウッドだ」

 彼――ライル・エルウッドは、そう自分の名前を端的に名乗った。

「ライルさん…ですか?」

「さん付けなんかしないでくれ。ライルでいい」

 そんな呼ばれ方に慣れていないのか、彼は視線を逸らしてそう言った。

「え、えっと……じゃあ、ライル。ありがとう…」

「お礼を言われるほど、大したことをしたつもりじゃない」

「そ、そうだよね…」

 そんな彼との会話が慣れてきたのか、口調も少しずつ堅苦しさが無くなってくる。緊張していた彼女は、一体どこにいったというのだろうか。

「そっちは?」

「え?」

「いや、だから、お前の名前」

「あたし……?」

 自分に向かって指を指し、辺りをキョロキョロと見回す。少し興味があるのか、こちらへと視線を向けている生徒たちもいたが、自分たちの回りには特に誰かがいるわけではない。ということは、やはりその質問は自分に向けられたものらしい。

「お前以外の、誰がいるんだ…」

 はぁ……と、ライルはため息をつく。そんな彼の反応を見て、彼女は苦笑を漏らした。

「えへへ…ごめんなさい。あたしは、(まがの)薙刃って言います」

 彼女――勾薙刃は、笑顔でそう言った。

「ん…。覚えとく」

「とか言ってる人は、次の日には忘れてるんだよね」

「……何でそうなる」

 彼と話をしている中、身体中に溜まっていた緊張感はすでにどこかへと消え去ってしまっていた。彼女にとっては、それが嬉しいことこの上ない。

「おい、そろそろ入学式が始まるんじゃないのか?」

 そう言われて、薙刃は手元の時計に目を通す。確かに、もうそろそろ始業式のため体育館へ移動する時刻がやってくるはずだった。いくら薙刃といえども、一日目から遅刻して先生に目をつけられてはたまったものではない。

「あ、ホントだね」

「ん……。じゃあな、“薙刃”。機会があったら、また今度」

 ライルに自分の名前を呼び捨てされて、薙刃の内心は再び喜んだ。それが何故か、彼女はまだ知る由もないのだが。

 ただ……

「うん。またね」

 これからの学校生活が、楽しいものになっていくに違いない。

 彼女に、そう自信を持たせるには、あまりにも彼との会話は十分だった。

(また……会えるかな)

 そんな彼女の願いは、すぐさま叶うことになるのだが、今はそれは置いておこう。

 

 

 

 

 昇降口まで着くと、各クラスの下駄箱置き場の前に、クラス分けが記してある紙が貼ってあることに、薙刃は気付いた。いくつかの生徒が、そこらで屯っており、それが彼女にとって少々の障害にはなったが、持ち前の視力もあって、間近まで近寄る必要はなかった。

(えっと……。あたしのクラスは…)

 A組、B組、C組と、少しずつ視線を移していく。そこまで探したが、まだ自分の名前はそこにはない。

 だからといって、前にも記したとおり彼女には、昔からの友達がいないため、動揺したりショックを受けたりすることはない。

 落ち着いた様子で、次へ次へと視線を動かしていく。

 と……

(あ、あった)

 ――勾 薙刃

 その名前があったのは、F組、34番のところであった。だからといって、特別な感情が湧き上がるわけでもない。それよりも……

(えっと、ライルは……)

 彼女の視線が、それを探して動き続ける。彼の名前は、今までのクラスの中では見当たらなかったためだ。

 やがて一般クラスから、特進クラスのクラスへと彼女の視線が移る。特進クラスというのは、いわゆるエリートクラスのことだ。聞いた話によると、内申点が40オーバー。はたまたテストでも、偏差値が70近くないと行けない。薙刃にとってはとんでもない領域にいる人間集団のクラスなのである。

 しかし、そこに彼の名前は――あった。

 ――特進クラス ライル・エルウッド 19番

 それを見て、薙刃は感心したような表情を浮かべる。雰囲気から『できる』人間だったが、案の定特進クラスだったとは……。

「すごいんだね……」

 ボソリと呟く。ざわざわと騒ぐ生徒たちのせいか、その声は誰にも聞かれることはなかった。

 と、そんな時……。

『新一年生の皆さんは、体育館に集まってください』

 そう、大人の男性の声がスピーカーから生徒たちの耳に届けられる。恐らく、入学式がもうそろそろ始まりを告げるのだろう。

 昇降口に集まっていた生徒たちは、ゾロゾロと体育館に移動を始める。薙刃もそれの例外ではなかった。

 

 

「えー、我が校は……」

 いくつかの話が終わり、校長の長々とした話が始まってもう何分経ってしまっただろうか。いつになっても、この時間は憂鬱というか、何というか……。

確かにそういう話にはタメになるものもあるが、これだけ学校のことを長々と説明されては、真剣に聞こうとしている人間ですら少し嫌気が差してきてしまうというものだ。

 案の定、薙刃にも少しずつ睡魔が襲い掛かっていた。目がトロンとして、瞼が少しずつ下がっていく。眠たい目で周りを見回せば、いくつか眠っている生徒も目に入った。

「……ということで、私の話は終わります」

 と、そんなことを考えていると、やがてその話は終わりを告げた。ついでに言えば、その話の八割がたはほとんど聞いていなかった。

「ありがとうございました。では、新入生の感謝の一言として……」

 生徒会会員の声が、体育館に響き渡る。だが、薙刃にとって、そんなことはどうでもいいのも同然だった。どうせ、ほとんどの生徒を知らないが故だ。だが……

「ライル・エルウッド君、お願いします」

 その口から出た名前に、薙刃は驚愕した。

(え……?)

「はい」

 しかし、当の彼本人は、それが当たり前のように立ち上がり、壇上へと上っていく。どんな理由のためかは謎だが、それによって周りがざわつき始める。

 一言言えば、この学校に彼のような外国人のような名前の人物は珍しくはない。現に、薙刃の見た特進クラスの中でも、数人かは、ライルのようにカタカナの名前だった。

 しかし、それが代表として選ばれるとなると、これはとんでもないことだ。

 噂によれば、毎年のこの瞬間に選ばれるのは、新入生の中で一番優秀といわれる人物だといわれている。となると、彼がこの学校の……

 ――首席、ということになる。

 そんな生徒たちの心境を無視するかのように、ライルは言葉を続ける。

 雰囲気的には、まさしく優等生。一体、どれだけの学力を彼は秘めているというのだろうか。

「今日は、私たちのために、このような式を開いていただき、真にありがとうございます」

 その挨拶から始まり、彼は教師たちが座る方へと頭を下げた。その動きは、薙刃の目から見ても、慣れているように思える。

 すらすらとはっきりとした声で、ライルは用意しておいた感謝の言葉や、これからの抱負などを話し続ける。

「あの人、かっこよくない?」

 薙刃の後ろから、そんな声が聞こえる。気付けば、何人かの女子生徒は彼に向かって熱烈な視線を向けているのが分かる。

 無理もないといえば、無理もない。彼の容姿も、予想される学力同様、かなりのものに分類されるだろう。これだけ出来て、顔もいいとなれば、女子の中に興味を持つものがいたところで、それは何ら不思議ではない。

(むぅ……)

 しかし、薙刃はその言葉を聞いて、少しむっとした。怒りというわけではないが、何故か女子生徒がそんな噂をしているのを聞くと、やけに気分が落ち着かない。

 

 そんなうちに、やがてライルは壇上の上での話を終え、ゆっくりと自らの席へと戻った。

「ありがとうございました。次は……」

 生徒会の役員が、その続きを促す。そして、教師が教壇に昇っては降り、昇っては降りて……入学式は終わりを迎えた。

 

 

 教室に戻った薙刃は、一端持ってきた鞄を開いて、その中身を確認する。健康カードだの何だのと、この日に提出するべきものは、夏休みの課題の次ぐらいに多いためだ。

(よかった……。全部、あった)

 持って来るべきものを全て確認して、薙刃は小さく安堵のため息をつく。と、その時。

「……」

 ジーッとこちらに向けて、視線を送る一人の女子生徒がいることに、薙刃は気付く。

 彼女の栗色のショートヘアーが、また独特な雰囲気を出しているが、その顔はまるで表情を変えることがない。無表情……と言ったほうが、表現としては正しいかもしれないが。

 だが、薙刃の目からしても、彼女は可愛いという分類に入る女子生徒だった。

 

 どうしようかな……と、薙刃は考える。

 何で見られてるのかとか、そういうのはあまり、彼女にとっては問題じゃない。寧ろ、悩んでいるのは、それにどう対処すべきかということ。

 様子を見ているからに、彼女は自分に対して何か興味があるらしい。となれば、ひょっとすれば、ここでの友達、一人目となるかもしれない。だが、彼女にはどこか不思議な感覚がある。話しかけても話題が合うだろうか……とも思ってしまう。

 しかし、話しかけなければ、やはり何の意味もない。少しは悩みを持ちながらも、薙刃は視線を向けている女子生徒に話しかけることに決めた。

 ゆっくりと自分の席から立ち上がり、その女子生徒の下へと薙刃は歩み寄る。それでも、彼女の顔色は何一つ変わることはない。

「おはよう」

 そう薙刃が声をかけると、ようやくその女子生徒の身体が反応を示した。

「……おはよう」

 まるで呟くような大きさで、喋られる彼女の言葉。

「あたしは勾薙刃。よろしくね!」

 軽く微笑んで、薙刃は彼女に片手を差し出す。

 その意図を読み取って、その女子生徒も自らの手を出した。薙刃は、その手を強く握る。いわゆる握手というものだ。

「……私は、鏡乃(かがみの)迅伐

「えっと、それじゃあ、迅伐……でいい?」

「……うん」

 彼女の表情が、ほんの少しだけ明るくなった。本当に、『ほんの少し』だが。

 それにつられて、薙刃も笑う。と、そこへ……

「迅伐。いる?」

 見た目からして、お姉さんのようなイメージを抱かせる女子生徒が、薙刃たちの教室へとやってくる。

 彼女の黒色の綺麗な長髪は、男子、女子関係なく、惹き付ける不思議な魅力があった。

「……鎮紅ちゃん」

 その声が聞こえたのか、鎮紅と呼ばれた女子は、こちらへと視線を向ける。

「あっ、迅伐……と、誰かしら?」

 二人に近づいてきた女子は、薙刃を見て首を傾げた。恐らく見覚えがないためだろう。無論、薙刃にも彼女は見覚えがない。

「……薙刃ちゃん。……私の友達」

 ――友達。

 迅伐にそう言われて、薙刃は嬉しくなった。

「こんにちは」

「こんにちは。へぇ…。一日目で新しい友達が出来るなんて、ラッキーね。迅伐」

 にっこりと彼女は微笑んで、今度は薙刃へと視線を移す。

「初めまして。私は神刀(みとう)鎮紅。よろしくね。薙刃」

「こちらこそ。鎮紅……さん」

「鎮紅でいいわよ」

 苦笑いを漏らして、彼女はそう呟いた。

 そんな彼女に、迅伐が隣から尋ねる。

「……今日は、どうしたの? 鎮紅ちゃん」

「とりあえず、様子を見に来ただけよ。見てる感じだと、結構大丈夫そうだけど」

「……うん」

「二人って、元々は同じ学校?」

 浮かび上がったそんな疑問を、薙刃は二人に尋ねる。今まで、表情の変化ですら乏しかった迅伐が、これだけ誰かと話をしている。ということは、よっぽど話しなれた相手だということだ。

「まぁ、そんなところね」

「……うん」

 なるほど……と、薙刃は、心の中で納得する。同じ学校からの友人だとすれば、迅伐がよく話すのも分かるからだ。

「へぇ。じゃあ、二人が仲いいのも分かるよ」

 うんうんと軽く頷き、薙刃はそう言った。

 そんな時、始まりを告げるチャイムが、学校中に鳴り響いた。

「あっ、そろそろ戻らないと。じゃあ、また。迅伐、薙刃」

 それに気づいて、鎮紅は急ぐように教室から出ようとした。が……。

「うん。またね」

 薙刃が声をかけた次の瞬間、鎮紅の身体がグラッと前のめりになる。

 どうしてそうなったのかは分からない。彼女の足元には、何ら引っ掛けるようなものはないはずなのだが……。

「……あら?」

「……あ、鎮紅ちゃん」

 気付いたときにはもう遅い。鎮紅の身体は、そのままゆっくりと倒れていき……やがて廊下へと勢いよく倒れ伏せた。

「鎮紅!?」

 薙刃が彼女を心配して、急いで彼女の元へと走り寄る。迅伐も、それに続いた。

「大丈夫?」

「あ、あはは。大丈夫よ、大丈夫」

「……足元、見ないから」

 その迅伐の言葉に、鎮紅はうっ、と、言葉を詰まらせる。

「仕方ないじゃない。私はどうせドジッ子なのよ!」

 拗ねたようなそんな態度に、薙刃は一瞬だけ驚き、キョトンとした。しっかり者のお姉さん的イメージを抱かせる彼女が、これほどまでに子供っぽい仕草をするとは思っていなかったからだ。それを彼女にいえば、すごく失礼なことだと分かっていても。

「それよりも、早く戻った方がいいと思うよ? そろそろ先生が着くころだろうし」

「それよりもって……、薙刃、意外と毒舌ね」

 ショックを受けながらも、鎮紅はゆっくりとその場から立ち上がった。転んではいるが、どうやら外傷などはないらしい。

「じゃあね。二人とも」

 今度こそ、彼女は何にもつまずくことなく、廊下を駆け出していった。それをみてから、迅伐がホッと安堵のため息をつく。

「そろそろ、あたしたちのクラスも、SHRが始まるころだね。座って待ってることにしようか。迅伐」

「……うん」

 薙刃が迅伐にそう提案して、二人は教室の中へと戻る。やがてしばらく経つと、担任の教師が自分たちのクラスにやってきた。

 そして、今日ここから、薙刃の三年間にわたる学校生活が始まるのである。

 

〜初日〜 終了