「……?」
 最初に気付いたのは、微細な違和感。
 それは視界の端に、ある人物を捉えた瞬間でもあった。
(あいつ……。どうしたんだ?)
 彼――ライルは彼女――薙刃の変化に少し気を止める。
 彼女の周りには、そう――何か暗黙な空気が流れている。
 あくまでも感覚にしか過ぎないが、そんな感じがした。
 だが、その理由が見当たらない。
 遠足はまだ始まったばかりだろうし、それ以外の何らアクシデントが起こったわけでもなさそうである。
 いや、ただ単に自分の見ていないところで何かが起きただけなのかもしれない。
 しかし、彼女をそれほどまでに落ち込ませるものとは一体?
 ライルは、それを疑問に思う。
 ――いつでも彼女は元気だった。
 ――いつでも彼女は明るかった。
 そんな彼女が、大した理由で落ち込むはずがない。
 そう、ライル自身が考えていたためだ。


「……どうしたの? ライル」
 不意に足を止めたライル。
 そんな彼の行動を不思議に思ったガルシアが、彼に声をかける。
「……あ、いや。何でもない」
 振り返りざまに、そう言葉を返す。
 しかし、彼は何かを気にしているようにも見えた。
 長年の腐れ縁という奴だ。
 それぐらいのことは、容易にわかる。
 ただ――彼の心には、未だ謎の部分がある。
 誰にだって、秘密や事情があるというが、彼といえどもその例外ではないのだ。
 彼の目線の先には――誰もいない。
 今まで彼は何を見ていたのだろうか。
 何を見て、何を思っていたのだろうか。
 それさえも分からない。
 幼馴染といえども、人間の真たる部分にはやはり踏み込めないのである。



彼女と彼の運命 〜遠足(後編)〜




 鎮紅と薙刃の探検が始まってから、数分。
 ようやく薙刃の表情にも、笑顔が戻ってきた。
 つまり、それは彼女らしくなってきたということでもある。
 それを見て、鎮紅もひとまずは安堵のため息をつく。

「ところでさ、鎮紅」
 そんな中、不意に薙刃から声をかけられる。
「何? 薙刃」
「迅伐って、何のために薬を作ってるの?」
「……え?」
 その問いに関しては、思わず言葉を失ったといってもいい。
 いや、どうコメントしていいのかすら分からなかった。
「ひょっとして、人の命を救うため?」
「あー、それは……ね」
 迅伐の行っている行為。
 それは薙刃の期待するような、善意に満ちたものでは決してない。
 だからといって、逆というわけでもない。
 つまりは……何というのだろうか。
「趣味……かしら」
「薬を作るのが?」
「そ、そうね」
「へぇ……。迅伐って、趣味で薬が作れるんだ」
 感心した様子で話す薙刃。
 だが、迅伐の行為はやはりそんな尊敬を抱かれるようなものではない。
 それは、実際に彼女が作った薬を飲んだことがある鎮紅自身が痛感している。
 あれは――薬という表現は間違っている。
 何と言うか、闇鍋というかごった煮というか。
 とりあえず、あるだけのものを使って、薬を作る。
 幸いなのが、偶然?にもその中に毒物が含まれていないということだ。
 だが、味はほとんど毒物に近い。
 
 ――良薬は口に苦し

 そんな言葉があるが、あれは決して苦くはない。
 尚更、良薬ですらない。
 いや、例えそうだとしても、飲みたくない。
 それほどまでの味。
「薙刃。一つだけ言っておくわ」
「……? 何?」
「迅伐に……『薬がほしい』って言っちゃダメ」
「え? どうして?」
 薙刃は思わず首を傾げる。
 彼女の趣味と言われた以上、それを不思議に思うのは無理もないだろう。
 鎮紅は言葉を続ける。
「詳しいことは話せないわ。でも、絶対に言っちゃダメ。場合によっては、死ぬかもしれないから」
「う、うん……」
 何故、そのことを口にすると死ぬのかわからなかった。
 だが、鎮紅の鬼気迫る言葉に、思わず薙刃も首を縦に振った。
「じゃあ、探検再開よ!」
 高らかにそう宣言し、鎮紅は再び前へと歩き始める。
「おー!」
 呼応して、薙刃もその後ろについて歩く。
 その表情に、影は窺えない。
 どうやら、今だけは彼女の気持ちも楽になったようだ。
 そう――今だけは。


「…………」
 誰の気配も感じ取れない場所で、一人佇む人影。
 それは――リタ・レーンだった。
 先ほどの薙刃との会話以来、彼女の心には妙に引っかかるものがあった。
 冷静になってみれば、ライルが誰と帰ろうと自由ではないかと気付く。
 彼が考え、彼が行動する。
 その意思は、当然自分にはどうすることも出来ないし、またどうかするべきでもない。
 だとしたら、薙刃と帰ることを決めたのも彼の意思。
 そうだとしたら、自分にとやかく言う筋合いはないのではないか。
 先ほどの彼女に対する言葉はただの八つ当たりではないかと思う。
 しかし、そう考えると、またもや疑問が残る。
 何故、ライルと彼女が一緒に帰っているのが気にいらなかったのだろう。
 何故、彼女に八つ当たりなどをしようと思ってしまったのだろうか。
「私は……」
 ライルと薙刃が一緒に帰っているのを見て
 何を考え、何を思った?
「私は……」
 彼女は苦悩する。
 薙刃を指摘したことで、気付かされる。
 自分にとって、ライルは――ただの幼馴染なのだろうか。と。
 そして、この胸の痛みは何なのだろうかと。



「決めた」
 唐突に薙刃が口を開いた。
「え? 何が?」
 鎮紅にとっては、何が何だか分からない。
 怪訝そうに、彼女は薙刃の様子を窺う。
「やめるよ。もう誰かに甘えるのは」
「え……? それって、どういうこと?」
 笑顔でそう口にした薙刃の様子に、鎮紅の頭には嫌な予感がよぎる。
 決意の込められた彼女の瞳。
 こんな彼女など、今までに見たことがなかった。
 薙刃は、鎮紅の問いかけに変わらず笑顔で返す。

「秘密だよ」


 それぞれの想いが交錯する。

 人々は苦悩し、自らの答えを探す中で

 今日という一日は終わりを告げた。




続く