彼女と彼の運命 〜初日・彼の場合〜

 

 

 

――またあそこの子供は、主席みたいよ

――さすが、出来が違うわね。

 毎日のように、そう噂する大人たち。

 しかし、大人たちは彼のことを何ひとつ分かってはいない。

 

 彼らは――彼の努力を決して認めようとしない。

 

 彼はそれが嫌だった。努力という存在を認めず、『名目』というもので彼を決め付けるこの世界が嫌だった。

 

 今回だってそうだ。

 主席で合格したことをまるで当たり前のことのように噂する大人たち。

 その影で行われていた彼の努力など、彼らは知る由もない。

 だからこそ、憎い。


 ――大人たちも

 

 ――自分にまとわりつく名声や名目も

 

 ――自分自身も

 

 

 

 風が吹く。それは強く、街道に咲き誇る桜をまるで吹雪のように舞い上がらせる。

……

 新しい制服に身を包んだ彼――ライル・エルウッドは、その光景に見惚れる形で、顔を上げ足を止めた。

 だが、すぐに顔を戻し、足を進める。彼にとって、そんなものに見惚れている時間はない。

 と……そこへ

「ん……?」

 上空を飛ぶ帽子、そしてそれを追いかけるようにして走る女子生徒の姿が、彼の視界の内に入った。

 彼女の頭には、帽子が被られていない。ということは、あの飛んでいる帽子は彼女のものである可能性が高い。

 厄介ごとになりそうだな……とは思いつつも、彼は少し身体を伸ばし、飛んでいた帽子を片手でしっかりと掴んだ。

 その行動は、恐らく彼の優しさが故だったのだろう。

「これ君の?」

 そのまま帽子を片手に持ち、走ってきた女子生徒に向かってそう尋ねる。

 走っていたせいか、息を整えながらも、その女子生徒は

「あ、はい。ありがとう……

 と、答えた。

「今度は気をつけて」

「あ、はい……

 それだけを言うと、ライルはその場からそそくさと去ろうとした。元々、あんまり人と話そうとは思わないし、第一、自分は彼女のことを知らないからだ。

 と、そんなライルの後ろから、あの女子生徒の声が聞こえてきた。

「あ、あの!」

 呼びかけるようなその言葉に、ライルは身体を振り向かせた。

「何だ?」

……名前を、教えてくれませんか?」

 何故だろう……と、ライルは思ったが、特に隠す必要もない。どうせ、すぐに分かってしまうことなのだから。

……ライル・エルウッドだ」

「ライルさん……ですか?」

 ライルにとって、さん付けされるのは久しぶりのことだった。それ故か、そう呼ばれるのには妙な抵抗が、彼にはあった。

「さん付けなんかしないでくれ。ライルでいい」

「えっと……じゃあ、ライル。ありがとう……

 二度目の感謝の言葉が、彼女の口から漏れる。

「お礼を言われるほど、大したことをしたつもりじゃない」

「そ、そうだよね」

 その言葉に納得したのか、その女子生徒はライルから視線をそらした。それよりも、彼にとって少し驚きだったことは、すぐさま自分を名前で呼んだことだ。実際、そう頼んでもすぐさま『ライル』と呼ぶ女子を、彼自身はあまり見たことがなかった。

「そっちは?」

「え?」

 だからこそ、彼女に少し興味が湧いたのかもしれない。考えてもみれば、くだらなすぎる理由だが。

「いや、だから、お前の名前」

「あたし・・・・・・?」

 彼女は自分自身を指差し、ライルに確かめるようにして尋ねた。辺りには自分たち以外にいないというのに、視線をキョロキョロと動かしている彼女の反応が、面白い。

「お前以外の誰がいるんだ……

 ライルは小さくため息をつく。そんな自分を見て、彼女は苦笑いをもらした。

「えへへ……ごめんなさい。あたしは、勾薙刃って言います」

 笑顔でそう名乗る女子生徒。

「ん……。覚えとく」

「とか言ってる人は、次の日には忘れてるんだよね」

 決して図星というわけではなかったが、的確な何かをついた彼女の一言は、少しライルの言葉を詰まらせた。

……何でそうなる」

 そう返すと、彼女はそんな彼の心境を読み取ったのか、笑顔になった。そこに含まれる何かのせいか、ライルは彼女に何も言い返すことは出来ない。

 それを誤魔化すつもりで、ライルは自らの手元の時計に目をやった。

「おい、そろそろ入学式が始まるんじゃないのか?」

 そう伝えると、彼女も自分と同じように時計に目を通した。

「あ、ホントだ」

「ん……。じゃあな、薙刃。また今度」

 そう言って、ライルは走り出す。

 とは言っても、彼が早めに行こうとするのは、教師たちとの事前の打ち合わせがあるからである。普通は数時間前からするものだと思うが、何故かこの学校は数分前から打ち合わせをするのが伝統だそうだ。それだけで、ちゃんとした挨拶が出来るのだから、選ばれる人間もさすが……と言ったところだろう。

「うん。またね」

 そう彼女の声が、背中越しに聞こえた。

 

 何の変哲もない先ほどの会話。

 しかし、それを楽しんでいた自分がそこには――いた。

 

 

 

 

「……ということで、よろしいかな?」

 ある程度のことを説明し、そうライルに尋ねる一人の教師。

「はい……」

 そう答えるライルだったが、ほとんどその内容は聞き流していたも同然だった。

 やはり学校というだけあって、頼まれることは綺麗ごとばかり。

『三年間を規律よく過ごしていく』だとか『勉学に励み……』だとか、教師が口にするのはそんなことばかりだ。まぁ、仕方ないといえば仕方ない。さらに言えば、もう数回近くこんな挨拶をしてきたライルにとっては、この程度のことは慣れてしまったも同然のことだ。

「じゃあ、頼むよ。ライル・エルウッドくん」

「あぁ……」

 そう言って、座っていた椅子から腰を上げる。時計を確認すれば、入学式まで後10分近く。この様子だと、教室に行くまでもないだろう。

「先に待機しておいていいんですか?」

 立ち上がったライルは、確認のため、目の前に座る教師にそう尋ねる。これでダメだと言われたのならば、どこにいればいいだろうか……と、考えなければならないところだが。

「別に、構わないが」

 教師は、その問いにそう答えた。ライルにとっては、これで安心して体育館で待機していることが出来るわけである。

「どうも……」

 一回、教師に対して頭を下げて、ライルはそそくさとその場から去っていった。

 

 

「ライル・エルウッド君、お願いします」

「はい」

 そう呼ばれ、返事をして立ち上がる。緊張はほとんどない。頭の中では、綺麗ごとばかり並べた言葉が、今か今かと出番を待っていると言ったところだろう。

 壇上に昇るための階段に向かう中、背後からは生徒たちの関心の視線が注がれ、側部には教師たちの期待の視線が向けられている。

(はぁ……)

 心の中でため息をつく。どうして、自分はこんな場所にいるのか。

 本当だったら、後ろにいる生徒たちの一人として、壇上に昇る生徒に向かって、今と同じような視線を向けていても構わないはずだ。

 それなのに……。

「今日は、私たちのために、このような式を開いていただき……」

 運命は――思い通りにはなってくれない。

 

 

「ふぅ……」

 机に突っ伏しながら、何度目かのため息をつく。

 数えようとは思わないし、第一、数えたくもない。

「さすがね。ライル」

 と、そこへ一人の女子生徒がやってくる。茶色がかかったショートヘアに、聡明な顔立ちをしている。見た目だけでも、『出来る』人間の一人といったところだろう。

「リタか……」

 突っ伏していた顔を上げ、ライルは彼女の名前を呟いた。

 彼女の名前はリタ・レーン。ライルの幼馴染の一人である。彼女自身は、ライルのことを好敵手のように思っているらしいため、事あるごとに勝負を挑まれることもしばしばだ。

「……どうかしたの?」

「別に……。大したことじゃない」

「そう……。なら、いいけど」

 端的に返しあう二人。しかし、決してそれは仲が悪いためではない。単純に言えば、お互いに口下手なのである。頭はいいが、その場に見合った言葉というものを見つけるのは、ライルもリタも、あまり得意とはしていなかった。

「それよりも、ライル」

「何だ?」

 彼女の手元には、春休み中の課題が握られている。ということは……つまり、あれである。

「課題テスト……。勝負」

 リタの視線は、まるで何かが燃え上がっているかのように、力が入っていた。彼女らしいといえば、彼女らしいので、あえてそこは苦笑を浮かべておくことにする。

「たまには、勝負とか考えなくてもいいんじゃないか?」

 何となくそう尋ねると

「ダメ。絶対勝つ。それと、手加減したら、許さない」

「……はぁ。分かったよ」

 その一言は、リタの闘志に完全に火をつけてしまったようだ。こうなれば、わずかに点が低くなっても、『わざとだ』と、文句を言われる始末になる。

「あはは……。ライルも、大変だね」

 そんな二人の様子を見守っていた一人の男子生徒が、機を見計らって彼らに話しかける。笑顔を浮かべるその顔は、優しげな雰囲気を醸し出すが、すらりと伸びたその体つきはどこか大人っぽさも出していた。

 彼の名前は、ガルシア・ルルス。彼もまた、ライルの幼馴染の一人である。

「見てたなら、止めてくれよ。ガルシア」

「それ、どういう意味?」

 『勝負から逃げるの?』と言わんばかりの、イライラさせたオーラで、リタはライルを見つめる。

「いや、そういうわけじゃないんだが」

 その視線に少し怯えながらも、そうリタに返す。

「ライルも、口ではリタさんには勝てないんだね」

「ぐっ……」

 ガルシアの一言にも、悔しいがライルは言い返すことは出来ない。首席といえども、完璧ではない。それを現すかのような、彼の反応であった。

「そ、それよりも、そろそろSHRが始まるぞ」

 時計を見て、思い出したかのようにライルは言う。これは話題を逸らすためであったのだが……。

「誤魔化した……」

「誤魔化したね。ライル」

 はっきり言って、二人にとっては、何の意味も持たない一言であった。

 それから担当の教師がやってきたのは、数十分後のことである。

 

続く