「よし、決めた!」
バンッと強く机を叩き、大声を出して勢いよく薙刃は立ち上がる。
その机の上に置かれるのは、部活動の登録用紙。
ついでに、その紙の提出期限は明日の放課後までであり、それを超えると部活に所属していない――俗に言う帰宅部と同格の扱いとなる。
「……決まったの? 薙刃ちゃん」
彼女と向かって座っていた迅伐が、読んでいた本から目を逸らし、そう声をかけた。
ついでに言えば、その本のタイトルは『植物大全集』とかいうかなり太めの辞書のような本である。
「うん! ここにする」
そう言って、薙刃は部活動説明用紙の一箇所を指差す。迅伐がそこに目を向けると、そこに書いてあったのは
――応援部
「……応援部」
「うん。ここだったら、あたしに向いてるかなって……」
「……薙刃ちゃん」
やり遂げたような表情をする薙刃に、いたって冷静に迅伐は声をかけた。
「何? 迅伐」
「…………」
そう言って、迅伐も部活動説明用紙の一箇所を指差す。
薙刃が、そこに目をやると、とある一文が目に入った。
――男子のみ
「……じゃ、じゃあ、これ!」
慌てたように違う箇所を指差す薙刃。そこに書かれてあったのは……。
――チアリーディング部
それを確認して、迅伐は顔を頷かせる。
「……うん。そこだったら、向いてると思う」
「本当!?」
ほとんど適当にも見える決め方だったが、あえて迅伐はそれに関して何も言うことはない。
だからといって、彼女の言葉が適当なわけではなく、薙刃にそれが似合うという言葉は彼女の素直な感想が故だ。
「……でも、きっと大変」
そう。一つ心配があるとすれば、彼女の言うとおり、大体、応援関係の部活というとかなり大変なものに分類されるであろうがためだ。
毎日、遅くまで残ることは当たり前だろうし、様々な挫折に打ち勝つ屈強な精神力も必要になる。
しかし、それを聞いて、薙刃は笑顔で
「そこは大丈夫。あたし、結構がんばれる方だから」
迅伐が安心出来るよう、そう言った。
「……それなら、いいよ」
「うん! じゃあ、今から出してくるね」
そう元気に答え、薙刃は座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。
恐らく向かう場所は、担当の教師がいる職員室。
「……じゃあ、私は待ってる」
「うん。ありがとう。迅伐。出来るだけ、早く戻ってくるから!」
そう言うと、彼女は早々に職員室へと歩みだした。
元気な彼女のことだ。恐らく、数分もすれば、戻ってくるだろう。
しかし……迅伐にはもう一つだけ悩みがあった。
「……薙刃ちゃん、大丈夫かな」
迅伐は、彼女の選んだ部活を心配する。
それは、彼女にやる気がないからではない。彼女のやる気は、見た目だけでも十分に伝わってくる。
また、性格に問題があるわけでもない。彼女は誰にでも親切かつ元気に対応して、彼女のことを嫌っている生徒はほとんどいないぐらいだ。恐らく、部活に入っても人間関係は良好となるだろう。
しかし、一つだけ問題がある。それは……。
「……遅くまで残るのはいいけど、薙刃ちゃん、可愛いから……」
そう、親友として、彼女に対する心配はまさしくそれであった。
彼女自身は、あまり気にしていないようだが、薙刃はクラスの中でも1、2を争うほど容姿秀麗な人間である。迅伐も、そのうちの一人としてカウントされているのだが、とりあえず今はそれは置いておこう。
そのため、クラスの男子生徒からは影ながらに薙刃は人気がある。『話しやすい』、『可愛い』、『裏表がない』、『いつでも元気』などという要素が揃っていれば、少なからず興味を抱くのは至極当然といったところだろう。
だからこそ、不安なのだ。彼女がたった一人で、暗い夜の帰り道を歩くことになるということが。
だからと言って、自分が残っていても何ら力にはなれない。やはり、誰か信頼の出来る男子生徒が必要になるだろう。だが……今、彼女にそれに該当する人間は誰一人としていなかった。
「……誰か」
そう考えて、迅伐はたった一人だけ該当する男子生徒がいるかもしれないことに気付いた。とはいっても、自分とその男子生徒は、会話したこともないし、まともに顔を合わせたこともない。
しかし……話し合ってみる価値はありそうである。
「……ライルさん」
迅伐は、一人密かに決心する。とはいっても、やはり彼女の表情は無表情でしかないのだが。
彼女と彼の運命 〜相談〜
「…………」
「…………」
これほどまでに気まずい瞬間が、今までにあったであろうか。
特に意味もなく、彼の頭はそんなことを考える。
「…………で、何なんだ?」
このままでは、一向に何も進展しないと結論付け、目の前に無表情に佇む女子生徒に対して、彼は声をかけた。
そんな彼の言葉に、呟くように彼女は
「……協力して」
と、端的にそう言った。
「……は? 協力? 何の?」
思い当たる節がなく、彼は首を傾げた。
というか、自分の目の前にいる女子生徒が誰なのか、未だに彼は知る由もなかった。
知らない女子生徒から、突然呼び出されて協力を頼まれるというのはやけにおかしな話である。
「……薙刃ちゃんの」
その途端、彼の身体がピクッと反応を示した。
どうやらこの様子だと、彼――ライル・エルウッドも薙刃のことは知っているようだ。
あとは、この問題の重要性を語るだけの技術が、迅伐に求められるわけである。
「あいつが……どうしたんだ」
自らが反応を示してしまったことで、『知らない』などと騙し通すことを諦めたのか、ライルは少し興味を抱きつつ、迅伐にそう尋ねた。
「……薙刃ちゃんが、部活を選ぶのに、迷ってたのは知ってる?」
「あぁ、そういえば、そんなことを言ってたな」
その点に関しては、ライルも自らの記憶の中で該当する部分があった。
相談……というほどのものではないが、それに近いものをしたはずだ。ライルの記憶が、そう訴えている。
「……部活、決まったの」
「へぇ。……って、それの何に問題があるんだ」
悩んでいた部活が決まったから、よかったじゃないか。
そういいたげなライルに対して、迅伐は一言告げる。
「……薙刃ちゃん、チアリーディング部だから」
「チア……リーディングだって?」
「……うん」
そう言われたライルの頭に思い浮かぶのは、大まかな彼の想像。
薄手の服を羽織り、短いスカートを履いて、自らの学校のチームなどを応援している映像が目に浮かぶ。
「へ、へぇ……」
意外と言えば意外であり、似合っていると言えば似合っているものだった。少なくとも、彼の想像内で彼女のチアガール姿というものは、決して嫌悪感を抱くようなものではなく、どちらかというと興味を抱かせるようなものだ。
しかし、彼の最初の想像は、あくまでも『運動系』の部活であった。陸上部だとか、そういうものを予想していた彼にとっては、やはり予想外であり最初は少し耳を疑ったほどだ。
「まぁ、それはいいとして。俺は、それに関して何を協力すればいいっていうんだ」
「……薙刃ちゃんと一緒に、下校してほしい」
「…………は?」
端的に告げた彼女は、もう一言付け足す。
「……変なことは考えないで。ただ、守ってくれればいいの」
「何で変なことを考えてることになる!? ……何にせよだ。それは一人の夜道は危ないからか?」
「……うん」
「まぁ、それに関してなら、納得なんだが……どうして俺なんだ?」
「……ライルさん以外に、候補がいないから」
「それはつまり、俺以外に適格なやつがいないわけじゃなく、はっきり言えば俺ぐらいしかコネクションがないからっていうことか?」
「……うん」
「随分、正直に言うんだな……」
やれやれ……と、小さくライルはため息をつく。
無表情で在るが故か、目の前に立つ少女は自分の考えを正直に述べる癖のようなものがあるらしい。
「……ライルさん、手伝ってくれる?」
「いや、それはさすがにだな……」
出来ないだろ……。
ライルは、心の内でそう考えた。まぁ、すぐさま口に出すことになるのだろうが。
いくら必死に説明されようと、彼女の帰りに付き添うほど彼女と親交があるわけではない。確かに夜道で一人だけで帰るというのは危ないことこの上ない話だが、それはどうしようもないということだろう。
「……そう」
そんなライルの答えを聞くや否や、迅伐は彼の腕を掴んだ。
何なんだ一体? と思い、ライルが首を傾げた瞬間……。
「痛い痛い痛い痛い痛い!! ちょ、ちょっと待てぇ!!」
すさまじい力が、彼女の手から彼の腕へと込められた。冷静に分析している場合ではないのだろうが、恐らくりんごぐらいは容易に握りつぶせそうなほどの力。
「……お願い」
「こ、こんなの、なしだろ!? 実力行使もいいところじゃ……」
迅伐は、さらに力を込める。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛いって!!」
「……お願い」
気のせいであることを願いたいが、握られている手首からはミシミシと何か嫌な音が聞こえてくる。
断りつづけるべきなのだろうが、このままでは手首がいかれてしまう。というか、剣道生命すら危うい。
「分かった! 分かったから、早く離してくれ!!」
もはややけくそ気味でそう叫んだライルの言葉を聞くと、迅伐はパッと彼の腕から手を離した。
すぐさま、先ほどまで握られていた部分を確かめてみる。
手首を曲げる際に、痛みは生じない。……何とか、手首は無事のようである。
だが、彼の息は完全に乱れきっていた。必死さだけであったら、数mの距離を全力疾走するなんかよりは、相当上のレベルであったがためだ。
「……ありがとう」
それに反して、無表情な迅伐の顔には少なからず笑みが浮かんでいた。
「ところで……お前は誰なんだ?」
ふぅ……と、呼吸を落ち着かせる意味もこめて、大きく一息つくと、目の前の女子生徒にライルはそう尋ねる。
「……迅伐。……鏡乃迅伐」
そう名乗ると、彼は一度小さく頷いた。
「迅伐か。分かった」
まだ納得は出来ていないようだったが、それに関する嫌悪感というものはどうやら彼からは感じ取れることはなかった。それだけでも、安心といったところだろう。
候補が彼しかいないと言ったのも事実だが、この様子だと相当彼のことは信頼できそうである。
「……じゃあ、お願い」
「あぁ……。って、毎日なのか?」
「……うん。出来れば」
その答えを聞くと、ライルはゲッソリとした様子で
「はいはい……」
と、仕方ないように答えた。
部活が始まるのは、約1週間後。
これに対する薙刃の反応が如何なものなのかは気になるが、それだけの期間があれば、彼も回りの人間を説得することは出来るだろう。
とりあえず、彼女の行動は、功を奏した。そう評価しても、過言ではないだろう。
「どうしたの、ライル。急に呼び出して」
「あ、いや」
どこか言いにくそうに、視線をウロウロとさせている目の前の彼。様子がおかしいと言えば、一目瞭然だ。一体、何だというのだろうか。
「リタ。お前、どこの部活に入ったんだ?」
「私? 文芸部だけど」
「そこは大体、何時ぐらいに終わるんだ?」
「文芸部? 個人個人によるけど、勉強できる時間が増えるから、私は遅くまで残るつもりだけど」
リタが、彼の問いにそう答えると、ライルは「そうか……」と言って、小さくため息をついた。
「……本当に、どうしたの?」
「あ、いや。大したことじゃないんだ」
「……?」
彼が何を言いたいのか、訳も分からずリタは首を傾げる。ただ一言。
「……ガルシアに、頼んでおくか」
そう、彼の呟きだけが、リタの耳に届いただけだった。
続く