最近の彼は、どこかおかしい。
長年、彼の姿を間近で見てきたせいか、些細な変化ですら、彼女は敏感にそれを感じ取る。
「…………」
あくまでも、それは自分の予想に過ぎないのかもしれない。
だけど――気になる。
彼が自分に対して、何かを隠しているのではないかと思うと、それが妙に気になった。
そんな感情が芽生えるのは、何故なのか?
――決まっている。幼馴染だから。
――それ以外の理由なんて、あるはずもない。
彼の背中を見つめながら、彼女は、自分にそう言い聞かせていた。
彼女と彼の運命 〜猜疑〜
――休み時間。
いつものように、あまり誰かと関わることもなく、自らの席に座ったままのライル。
そんな彼に、ガルシアが何気なく声をかけた。
「ライル、あれから何かあった?」
「いや、別に。ってガルシア。お前、何を期待しているんだ」
「うん。結構、可愛い子だったからね」
そんなことを口にしたガルシアに対して、ライルは馬鹿ばかしそうな顔をしてそれに返す。
「それがどうしたっていうんだ……。何なら、変わってもいいんだぞ」
「へぇ……。そうなんだ。じゃあ、しばらくしたら変わってもらおうかな?」
にっこりと微笑んでそう告げるガルシア。その言葉は、どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、彼の表情からは窺い知ることは出来ない。
「勝手にすればいい」
ライルはそう答え、彼から視線を外した。
そんな彼の頭に、ふと薙刃の笑顔が思い浮かんだ。
「へぇ……。ライルくんとね……」
「うん。それよりも、何で、迅伐は教えてくれなかったの? ライルが待ってるって」
「……忘れてた」
薙刃、迅伐、鎮紅の三人が集まって会話をするこの場所は、この学校の最大の休養スペースでもある食堂だ。
よっぽどのものでない限り、お金さえ払えば、ほとんどの料理を口にすることが出来る。そのバリエーションはあまりに様々だ。
今の三人は、主食を交えた食事も終え、甘いデザートを口に頬張っている……と言ったところだ。
「そんなこと言って、迅伐。本当は気を利かせてあげたんじゃない?」
「…………」
迅伐は、彼女の質問に対して、首を動かすことも、口を動かすこともなかった。
だが、彼女のことをすっかり知っている鎮紅ならば……その目を見るだけで、彼女の言いたいことが分かる。
今、彼女がしている顔は、『肯定』という意味であろう。
「やっぱり……」
「……? 二人とも、何が?」
迅伐は何も喋らないし、鎮紅は何か自分だけで納得している。
彼女等がどんな話題で話をしているのか、それでは分かるはずもなく、薙刃は首を傾げた。
「ううん。何でもないわよ」
「……うん」
「そう? それなら、いいけど……」
それでも、イマイチ薙刃は納得が行っていないようであった。
と、そんな彼女たちに、一つの声がかかった。
「誰かと思えば、薙刃じゃない」
それが聞き覚えのある声だったのか、呼ばれた薙刃は顔を振り向かせて、その人物を確認する。
その人物の今日の昼食となるのであろう、スパゲッティ―を持ちながら、そこに立っていたのはマリエッタであった。
「あ、マリエッタ」
その姿を確認して、そう思わず口にする薙刃。
「薙刃の知り合い?」
「…………」
だが、鎮紅と迅伐の二人は、彼女の姿に見覚えはなく首を傾げるばかり。
そんな彼女たちに向かって、薙刃は元気よく彼女のことを紹介した。
「うん。マリエッタ・テトラツィーニ。チア・リーディング部の先輩だよ」
「へぇ……。って、先輩? 今、確か……呼び捨てに」
「……薙刃ちゃん、敬語は?」
不思議そうな二人の視線が、薙刃へと一身に向けられる。
そんな薙刃は、ただ『はは……』と苦笑いを浮かべることしか出来ない。
「私がお願いしたのよ。あんまり敬語って、苦手なのよね」
そんな彼女をフォローするかのように、マリエッタがそう口を開いた。
「そ、そうなんだ。だから、あんまり気にしないで」
「……まぁ、そういうことなら」
「……納得」
フォローの甲斐があったのか、何とか彼女たち二人は納得できる領域までたどり着いたらしい。
内心、マリエッタに感謝しながらも、薙刃は再びデザートを口に運んだ。
「じゃあ、隣失礼するわよ」
そう言って、マリエッタは薙刃のすぐ右隣に腰を下ろした。
そんな中、ふと鎮紅が何気なく口を開く。
「じゃあ、私にとっても、先輩ってわけね」
「そういうこ……え?」
納得したように頷こうとしたマリエッタが、何かに驚いたのか目を白黒とさせた。
「どうかした? マリエッタ」
「……マリエッタさん?」
何事かと思い、マリエッタに視線を向ける薙刃と迅伐。
肝心の鎮紅自身も、訳も分からず、マリエッタの発言に耳を向けているところだ。
マリエッタは、それらに構うことなく、鎮紅を指差してこう言った。
「あ、あんたが……私よりも年下なんて、有り得ないわ!」
その瞬間――プチッと、何かが切れる音が、薙刃と迅伐の耳には届いたという。
「へぇ……。誰が誰より年下に見えないって? マリエッタさん」
こめかみを引きつらせながらも、鎮紅は表面上だけの笑顔をその顔に浮かべた。
「い、いや、それは……」
「失礼よね? 初対面に近い状態でそんなことを言われると」
鎮紅は、周りを圧倒させたまま言葉を続ける。
「さすがに先輩だろうが、何だろうが。許せるものと許せないものがあると思うのよ。それが今」
そんな怒りを露わにした鎮紅の様子を見ていた迅伐は、身体を震わせていた。
薙刃はというと、彼女の変貌振りに驚きようが隠せない。
「は、迅伐。鎮紅、どうしたの?」
「……鎮紅ちゃん、怒ってる」
小さな声でそれだけを呟き、すっかり迅伐は黙り込んでしまった。
まぁ、何にせよ……妙な口出しはしない方が得ということであろう。
薙刃は、そう頭の中で結論付け、目の前のデザートだけに集中することにした。
それでも、彼女の顔には思わず笑顔が浮かぶ。
こんな楽しい毎日を過ごせるなんて、自分は何て幸せなんだろうと思う。
そう思う彼女の一時は、瞬く間に過ぎていく。
「…………」
校門の傍らで自転車を脇に置きながら、今も部活をしているであろう薙刃を待つライル。
休み時間にはガルシアに対してあんなことを言っていながらも、結局のところ彼女を待っている自分。その行動があまりに矛盾しているせいか、妙に自分自身が情けなく感じられてくる。
かと言って、それで今の状況がどうにかなるわけでもない。恐らく暇になるであろうことを見越して、ライルは鞄の中から参考書を一つ取り出そうとした。
と、その時……。
「ライル、何してるの?」
そう、誰かに声をかけられた。
薙刃の声とは違う。もっと聞き覚えのある声。
そう、この声は――リタだ。確認するまでもない。彼の数少ない幼馴染の一人。
案の定、視線を向けてみれば、そこには自転車に跨ったままこちらの様子を窺っているリタがそこにはいた。
「あ、いや……」
何とまぁ、嫌なタイミングで出くわしてしまったことだろうか。この場に適切な言い訳というものが、見つからない。
時刻はとっくに夕方を過ぎている。それだと言うのに、校門の前で、よりにもよって自転車を脇に置きながら鞄の中を探っているとなれば、怪しいと思わない人間はいない。当然、リタもその内の一人である。
「何、してるの?」
幸いだったことが、まだまだ薙刃の部活は終わらないであろうということだった。こんな場面で薙刃が現れれば、どんなことになるか容易に想像が出来てしまう気がする。
「あ、あぁ。今日の復習をしようと思ったんだ」
「嘘」
「うっ……」
即座に彼女に言い訳を見破られ、次に言うべき言葉を見出すことができない。
「本当に、何してるの?」
「あ、いや……」
どうやら自分には嘘というものは向いていないらしい。かといって、事実を言えるはずもない。ただ、時間だけが過ぎていく。
そんな彼を救ったのは……もう一人の幼馴染の声であった。
「ありがとう。ライル」
突如、鞄から拾い上げた自らの参考書が誰かによって取り上げられる。
そちらへ顔を向ければ、そこには――ガルシアの姿。
「本当に待っててくれたんだね。助かったよ」
困惑を隠せないライルとリタの二人に対して、ガルシアは笑顔を浮かべながらそう言った。
「……どういうこと?」
「あぁ、リタさんもいたんだ。偶然だね。実は、今日、ライルにこの参考書を貸してもらう予定だったんだよ。そうだよね? ライル」
「え? あ、あぁ……」
ライルにとっては、何のことだかさっぱりだが、どうやら自分に向けられる疑いの目をガルシアは晴らそうとしてくれているらしい。
それに対して、リタは不審そうに二人の様子を窺う。
しかし、しばらくすると、どうやら納得したようで
「……それならいいけど」
と、渋々ながらに、彼女はそう言った。
そんな彼女の答えを聞くや否や、今度はガルシアがライルに対して
「あ、そういえばライル。今日、遅くまで残って復習するつもりだったよね?」
と言った。しかし、ライルにそんなつもりは毛頭ない。
「は? そんなこと……」
『言ったか?』と続けようとしたライルに対して、ガルシアが目線を送る。
その目は――『合わせて』と語りかけているようにも見える。
それを確かに読み取ったライルは、言いかけた言葉を彼女が疑う前に言い直す。
「あぁ。そのつもりだ」
「じゃあ、まだ学校に残るんだよね?」
「あぁ。あと1、2時間はな」
ガルシアは今度リタへと視線を向ける。
「じゃあ、ここで話してるとライルの邪魔になるから。僕たちは帰ろうか。リタさん」
「……え? でも」
「特別教室に誰もいなくなったら、鍵が閉められるんだよ? 急いで戻らないと、ライルが勉強できなくなる」
「それは知ってるけど……」
『でも……』と、まだまだ何か言いたげだったリタであったが、しばらくして諦めたのか、『……うん』と一言呟いた。
「じゃあ、ライル。がんばってね。また明日」
「あぁ。また明日な」
「…………」
いつまでもライルに疑いの目を向けていたリタであったが、ガルシアに連れられて、やがて彼女も帰路へと着いた。
(あれだと、明日も同じことになりそうだな……)
彼女の目を見て、ライルはそう確信する。
結構な量の言い訳が必要になるな……と、ライルは密かにそう思った。