彼女と彼の運命 〜遠足(前編)〜


 ついに薙刃たちの学校も来るべき遠足の日を迎えた。
 とはいっても、楽しみにしているのは、女子がほとんどであって、大体男子と言うものは、このような行事には興味を抱かないものである。
 そのせいだろうか、集合場所にいる男子の顔を見れば、非常に憂鬱そうな表情をしている生徒たちもいた。
 しかし、そんな常識などぶち壊すほどの人物がここに一人。
 それは――ガルシア・ルルスであった。

「楽しみだね。ライル」
 満面の笑みと言うのだろうか、いや、それ以上か。正しくは極上の笑みとでも言えるほどの笑顔を浮かべて、隣に立つライルに向かってガルシアは声をかける。
 それに反して、ライルはというと、やはり常識に対して例外ではなかった。とはいっても、その原因のほとんどは目の前にいる、何故かテンションが高いこの男のせいであるのだが。
「……そうだな」
「元気がないね。ライル」
「……お前はどうしてそんなに元気なんだ」
「だって、遠足だよ! 遠足! みんなと一緒に出かける機会なんて滅多にないんだよ」
 もう、何ていうのだろうか、まさしく『遠足の神』というものがいるのであれば、ガルシアと言う存在はまさしく神々しく見えてくるものだろう。
 このテンションはまるでいつもの誰かだな……と、無意味にライルは考えていた。
「いつも同じクラスにいるんだから、それでいいだろ」
 ため息混じりに、ライルはそう返すが
「それとこれとは別だよ。遠足っていうのはね、男女関係なく交流を結ぶための絶好の機会で……」
 どうやら、その一言はガルシアの何かに火をつけたらしく、次々と遠足についての理論を語り始める。
 それを半ば聞き流していると、不意に現れる影が一つ。
「……おはよう」
 真摯な面持ちで現れたのは、いつものことながらリタ・レーンである。
 いつもそんな表情をしていて、疲れないか? と、たまに思うことがあるライルだが、それは失礼極まりないため、あえて口にはしない。
 それよりも、彼女を見て少しだけ気になることがあった。
「リタ。お前、……何かあったのか?」
 彼女の様子がどことなく不機嫌そうに見える。
 あくまでも『どことなく』なので、詳しい場所までは特定できないが、雰囲気からしてそんなことをライルは感じ取った。
「……別に」
 何故だろうか。その一言で、リタの不機嫌さがさらに増加したような錯覚に陥った。
 その理由は当然分かるはずもない。自分に出来るのは、ただ首を傾げることのみだった。



 さて、先述は女子はこのようなイベントを楽しみにする傾向があるとの記述をしたが、当然、それにも例外があるのであって。際立ってすごかったのは、特に――
「迅伐、鎮紅。今日は楽しみだね!」
 薙刃であった。はしゃぎ振りならば、ガルシアにも負けず劣らずの状態である。
 そして、意外も意外なことに――鎮紅のテンションも高かった。
「今日は楽しみね」
 ふふ……と笑いを浮かべる鎮紅。一体、何を楽しみにしているかは分からないが、彼女もやはり女子。穏やかにはいられないのも、仕方がないと言ったところだろう。
「……うん」
 そして、影ながらに燃えている――迅伐。
 その背中には可愛らしいリュックサックが背負われている。それが何のために使われるかは、薙刃と鎮紅以外の人物には、知る由もない。
 恐らく帰る頃には、このリュックサックの中は怪しげな草で一杯になっているであろう。
 まだ一度もその光景を目の当たりにしたことがないというのに、容易に想像できてしまうのは何故だろうか。
「……今日はがんばる」
 どうやら彼女自身も、どこか主旨を間違えているような気がしてならない。
「が、がんばってね」
 いつもと違う彼女の様子に、さすがの薙刃も気圧されるような錯覚に陥った。
 鎮紅も、言葉には出さないが、同じように苦笑いを浮かべたままである。それは彼女と長年一緒にいたせいでもあるだろう。
 落ち着いたお姉さんキャラである鎮紅ですら、苦笑いを浮かべるとは、彼女の趣味と言うものは如何ほどのものだというのだろうか。
 色々なイメージが浮かび上がって、想像だけではどれほどのものなのか、想定もつかなかった。



 遠足や修学旅行で楽しむ機会は、主立って三回ほどあるんだそうだ。
 一つ目は、現地。二つ目と三つ目は、行き帰りのバスの中だそうである。
 そして、彼等はまさしく今、バスの中に乗車しているところであった。
 当初は薙刃の提案で、トランプをしようということだったのだが、迅伐が断ったため、即この案は却下。
 それで案が尽きてしまったのか、最初の元気はどこへいったのか分からなくなるほど、薙刃は静かになってしまった。
「…………」
 さすがの迅伐も彼女のその変貌振りに、何か悪い気分に苛まれる。
 彼女がトランプを断ったのは、車酔いになるだろうという推測ゆえだ。
 行きに車酔いになって、現地でフラフラになっていたら、楽しめるものも楽しめないと思ったのである。
 しかし、そんな彼女も考えも、薙刃に伝えられているわけではない。
 彼女からしてみれば、断られた。ということでしかないのである。
「……薙刃ちゃん」
「何?」
 信じられないほどのどんよりとした空気。
 断られただけでこうなるとは、彼女の心とはどれだけ幼さが残っていると言うのだろうか。
「……トランプのことだけど」
「やってくれるの!?」
 まだ何も答えていないと言うのに、身を乗り出してまで、薙刃はそう聞き返してくる。
「……今やると、車酔いするかもしれないから、帰りにやろう?」
「あ……帰り、何だ。……うん、それならいいよ」
 少しショックを受けているような様子を見せたが、先ほどよりはどうやら明るい雰囲気が見られる。
 だからといって、それによって空気が変わるはずはない。
 気まずい雰囲気のまま、時刻は刻々と過ぎていった。


 それから数時間後、ようやくバスは目的地へと到着する。
 バスを降りて、辺りを見渡せば、目に映るのは森や林の緑。
 それを見て、自然と心が癒されるような感覚に陥る。自然は身体にいいとよく言うが、それをまさしく体感しているようなものである。
 ――大きく深呼吸。
 ――空気がおいしい。
「自然っていいわね」
 そんなことをしていると、どこからともなく鎮紅が薙刃の近くへと歩み寄ってきた。
「うん。そうだね」
 それに対して、薙刃も首を頷かせる。
「一度でもいいから、こういうところに住んでみたいとか思わない?」
「うん。確かに興味はあるよ」
「そうよね。やっぱり人間は自然に惹かれるものなのよ」
 うんうんと二度頷き、何か満足そうに鎮紅は笑顔を浮かべた。
 そして、しばらくすると、はっと何かに気付いたように、薙刃に問い掛ける。
「ところで、迅伐はどこに行ったの?」
「あ、うん。迅伐は……あそこ」
 そう言って、薙刃が指差す先に彼女は――いた。
 こちらもバスに居たときの雰囲気はどこにいったのか確かめたいほど、やる気満々の状態になっていた。
「……燃えてるわね」
「……うん。バスを降りてから、ずっとあの調子だよ」
「……楽しみ方も人それぞれね」
「……うん。……そうだね」
 彼女の様子を見て、思わず二人はそう呟く。
 どんなものにしろ、本人が楽しければそれでいいのだろう。
 そう――『どんなものにしろ』だ。
 そんな時――
「集合!」
 そう、付き添いの先生の声がかかる。
 いわゆる定番の挨拶だとか、決まりだとかの確認をするのだろう。
「行こう。鎮紅」
「そうね」


「えー、今回の遠足は……」
 長々とした挨拶のようなものが続く。
 実際、どうでもいいから、早く始めてほしい。
 この場に居る何人もの人間が、そう考えているだろう。
 当初は真剣に聞いていた薙刃であったが、それが数分間にも及ぶと、さすがに少し怠惰な心が表れる。
 暇だな……と思いつつ、何となく辺りに視線を移してみた。
 見れば、隣同士で話をしているもの、真剣に話を聞いているもの、もはや眠っているものなど様々な人間の姿が見える。
 と、そんな時――
「…………」
 一人の人物が、こちらに視線を向けていることに薙刃は気付いた。
 鎮紅でも、迅伐でもない、他の誰か。
 薙刃には見覚えはない人物で、初対面でしかない人間だ。だとすれば、相手もそうであろう。
 しかし、彼女の視線はどこか鋭く、こちらが気付いても、向けられたまま。
「……?」
 自分が彼女に対して何かをしたのだろうか。
 そう考えてみるが、それっぽい記憶はどこにも見当たらない。見覚えがないので、当然と言えば当然であるのだが。
 だとすれば、何故だろうか。ますます訳も分からず、薙刃は首を傾げる。
 やがて彼女の視線が、自分から前に立つ教員へと向けられた。
 それを確認して、薙刃は小さく安堵のため息をつく。
 彼女の正体は分からない。しかし、彼女の視線は恐ろしいほど冷ややかなものだった。
 どこのクラスのどの人間なのかすらわからない。それが尚更、薙刃に不安感を生まれさせた。
 この会のようなものが終わったら、彼女に会いに行こう。
 薙刃はそう決心して、同じように、前に立つ教師へと神経を集中させた。


 遠足は、まだまだ始まったばかりである。

続く