彼女と彼の運命 〜遠足(中編)〜


「さぁ! 行くわよー!」
 と、一人意気込んでいるのは鎮紅。
 その背中にはリュックサックが提げられ、いつも彼女が使用しているバッグは、今の彼女の手元にはなかった。
 とは言っても、その格好は学校指定のセーラー服に身を包み、その頭には帽子が被られている。まぁ、学校の行事なのだから、しょうがないといえばしょうがない。この際、場に不釣合いということは置いておこう。

「おー……」
 そう答えつつも、今一つ元気がない薙刃。
 それは決してバス内での迅伐とのやり取りが影響しているわけではない。それ以外の理由で、彼女は何かしらのショックを受けていたのである。
 しかし、その理由を鎮紅が知る由もない。彼女は、つい先ほど薙刃と合流したばかりなのだ。その時には、彼女はすでに何かに対して落ち込んでいるような一面が見られた。
「薙刃? どうしたの?」
「あ、うん。何でも……ないよ」
 そうは言うが、彼女の様子からしてそんなはずがあるはずがない。
 いつもはこちらまで元気になるような明るさで接してくれる薙刃がここまで落ち込んでいるのだ。これは何かがあったと見ても決しておかしいことではない。
 鎮紅は、必死に自らの記憶の糸をたどる。


 バスの駐車場で見た薙刃の姿はまだまだ元気だったはずだ。隣を歩く迅伐と一緒に楽しそうに話していたのが思い出される。
 それを見て、鎮紅も今日一日が楽しく過ぎることを予感していた。
 それからは教師方による話の最中でも、薙刃の方をたびたび確認していた。しかし、その際にも彼女にはどこにも落ち込んだ様子は見られなかった。
 しかし――そこから今までの記憶がない。
 話が終わってからの薙刃の行動は、鎮紅も特に注意を置いてはいなかった。どちらかというと、前や後ろに座るクラスメイトと話をしていた。
 ということは、薙刃の身に何かが起きたのはその間ということになる。
 そう考えると、鎮紅の頭に一番によぎった人物は――
 ライル・エルウッド。その人であった。
(もしかして……)
 彼が薙刃に対して酷いことを言ったのではないだろうかと、鎮紅は考察する。
 そうだとすれば、薙刃がここまで落ち込んでいるのも納得はいく。
「……よし」
 そう結論付け、鎮紅は辺りを見回す。
 その行動の意図は、もちろんライル・エルウッドを見つけ出すためであった。
 だが、まだ彼が犯人だと決まったわけではない。それでも彼を探すと言うのは、彼女なりの友への思いやりがあるためであろう。
 そして、その肝心の彼は――

 ――いた。
 隣に誰か男子生徒を連れて、何事もなかったかのように話をしていた。
 とにかく彼に話をしなければいけない……。
 そう思い、鎮紅は足を進めた……が。
 薙刃の目からすれば、その行動は不可解に思えたのだろう。思わず声をかける。
「鎮紅? どこに行くの?」
「ん……。ちょっとね」
「……?」
 そう言った鎮紅の視線の先に、薙刃が目をやる。
 と、そこにいたのは……やはり彼で。
 薙刃の頭には、咄嗟に嫌な予感が浮かび上がる。
「ちょ、ちょっと待って。鎮紅」
「どうしたの?」
「ひょっとして、鎮紅。ライルに……」
「そうよ。薙刃が元気じゃなくなったのも、彼のせいじゃ……」
「ち、違うよ! ライルは全然関係ない!」
 思わずといったところなのだろうか。
 薙刃は大きな声でそう宣言した。幸いにも、彼自身の耳には届かなかったようだが。
 それでも、周りの視線を集めるにはその声量は十分なものであった。
「そ、そうなの? 私はてっきり……」
「ライルはちっとも関係ないもん……。だから、ライルを責めないで」
 懇願するように彼女は鎮紅に対してそう言った。
 そう言われては、鎮紅とはいえども、反論できない。
「……分かったわ」
 諦めたように、鎮紅はそう口を開く。
 安堵するかのような薙刃の表情。
 この様子を見ると、彼に関係はあるようだが、彼自身から何かを受けたというわけではなさそうであった。
 だとしたら、一体誰が、彼女に何をしたというのだろうか。
 候補と言うと、決してないわけではない。
 ひょっとすると、薙刃とライルの仲を憎らしげに見ていた誰かが、薙刃に脅しの言葉をかけたのかもしれない。
 だが、そうなると可能性としては、かなりの量の女子生徒に容疑者は広がる。 
 彼女に聞こうとしてやめた。
 彼女の様子を見ると、それに関しては触れて欲しくないというオーラを醸し出していたためである。
 仕方なく、鎮紅は何も言わず、薙刃の隣に立つ。
 そして、彼女の手を自らの手と絡ませた。
「せっかく来たんだから、いっぱい楽しみましょう」
 鎮紅は笑みを浮かべて、彼女にそう提案した。
 最初は少し驚いた表情を浮かべていた薙刃だったが、しばらくすると表情を緩めて
「うん。そうだね」
 と、それに応じた。



(ライルは……関係ないよ)
 薙刃は自らの心にそう言い聞かせる。
 そう、彼は何も悪くないのだ。悪いのは――自分自身。

 彼の優しさに、ただ甘えていたばかりの自分のせい。
 いつかはこうなると分かっていた。それを分かっていたはずだったのに、諦めきれない自分がそこにはいた。
 しかし、それはただの自分の甘さ。
 他人からしてみれば、それは言い訳に過ぎないのだと思い知った。
 それを知ったのは――今から数分前。


 自分を見つめていた女子を気にしたことまでは問題はなかった。
 しかし、それからだった。何故、彼女の心を読み取れなかったのだろう。


 先生たちによる話が終わり、その場が解散になった後――
 薙刃は、その女子生徒へと歩み寄った。
「おはよう」
 笑顔を浮かべて、薙刃はその女子生徒に声をかける。
 彼女はゆっくりと薙刃の方へと身体を振り向かせた。
「…………」
 聡明そうな雰囲気、強い意志を持った瞳。
 自分とはまるで違う空気を持っているようなイメージを抱かせる少女だった。
「あたしの名前は勾薙刃。あなたは?」
「……リタ。リタ・レーン」
 彼女はそう名乗った。
「……何の用ですか?」
「あ、ごめんね。さっき、何かこっちを見てた気がしたから。何か用があるのかな……って思って」
 そう尋ねると、リタと名乗った彼女の瞳に、鋭さが宿った。そんな気がした。
「……そう」
 彼女はそう呟き、言葉を続ける。
「……少し、ついて来てくれませんか?」
「え……? うん。いいよ」

 リタの後について薙刃は歩きつづける。
 しばらくすると、リタは足を止めた。辺りには、もちろん誰の姿も見えない。
「……薙刃さん」
 唐突に、彼女から声をかけられる。
 何? と、薙刃がそれに反応すると、さらに彼女は口を開いた。
「……どうして、いつもライルと一緒に帰ってるの?」
 衝撃的な言葉が、薙刃の耳に届いた。
 最初の驚きは、ライルとのそれがばれてしまったことに関して。
 次の驚きは、目の前の少女がライルのことを知っていたこと。
 薙刃は思わず言葉を詰まらせた。
 それに構うことなく、彼女は言葉を続ける。
「あなたにとって、ライルは何なの?」
 薙刃は口を開くことが出来ない。それに答えることは出来ない。
 その理由は簡単だ。
 まだ彼女は何も知らない。何も気付いていないのだ。
 それに今更ながらに薙刃は気付かされた。



 そして今の彼女に至る。
 彼女の悩みは、彼女自身でしか克服することは出来ない。
 鎮紅にだろうと、迅伐にだろうと、マリエッタにだろうと、相談できるはずがない。
 無論、ライルにだって出来るわけがない。
 どうすればいいのだろうと、薙刃は悩む。
 自分にすべきことは一体何なのだろうと悩む。
 しかし、いつまで経っても彼女の中で答えは――見つかりはしなかった。


 薙刃の心で繰り返されるのは、最後に告げられたリタの言葉。


「何も答えられないなら、あなたがライルと帰る資格なんてない」


 酷い言葉とは感じない。
 それは当たり前のこと。
 なんとも思っていないはずの人間と、二人で帰るなどおかしいと見られても仕方ないことだ。
 それは承知しているはずなのに……。


 諦めきれない、この自分の気持ちは何だろう。


 薙刃の気持ちは、揺れる。



続く