惚れ……薬? リタの場合

 至福の瞬間というのは、まさしく今この時ではないだろうか。
「やった……」
 思わず彼女の感激の声が漏れる。
 あまり感情の起伏が起こらない彼女にしてみれば、それは珍しい反応と言わざるを得ないだろう。
 が……、他の四人の反応はまるで違っていた。
「やっぱり、リタちゃん……。ライル様のこと……」
「へぇ……。やっぱりライバル視っていうのは、=恋心っていうことなのね」
「本命はジルベルトさんと、ライルくんのどっちなのかしら」
「……え? ちょっと、皆さん?」
 彼女たちの反応が、予想を大きく反していたのか、リタは目を白黒させていた。
 そんな彼女の肩を叩く一人の人物。
「リタ」
 それは――薙刃だった。
「な、なんですか?」
 リタの声色には動揺が浮かんでいるが、表情にはさして変化はない。だが、彼女の内心では、嫌な冷や汗がダラダラと流れていた。
「ライルと、幸せになってね」
「……え? えっと、それは……」
 薙刃に対して何かを尋ね返そうとしたリタの言葉をさえぎるように、鎮紅が声をあげる。
「私たち、全力でバックアップするわ」
「え? あ、あの……」
「……がんばって」
「困ったときは、私たちの誰かに相談しなさい」
 便乗して、迅伐もマリエッタも、鎮紅と同様に彼女に対して、自らの思いを伝える。
 いつもだったら、頼りがいのあることこの上ないのだが、何やら今日は主旨が違うような気がしてならない。いや、現実違うのだが。
「は、はぁ……」
 肝心のリタはというと、こういう関連の話題にはちっとも慣れていないのか、どうやら話に頭が追いつけていないようであった。


「……」
 そして、部屋に二人だけ遺されて、リタの頭は完全に冷静さを失った。
 手を伸ばせば届くほど近いところには整った寝息をし続けるライルがいる。
 目をやれば、その綺麗な寝顔や、無防備な姿が、リタの視界に映りこんでくるわけであって、二人きりという状況にでさえ、落ち着かない彼女にとって、それらは自らの冷静さを欠かせる毒のようにしか思えない。
「落ち着け……。相手はライルなんだから」
 そう自分に言い聞かせるが、彼女がこれほどまでに動揺しているのは紛れもなくライルのせいであるということに、彼女本人はあまり自覚がないようである。、
 と、そんな時。
 ライルの指が、ピクリとわずかながら動きを見せた。それとほぼ同時か、それを確認してから、瞬間のことだったが、リタの動きが硬直していた。
 初々しいといえば初々しい反応であるが、出だしがこれでは先行きが不安である。
「……大丈夫」
 再び自分にそう言い聞かせる。その場の雰囲気に少しは慣れたのか、自分の心臓の鼓動も少しずつ落ち着いてきた。
 だが、そんな彼女の心も……。
「リタ?」
 突然聞こえてきた彼の声によって、全く無意味になってしまった。
 次の瞬間、リタの目に飛び込んできたのは、目を開け、寝そべったままま自分の様子を窺っているライルの姿。
「ら、ライル」
 ――見られた。
 ――彼の瞳に、自分の姿を。
 そう考えただけで、リタの頭の中からいつもの冷静さというものは、どこかへと消え去ってしまった。
「……? どうかしたのか?」
 自分自身の姿を確認したまま、何やら動きを止めたリタを不思議に思い、ライルが声をかける。
「……な、何でもない」
「そうか? 何か顔色が」
 そう言って、ライルはゆっくりと起き上がり、リタへと歩み寄ってくる。
「……え?」
 リタが気付いた時には、彼は彼女のすぐ近くまで近寄ってきていた。
 ――ゴクリと生唾を飲み込む。
 自らの視線が、自然と彼の顔へと向いてしまう。一体、自分は何を意識しまっているのだろうか。
「顔、赤いぞ?」
 そう言って、近づいてくる彼の顔。
 それを自分は、何と感じ取ったのかは分からない。
 気付けば――自分は固く瞳を閉じていた。
「…………」
 彼の気配を、彼の吐息を、すぐ近くで感じ取れる。
 たったのそれだけで、リタの鼓動は早くなった。
 やがて、彼の吐息がすぐ間近で感じられるところまで彼の顔が近づいたのを感じ、リタは覚悟を決めた。
 そして……。
 ――コツン
 次の瞬間、自分の額に何かが当てられる。それが、ライルの額だと気付くのにも、さほど時間はかからなかった。
「熱は……ないみたいだな」
 リタの心境など知る由もなく、ライルは彼女のすぐ間近でそう呟く。
「…………」
 そんな中、リタはゆっくりと自らの目を開けた。当然、そこに移りこんでくるのは、彼の顔であり、またその唇である。
(あ……)
 すぐさま、リタは自らの行為が失敗であったことに気付く。
 ようやく落ち着いてきたというのに、こんなものを見てしまえば、余計に落ち着かなくなってしまうばかりか……何か意識してしまうのだ。
 案の定、再び、彼女はゴクリと生唾を飲み込む羽目になった。
「……ライル。恥ずかしくないの?」
 気を紛らわす意図も含めて、リタは彼にそう尋ねる。
「ん? いや、別に」
「そ、そう……」
 その答えは、少なからずリタにショックを与えた。
 恥ずかしくないということは、=異性として認められていないということにも繋がりかねない。
 彼の反応から、ひょっとしたら、この薬は惚れ薬ではなく、嫌われ薬なのではないか? とまで、リタは考えてしまう。
 と、そんな彼女の反応を見て、ライルが
「何だ? リタは恥ずかしいのか?」
 と、彼女に対して尋ねる。
「そんなわけ……」
「……へぇ」
 彼女の反応をどう捉えたのか、ライルはその口元をわずかに緩ませた。
(……え? 何を考えてるの?)
 彼がどうしてそんな行動をしたのか、冷静さを失った頭では判断しきれない。
 と……。
「じゃあ、こういうことをされても、大丈夫なんだな?」
「え……?」
 気付いた時には、彼の顔はすぐ目の前にあって……。
 次の瞬間には、柔らかい何かが、自らの唇に触れた。
「ッ……!?」
 驚愕のあまり、リタの目は大きく見開いた。
 いつもの彼だったら、こんなことをするはずがない。いや、してくれといっても、してくれるはずがない。
 だということは、やはり……あの薬は。
「恥ずかしかったか?」
「だから、さっきから違うって……」
「へぇ……。そうなのか。じゃあ、いくらされても大丈夫なんだな?」
「ちょ、ちょっと。それは……」

 ――惚れ薬だったのだろう。今更思ったところで、もはや遅いのかもしれないが。

リタ編、終了