あなたと一緒 ――後編――
「ふぅ……」
両肩に背負っていた荷物を床に下ろし、ライルは一息をつく。
徒歩にして数時間。
その距離を自分といくつかリタの荷物を持って歩いてきたとなると、いくら彼とは言え、疲れを感じるのはしょうがないことと言える。
「……お疲れ様」
そんな彼に、一足先に部屋に足を踏み入れていたリタが声をかける。
とは言っても、ライルとは異なりインドア派である彼女にとって、この長丁場はライルが感じた以上にしんどいものだったに違いない。
それを表すように、彼女は床に腰を下ろしたきり、身体を動かしていなかった。
「で、これからどうする?」
ひとまず息を落ち着かせ、ライルはすっかり座り込んでしまったリタにそう尋ねる。
「どうする……って?」
「いや、何もすることがなかったら、俺はそろそろ銭湯に行きたいんだが……」
今はこうして部屋で落ち着いているが、彼としては早く温泉に行きたいというのが本音であった。
以前の温泉旅行では薙刃、鎮紅、迅伐の三人の行動に目を光らせる必要があったため、十分に満喫することはできなかった。
だが、今回の旅に彼女ら三人組はいない。つまり――温泉を楽しむチャンス到来。
もはや、この温泉旅館に着いた時点でライルの気持ちは早くも温泉へと向けられていたのである。
もちろん、幼馴染であるリタにとって、彼の望む答えを見いだすのはたやすい。
しかし……
「……はぁ」
相変わらずというか、何というか。
自分一人だけの旅ならまだしも、今回はリタという連れ添いがいるというのに、さほど気遣いがないというのは……
彼らしいと言うか、何というか。――まぁ、要は鈍感だということだけど。
しかし、対するリタにも秘めたる自らの思いを告白するほどの素直さは備わってはいなかった。
だから、あくまでもライルのやりたいことを優先するつもりで……
「……じゃあ、私も行く」
と、言葉を紡いだ。
「って、もう大丈夫なのか?」
「……そんなに大したことじゃない」
心配そうに声を掛けるライルに、リタはムッとした表情で言葉を返した。
「……リタ。お前、何か怒ってないか?」
「……別に」
幼馴染っていうのは、中々進展しないと言われるが……まぁ、彼らも例外ではないということだろう。
――ということで、大浴場までたどり着いた二人……だったのだが。
「すみません、お客様。生憎となりますが、今は混浴専用の部屋しか空いておりません」
「「…………」」
と、旅館の従業員が、意気揚々だった(のは一人だけだが)二人にそう告げる。
何でもこの旅館。それぞれ効能の違った温泉が、龍の間・虎の間というように個室に分けられているんだそうだ。
もちろん、その話を聞いて、ライルの意気はますます高揚した。
だが……それに気分が高まったのは彼だけではなかったということだろう。
そういう理由があってか、上記のような結果が待っていたということである。
「どうなさいますか? お客様」
間髪を入れずに、従業員が二人に尋ねてくる。
「…………」
ライルは――悩む。
入りたいかと言われれば、もちろん入りたい。
だけど……さすがに混浴と言うのは、抵抗というものがある。
しかも、相手はリタだ。第一、自分がよくても、彼女はそれを受け入れるはずがない。
――そう思っていた。
が……ライルの予想は、数瞬後、いとも簡単に覆された。
「そちらで構いません」
そう、了承の言葉を紡いだのは――予想外の存在。リタだった。
「お、おい。リタ」
もちろん、そのことにライルは慌てた。
しかし、リタの様子はまったく変わらない。
「……ライルは温泉に入りたいんじゃなかったの?」
「い、いや、そんなことはないが。……というか、そんなことよりも……」
「それなら、いいでしょ」
彼女に強い口調でそう言い切られれば、ライルが返せる言葉などありはしない。
だが、そんな表面上の反応に反して、心の中では分かっていた。
――リタは、決して冗談を口にするようなやつじゃない。
――だから、この発言も決して気まぐれや軽い気持ちで発したものではないと。
だから、何だ――って?
まぁ、それはつまり――彼女自身が自分と入浴しても構わないと言っているのと同義ということだ。
と、そんなことを意識しまって、どう言葉を返せばいいのかますます分からなくなってしまったライル。
今、彼の頭の中では、必死に倫理と理性が戦っているところであった。
「では、こちらをお受け取りください」
と、苦悩するライルをよそに、旅館の従業員はリタに鍵を手渡す。
鍵に記された部屋の名は――蓬莱の間。
「ありがとうございます」
「それでは、ごゆっくりと……」
形式的な言葉を紡ぎながらも、従業員の表情には笑みが浮かんでいる。
それを確認して、不意にリタの頬にはわずかながら朱がさした。
名目上は「ライルが温泉に入りたがっているから」ということで、平然を保っているリタであるが……。
もちろん、その内面では平然を保っていられるはずなどない。
今から彼と向かう場所は、混浴という条件に加え、個室という環境まで備わっている。
相手が彼ならば九割方は大丈夫だろうが、もしものことだってありえないわけではない。
それを意識してしまうと共に、ゴクリと生唾を飲んだ。
と、そんな彼女の背中越しにライルの声が掛けられる。
「行く……のか?」
「…………」
一方、自分で言い出したにも関わらず、今更になって意識しまったリタは――自らの言葉でそれに返すのを思わず躊躇ってしまった。
その代わりに、コクリと一度頷くことで、それをライルの言葉への返事とする。
「……じゃあ、行くか」
それを肯定と判断し、ライルは彼女を先導するかのように歩き出す。
リタも顔を俯かせながらも彼の後ろにゆっくりと付いていく。
そんな彼らの背中を見て、従業員の女性は「若いわねぇ……」と、密かに思うのであった。
――蓬莱の間
入り口を示す扉の上部に、そう記された小さなプレートが貼り付けられてあった。
なお、扉は前後に動くタイプではなく、左右に動くタイプであるようだった。
その扉の前で、二人は立つ。いや、立ち尽くしているという表現の方が間違いではないかもしれない。
鍵は――開けた。だから、この部屋とも言うべき場所にはいつでも入れる。
だけど、それからの一歩が二人ともに踏み出すことが出来ないでいた。
「「…………」」
初々しいが為の、彼らの戸惑いと言ったところだろうか。
もし、この場に彼らを知る人物がいれば、さぞかし滑稽な光景に違いない。
それから数分が経過する。
――すると、徐にライルが口を開いた。
「か、考えてもみれば、俺たちが入らないと、あとの人たちに迷惑がかかるな」
リタ、そして自分自身に確認を取るような口ぶりで、それは紡がれる。
「……うん」
「だ、だから――早く入らないと」
「――うん」
とは言いつつも、空気が尚更気まずく感じられてくるのは、お約束とも言うべき事象。
なお、この温泉旅館で混浴を使用するのはごく一部の人たちでしかないのだが、もちろん、その事実を彼らは知らない。
「「…………」」
ライルの言葉が止まり、二人の間に一時の沈黙が訪れる。
と、その時――ライルは意を決して、蓬莱の間の扉に手を掛けた。
そして、その扉をゆっくりと左へ動かしていく。
「…………」
そんなライルの目に、早速飛び込んでくる殺風景とした脱衣所。
部屋の両端にはいくつかロッカーが備わっており、それぞれに服を入れるための脱衣かごが入れられてあった。
恐らく、いくつもロッカーがあるのは家族連れを考慮してのことだろう。
もちろん、ここは個室という扱いであるため、男女の隔てとなる壁のようなものは存在していない。
まぁ、つまりは背中合わせに着替えることでしか、お互いの身体を隠せないというわけだが。
それをお互いが認識した瞬間――気まずさが上昇した……気がした。
「えっと……」
ライルは一旦部屋の中を見回し、右端のロッカーを指差した。
「俺は、あっちで着替えるから……」
そう、後ろに立っていたリタに言うと、彼女も答えるように頭を頷かせた。
「――わかった」
小さく呟いて、彼女は左端のロッカーへと足を進めた。
(ふぅ……)
心に落ち着きを取り戻させるため、小さく息をつく。
ライルの心中は、その慌てぶりと同様に穏やかなものではなかった。
とりあえず、この蓬莱の間の扉に鍵をかけることにし、そしてゆっくりとした動きで自らも右端のロッカーへ歩を進めていった。
そして、数分後。
(…………)
ライルに苦悩の時が訪れる。
その原因は背後からかすかに聞こえる衣擦れの音。
こういう時、自然と意識してしまう男の性が恨めしくてたまらない。
邪な感情など抱いていないつもりでも――振り返りたくなってしまう衝動。
鈍感だと言われていても、所詮こうなれば同じ男という姓にしか過ぎないことを実感させられる。
(何を、考えてるんだ。俺は……)
自分の心をいくら責めようとも、それが無駄な足掻きにしか過ぎないことは十二分に理解できる。
もし、この邪な気持ちをどうにかできるというなら、目の前のロッカーに勢いよく頭をぶつけたっていい。
――そう思った矢先
「――先に行ってるから」
そんなリタの声が、背中越しに聞こえてきた。
「あ、あぁ」
その声を届いたか分からないまま、ガラガラと浴場への扉を開ける音がライルの耳へと届いた。
「…………」
恐る恐る振り返ってみれば、確かにリタの姿はそこにはない。
「何、やってるんだろうな。俺は……」
誰もいなくなった脱衣所の中で、ライルは小さくそう呟いた。
――それから、数分後
腰にタオルを巻き、ライルはゆっくりと浴場への扉を開けた。
そして、ライルはすぐさま浴場内の光景に目を奪われる。
室内は黄昏時のように薄暗く、それでいて天井には夜空を連想させるかのように月がぽっかりと描かれており、その傍らには特殊な細工が施されているのか、先端がキラキラと輝く枝のようなものが描かれてあった。
(…………)
ライルはそんな幻想的な光景に、思わず言葉を失ってしまった。
それほどまでに、今まで見てきた温泉とは格が違っていたのである。
しかし彼には、何故この部屋が薄暗く、尚且つ、天井には月の絵とキラキラと輝く枝らしきものが描かれているのか、その理由を見出すことができなかった。
いや、前者の二つだけならば、演出としても納得がいく。だけど、最後のものだけは――何の意図があるものなのだろうか。
そう思っていると、不意に誰かの呟くような声が耳に届いた。
「――蓬莱の玉の枝」
「……え?」
驚くままにライルが声のした方へ顔を向けると、そこには湯船に浸かるリタの姿があった。
「それだけじゃない。仏の御石の鉢、火鼠の裘、龍の首の珠、燕の子安貝。そして、夜空に浮かぶ月。これらから連想できる有名な物語が、ここの全体のテーマになってるんだと思う」
「――竹取物語のことか」
リタの口から発せられたいくつものキーワードを一瞬でまとめ、ライルは一つの答えを導き出す。
彼女はその答えに一度だけ頷く。
「――多分」
――竹取物語。
その作者は不明とされ、別名「かぐや姫」という名でも有名な物語である。
なるほど……と思いながら、ライルはしばし天井に描かれた光景に目を向けていた。
もう二度と巡りあえないものだと考えれば、目に焼きつけておきたいと思ったが為の行動である。
が、そんな彼にリタから声がかかる。
「――入らないの?」
ハッと気付けば、リタの視線が一心に自分へと向けられていた。
――沈黙。
「そ、そうだな」
沈黙を破るために慌てて言葉を紡いだが、気まずさが急上昇したのは間違いない。
ひとまず、ライルは身体を洗い流そうと洗い場へと足を進めた。
――そして
「「…………」」
二人して湯船に浸かっているという、現在に至るのである。
ようやくまともになりつつあった会話も、ライルが湯船に浸かった瞬間からピタリと止まった。
挙句の果てには、湯船の端と端に離れてしまっている現状。
温泉を楽しむという形で言えば、これでも十分なんだろうが……ライルの心の中には、このままではいけないという感情がわずかにも込みあげていた。
それは混浴という環境の為なのだろうか。
その真意はもちろん分からない。だが、二人して楽しめなければ混浴ではないとライルは――考えた。
だから、彼は数少ない?勇気を振り絞って、こう言った。
「……こ、こっちに来るか?」
少々言葉が上ずってしまったが、それはしょうがないこととして捉えよう。
逆に、誰もが認めるヘタレにしては、勇気ある行動だったと褒め称えるべきかもしれない。
「…………」
対して、リタはそんな彼の発言にしばし呆然としている様子だったが
「……うん」
こちらも勇気を振り絞るかのように、ゆっくりと一歩一歩ライルの元へと歩み寄る。
そして、やがて……
手を伸ばせば、お互いの身体に触れられる程度まで、彼らの位置関係は急接近した。
「「…………」」
代償として、会話は無に近い状況になってしまったが。
しかし、お互い冷静になって考えれば、とんでもない状況にいるのは明白であった。
この蓬莱の間への扉は施錠がされ、相手への距離は数cm程度しかない。
――触れようと思えば、いつでも触れられるこの環境が、二人の会話を奪っていた。
しかし、逆手を取れば――相手と自分の心が急接近するチャンスでもあった。
もちろん、リタも自分以外にライルに思いを寄せる彼女らに差をつける好機であることは理解していた。
……が、すぐに行動を起こせるほど、彼女は活発でもなく、素直でもなかった。
――今の今までは
「り、リタ?」
ライルが驚きの声をあげる。
だが、無理もない。何故なら――
あのリタが、突然彼の手を握って、さらに自らの意志で寄り添ってきたためだ。
ライルは動揺と風呂の熱に浮かされたためか、頭が上手く回らない。
そんな彼に、リタは小さく告げる。
「――たまには、いいでしょ。……少しぐらい、甘えても」
彼女の頬は心なしか、ほんのりと紅くなっていた。
それが温泉のせいなのか、はたまた違う何かだったのか、ライルには――分からなかった。
ただ、彼は自然な口ぶりで彼女にこう返す。
「――今日だけなら、な」
――数少ない二人での混浴という機会。
――少なくともそれは、彼らの想いを着実に近めたようだった。
――なお、緊張のあまり、湯船に長く浸かりすぎてしまった二人が共に逆上せて、後の旅行を楽しめなかったのは、ここだけの話である。
終了
あとがき
――ようやく、終了しました。ライリタ長編。
というか、最後は無理やり切ってしまったところがありました…。申し訳ありません。
ですが、このままだとどーにもグダグダな展開になってしまいそうだったので、ここらで切らせていただきました。
……混浴ネタということで、どの程度のネタに収まるだろうかと想っていましたが、近づいて終了というわけですね。
まぁ、これが恋人同士でだったら……いや、ごめんなさい。こちらの話です。
では、今日はこの辺りで。