「ライル、リタのことをどう思う?」
「え?」
 ジルベルトからの質問の意図が、俺には掴めない。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「別にいいじゃないか。それで、どうなんだい?」
 ジルベルトには笑顔で俺の質問は流されてしまう。
 俺は、どうにもこの男がよっぽど苦手らしい。
「別に…リタは幼馴染なだけだし…。確かに気にはなるが…リタは何とも思ってないだろうし…。」
「本当にそう思うのかい?」
「何が…言いたいんだ。ジル」
 ジルベルトは俺の問いにやっぱり笑顔で流す。
「いや、ただの例え話さ」
「?」
「ライルもリタも…やはり似すぎているな。と思ってね」 
 そういうと、ジルベルトは立ち上がり、部屋を出ていった。

 どうして、今頃…こんなことを思い出したんだろう。



「ライル、ちょっと来て」
 リタに呼び出されたのは、ちょうどパン屋の仕事も一段落つき居間で一休みしている昼過ぎのころだった。
 少し前まで、刺々しい雰囲気を出していたリタだったが、今ではまったくそんなものを感じ取ることはできなくなるほど、すっかりこの場所に溶け込んでいた。
 それに関しては、いいことだ…と、ライルは思う。
(元々、リタも俺と似た部分があったからな)
 いつでも真面目で、周りに冷めた雰囲気を与える。
 それがライルとリタの似た部分だった。
 でも、ライルはここに来て…変わった。
 そして、リタも…。

「ライル? 聞いてるの?」
 リタの声に、ハッと俺は現実に意識が戻される。
 リタの表情には変化はないように見られる…が、雰囲気が怒っているように感じ取れた。
「あ、いや、悪い…。…なんだっけ?」
 大事な用件を度忘れしてしまうライル。
 そんなライルの反応を見て、リタははぁ…とため息をつく。
「…とりあえず、ちょっと来て」
 あぁ、そんなことを言っていたな…と、ライルは今更ながら思い出す。
 それにしても…どうして俺が? とライルは思った。
 リタの様子からして重要な話なんだろうが、一体何の話だろうと思う。
 最近はイエスズ会からの呼び出しもないし、ガルシアたちが目撃されたという証言も、ジルベルトからは聞いていない。
「あぁ、分かった」
 まぁ…リタが自分を呼び出すくらいだ。どういう内容にせよ、重要な内容には変わらないだろう、とライルは結論を出した。

 そして、リタについていきたどり着いた場所。
 そこは、パン屋の厨房だった。
 ライルは思わず唖然とする。
「リタ、どうしてここなんだ?」
 ライルの頭の中で?マークが次々と浮かび上がっていく。
「……」
 リタは答えない。そればかりか、ライルのほうへと顔も向けない。
 様子がおかしい…。ライルはそう思った。
 ガルシアたちに関することならば、薙刃たちのいる場所で話さなければならないのだから、これではないと分かる。
 確かに…誰にも聞かれたくない重要な話というのならば、この厨房という場所は最適な場所のひとつに上げられる。
 だけど…それだったらライルの部屋でもいいんだし、庭でもいいわけだ。
 厨房に関して与えられるメリットは、誰かが来る可能性が最も少ないということ。
 でも、これじゃあ…まるでリタが故意に自分と二人だけになろうとしているようで…

「…ライル」
 そんなことを考えているときだった。
 自分を呼ぶリタの声が聞こえたのは。
「…な、何だ?」
 場所のせいだろうか、それとも…この場を取り巻く雰囲気のせいだろうか。
 俺は…まったく落ち着けなかった。
 リタは続ける。
「今日は、大切な話がある」
「大切な…話?」
「うん…。聞いてくれる?」
 リタは未だに俺へと顔を向けない。
 それが、よりこの場の緊張感を高めていく。
「あぁ…」

 一体、リタは何を言おうとしている? 
 ライルは冷静になりきれない頭を必死に動かして、答えを見つけ出そうとする。
 だが…落ち着ききれないせいか、それとも…それ以外の何かのせいか、答えは何も見つからない。

「ライル、あなたに対して私はずっと尊敬の念を抱いてきた」
「そう…だったのか…」
「うん。私はライルをずっと目標にしていたから…」
 ライルの問いかけにも、リタはすぐさま答えを出す。
 ライル自身も、それを知らなかったわけではない。
 目標…。
 彼女にとってライルはそうだったからこそ、腑抜けてしまったライルを見るのは許せなかったのだろう。
「でも……」
 でも? 思わぬリタの言葉に、ライルは首を傾げた。
「最近は…」
 リタは一瞬言葉を止めたが、すぐに続ける。
「自分でもおかしいと思うくらい、ライルの仕草や行動が気になるようになって…」
 そこまで言うと、リタはライルのほうへと顔を向けた。
「ッ……」
 振り向いた際のリタの様子に、思わずライルは息を飲む。
 羞恥心によってその頬は赤く染まり、その瞳は不安げにライルを見つめる。
 それはライルにとって今まで見たこともないリタの姿だった。
「り、リタ?」
 ライルが声をかけると、リタは顔を俯かせる。
 だが、言葉を止めたりはしない。
「それだけじゃない。薙刃さんたちがライルと一緒にいるのを見ているとイライラして…仕事も手につかなくなって…」
 リタの声が震えている。
 ライルには、ただリタの話を聞くことしかできない。
「何が何だか訳が分からなくなった。自分が何を考えてるのか、何でイライラするのか分からなかった」

 それは、きっとリタにとっては始めての感覚だったんだろう。
 だからこそ戸惑い、苦しみ、そして悩んだ。
 いくら鈍感なライルだって、リタが何を言おうとしてるのかはすでに分かりきっていた。
 分かりきっているからこそ、このようなリタの姿を見ているのは…痛々しい。
 実際だったら、今すぐ抱きしめるか何かしてでも、リタを安心させてやりたい。
 だけど…まだそれらをライルはすることが出来ない。
 リタが…ちゃんと言い切るまでは。

「だから、この前…私はマリエッタさんに相談した。だけど、マリエッタさんは『それに関してはリタ自身で考えなさい。私が何か言うことじゃないわ』って、言って…」
「リタ……」
 マリエッタは人の心に敏感な人間だ。
 きっと、リタが何で悩み戸惑っていたのかすぐさま気付いたに違いない。
 だからこそ…自分は助言するべきではないと思ったのだろう。
 リタという、まだその気持ちの正体を知らない少女のためにも。

「だから、私はその日からずっと考えた。そうしたら…ライル、覚えてる? 2人だけで売上の計算をしたこと」
「え? あ、あぁ…」
 リタに言われて、ライルは頭の中の記憶を呼び戻す。

 あれは…確か偶然だったんだ。
 リタがちょうど居間を通ったとき、居間には売上を計算していた俺がいて…
 それで、確かリタにそのときの半分近くを手伝ってもらったんだっけ…。
 あの時は、リタの計算能力に度肝を抜かれたものだ。

「あの時ね、よく分からないけど…とても心が温かかった。今までの悩みがどこかへ消え去ったように…」
「そう、だったのか」
 ライルはその時のリタの表情をあまり覚えていない。
 だけど…手伝わされた状況で、あまり嫌そうな表情はしていなかった。
 それだけは…どこか記憶の端に残っている。
「きっとその日がきっかけだったんだと思う。…私自身の気持ちが分かってきたのは…」
 そういうと、リタは俯かせていた顔を上げて…ライルを見つめた。
 視線を逸らさない、そしてライルも視線を逸らせない。
 …視線を逸らせば、逃げることになってしまうから。

「ライル」
 名を呼ぶ。
「私自身も、本当はまだすべて分かりきっているわけじゃない。だけど…」
 少女の眼は、強い意思を持ち…
「ライルの存在が私の中で大きくて、大切なものだってことは分かってる。だから…」
 彼の瞳を真っ直ぐと見つめる。
「私は…ライルのことが好き。だから…私と付き合ってほしい…」

「……」
 リタから視線を逸らすことは出来ない。
 リタは決意を持って、勇気を出して…俺に言った。
 じゃあ…俺は?
『ライルもリタも…似すぎているな』
 ジルベルトの言葉が、一瞬俺の頭をよぎった。
 それは…どういう意味なんだろうか。
 ここで俺に出来る選択肢は…可か否の二通りしかない。
 だとすれば…俺はどっちなんだ?
 薙刃たちの顔が頭に浮かぶ。
 …薙刃と迅伐は妹と似た感覚を持って接している。
 鎮紅とマリエッタは、頼れる姉といったところだろう。
 …じゃあ、リタは?
 考えたこともなかった。いや、考えようとしたこともなかった。
 彼女が自分にとって、どのような存在の人間なのか。ということを。
 興味がなかったからというわけでは決してない。ジルベルトにも、
『気にはなるが…』
 と、自然と口にしていた。

 …なんだ。結局、一番中途半端なのは自分ではないか。
 考えたこともないくせに、気になる。…そんな矛盾していることがあってたまるはずがない。
 …それとも、リタという存在があまりにも近かったから…かもしれない。
 もう、そういうことを考える必要はないと…体が勝手に反応を起こしたのかもしれない。
(最悪だな…)
 そういって、自分で自分を笑いたくなる。
 こんな中途半端な気持ちでリタと付き合っていいはずがない。
 ならば、付き合わないのか? と言われれば…それは嫌だ。
 ここで…断ってしまえば、俺とリタの間を繋ぐものが何一つなくなる可能性もある。
 それは…不思議と嫌だった。
 だから、俺は曖昧ながらもリタに伝える。
「俺は…リタのことは好きな方だと思う」
 我ながら最悪な回答だな…。そう思う。
「でも、俺もまだ分からないんだ。リタに対して俺自身、どういう感情を持っているかが。だから…」
 少女の視線は逸らされない、ジッと俺を見つめる。
「…もう少し待ってくれないか? 俺は中途半端な気持ちでリタとは付き合いたくないし、リタだってそれは嫌だろう。だから、答えが見つかるまで…待ってくれないか?」
 答え…。それがどういう結論をだすか分からない。
 それどころか、いつ答えが見つかるかすら分からない。
 そんな曖昧な答えなのに、リタは…
「……分かった。待ってる…」
 ゆっくり頷いた。

 結局、俺の答えが見つかったのはもう少し後の話だが。
 これは想いが通じ合うきっかけになった…そんな2人の少し懐かしい話