「買い物?」

「そう、買い物」

 そう言って、ライルは小さくため息をつく。

 リタが聞いた話はこうだ。

 何でも鎮紅や薙刃たちが勝手にパンを作りすぎてしまったせいで、小麦粉や卵などの材料の在庫が切れてしまったらしい

それをこれから買いに行きたいのでついてきて欲しいと彼は話した。

「別に、いいけど」

 淡々と答えるリタだったが、その内面はどこか嬉しさを感じていた。

 ライルが自分を誘ってくれたことが、純粋に嬉しかったからだ。

 しかし、次の質問をした後、リタは後悔することになる。

「でも、なんで私なの?」

 少し、期待を含ませた質問だった。

「何でって、薙刃たちには店の当番を任せてあるし、マリエッタはマリエッタでイエズス会の方で仕事があるみたいだし……」

 ライルとしては、何気ない返答だったのだろう。

 しかしリタとしては、「要は一番暇そうだったから」と言う風に取れた。

 リタの中で、よくわからない感情が渦巻きだした。

「……リタ?」

 突然黙りこくってしまった彼女を、ライルは不思議に思った。

 行きたくない。

 特別でも何でもないのに、そんな場所に自分の時間を犠牲にしてまで行きたくない

 どうせ、何も想ってないことを見せ付けられるだけだから。

 でも、一度良いと言ってしまった手前、ここで急に嫌と言うのは子ども臭くて嫌だった。

 リタは心配そうなライルの傍をすっと通り、冷めた目で振り返った。

「いかないの? ライル」

 そうして、ごく自然とリタはそう言葉を紡いだ。

「あ、あぁ……。そうだな」

 違和感に満ちた彼女の態度や言葉にライルは戸惑っていた。

 しかし、彼女の言う通りのことをするしかなく、彼は促されるままにその足を進め始めた。

 通りに出てからもリタの違和感は拭えなかった。

(俺、何かしたか…?)

 ずっと黙ったまま下を向いて歩くリタの横にいるのは、正直キツイ。

 住宅街をもうすぐ抜けようかという時、馴染みの声が隣から聞こえた

「やぁ」

 そう声をかけられ、ライルが振り向いてみればそこにはジルベルトの姿があった。

「なっ……」

 こんな時によりにもよってこいつか、と。

 自分の生まれ持った薄幸が、今ほど憎く感じられる瞬間はなかった。

「どうしたの? 珍しい組み合わせだね。…デート?」

 ライルの顔が見る見るうちに紅潮した。そんな気はさらさらなかったのだが、あえて言われるとなんだか意識が働いてきた。

「…っ、ちが…」

「違います」

 その時だった。凛とした声が隣から聞こえてきた。

(え……?)

 リタが放ったその言葉に、一番驚いたのはライルだった。

 しかし、そんな彼の内心など知らず、ジルベルトは言葉を返す。

「そう、違ったんだ。ごめんごめん」

 やんわりと表情を緩め、彼はそう言葉を紡ぐ。

「いえ、気にしていないので」

 そういうリタの顔は、確かに笑っていた。

 しかしライルは何かを精一杯我慢しているようにも見えた。

 呆然とリタを見る。

 その間にも、ジルベルトとリタは楽しそうに会話をしていた。

「…………」

 それを見ているうちに、ライルの中に何か言い知れない感情が込み上げてきた。

 いつも抱くものとは違う、何か。

 明確には分からないが、それが何かもどかしい。

「で、何買いに行くの?」

「小麦粉とか、ミルクとかです」

「ふ〜ん」

 ジルベルトは目線をライルに向けると、にやりと笑った。

「じゃあ、代わりに僕が行くよ」

「は!!?」

 ライルが目を剥いて叫ぶと、とても楽しそうな顔をしてジルベルトは言った。

「だって、そんな重いものを女の子に持たせるわけにはいかないだろ?」

「ぅ……」

 言われてみれば、彼の言うことは正論だ。

 今日は大量に材料を買い込むつもりなので、リタにその荷物を持たせることは、彼女にとって重度の負担にしかなりえないかもしれない。

「僕としては、これが一番だと思うけど」

 ジルベルトの言葉が向けられる中、ライルはリタへ視線を移した。

「…………」

 彼女の目は何も言わない。ライルに何かを伝えようともしていない。

 ふ、とその視線が逸らされた。

 視線の先にはジルベルトが映っている。

 その瞬間、ライルの中のもどかしい思いは、急激に強まった。

 怒りではない。だが、それに似た感情がライルの中にはあった。

「……リタじゃないと、困るんだ」

 そうして、知らず知らずのうちにライルはそう言葉を紡いでいた。

 リタの驚いたような顔、ジルベルトのちょっと目を見開いた顔が矢次に頭へと入ってくる。

「ライル…?」

 リタがそっと伸ばした手を強く掴み、ライルは踵を返して早足で雑踏の中へと入っていった。

 リタはライルに引きずられる形で同じく紛れていく。

「ははは……。正直じゃないなぁ、ライルは」

 そうして去っていく二人の背を、ジルベルトはその表情に笑みを浮かべて見送っていた。

 

「ライル、手を離して」

 そういうリタの声にも、彼は耳を貸さない。

 ただ無言のまま、雑踏の中を歩き続けていた。

「ちょっと、ライル。……痛い」

 その声でライルは我に返ったように振り返った。

 あまりの事に強く腕を握り過ぎていた。リタは痛みに顔を歪めながら、ライルを見上げていた。

「あ…ああ。悪い」

 そう言って力を緩めるものの、今だ手は離さない。

 立ち止まったまま、無言で下を向くライル。

 お互いに何と言葉を掛ければいいのか分からない。

 しばし沈黙の時間が流れ、そしてライルが口を開いた。

「……悪い」

「いや、いいけど」

 リタとしてはさっきの彼の言葉が気になる訳だが、なんだか訊いてはいけないような気がして言葉が出ない。

 ライルはぽつ、ぽつ、と言葉を紡ぎ始めた。

「それで、今日は重い荷物を持ってもらうことになるけど……」

「別に、気にしなくていいから」

 ジルベルトに言われたことを気にしてるのだろうか、とリタはそこから感じた。

「でも…」

「心配しないで、私、結構力あるのよ」

 この間の山登りでは一番にバテたのに、そう言って腕まくりをする。

「それに、持てないなら荷車を借りればいいじゃない」

「そう、か?」

「それよりも!」

 勢いがついたリタはずいっとライルの目の前へ自分の顔を持ってきた。

「さっきの行動の意味を説明して欲しいんだけど?」

 じっと可愛らしい顔に見詰められて、ライルは赤面したまま固まった。

「さっきの、って……」

 何とか誤魔化そうと、ライルの頭はフル稼働で適切な語句を探す。

 だが、リタはそれを許さない。

「覚えてない、って言ったら怒るから」

「ぅ……」

 図星を突かれ、ライルは言葉を詰まらせる。

 だからと言って、どこかに逃げ場を見いだそうと視線を外しても、リタはすぐさま彼に視線を合わせるわけで。

「ライル、もしかして…」

「あ、だからそれは…!」

「もしかして、そんなにジルさんから逃げたかったの?」

「……ぇ?」

「……違うの?」

 てっきりそれだと思っていたリタにとっては、ライルの反応は意外なものだった。

 しかし、ライルにとってもそれは同じ。

 リタには自分が抱いた感情の正体を見抜かれたと思ったが、蓋を開けてみれば全然見当違いなことを言っている。

 違う意味で、ライルの心境は複雑なものだった。

「まあ…そうだな」

 でも事実を話すのは恥ずかしいのでその話に乗ることにした。

「やっぱり、あのねライル。ジルさんもそう悪い人じゃないし、あんまり偏見を持つのはよくないと思うわよ? 大体ジルさんはライルのこと悪く思ってないじゃない」

 なんだか説教を始められてしまった。

 こうなればリタの話は長い。

 一生懸命人付き合いに関して説いていくリタを見て、ライルは心の中で苦笑した。

 そうして、今までギスギスとしていた空気がほんわりと緩んでしまっているのを感じた。

 それを認知して、彼はフッと小さく笑った。

「あぁ……。確かに今日はジルに感謝しなきゃいけないかもしれない」

「え? ……いきなりどうして?」

「さぁ、な」

 やはりまだわかっていないのか、とライルは小さく苦笑いを浮かべた。

 そんな彼を見て、リタは小さく首を傾げた。