ゆっくりと……

 

「はぁ……」

 ライルは小さくため息をつく。

 その頭にボヤンと浮かぶのは一人の女性の顔。

(鎮紅……)

 先日気づいたばかりだが、自分は鎮紅のことがどうにも好きらしい。

 自分の想いに気づくのは唐突すぎた。

 それは、つい先日のこと。

 

「きゃっ!?」

 何も無いところでつまずいて鎮紅は倒れそうになった。

 ライルは鎮紅のすぐ近くで作業していたので、何とか手を伸ばして鎮紅は倒れずに済んだ。

「あ、ありがとう。ライルくん」

「大丈夫か? 鎮紅」

 ここからが問題だった……。

 手を伸ばして、鎮紅の体を止めたところまではよかった。

 だが、偶然にしては最悪だった……。

 何がって? それは……。

「あ、あの。ライルくん……」

 ライルの伸ばした手の位置が……偶然にも…鎮紅の胸に手のひらが触れていたのである。

 鎮紅は気づいたときには、顔を恥ずかしそうに俯かせてしまう。

 すぐにそのことに気づいたライルはパッと手を離した。

 慌てて手を動かさなかったことだけは、賞賛するべきところである。

「わっ、悪い!」

 その顔は真っ赤だった。

 ライルにはまったく免疫がないから、当然のことである。

 確かにパン屋には薙刃や、リタ、マリエッタなど女性が多いわけだが……。

 ライルは決して疚しいことを考えたことはなかった。

 だからこそ、真っ赤にならないというほうがおかしい。

 鎮紅も顔を真っ赤にしながら、慌てて言った。

「い、いいわよ別に! ら、ライルくんだって……、私を助けようとしただけで、わざとじゃないんでしょ?」

 心無しか声も上ずっているように聞こえる。

 こちらも免疫がないので、やっぱり真っ赤になるのは当然のことだった。

「あ、当たり前だ! ぐ、偶然だからな!」

 慌てて弁解するということは、嘘であることが多いのが定石である。

 だが、鎮紅はライルが嘘をつくような人間ではないことを知っていた。

 だから、鎮紅は深く追求せずにライルに言った。

「そうね。ライルくんがそう言うなら、私は信じるわ。ライルくんもあまり気にしないでね?」

 顔を真っ赤にさせながら、鎮紅はライルに向かって笑った。

 その笑顔を見た瞬間、ライルの心の中が大きく脈を打った。

(あれ?)

 不思議と顔が赤くなってくる。

 脈も自然と大きくなっていくようだ。

 鎮紅に聞こえてしまわないかとさえ、思ってしまうほどに。

 今まで味わったことのないものだった。

「……どうかしたの? ライルくん」

 気づいたときには鎮紅の顔がすぐ近くにあった。

 ライルの頬の体温が急上昇する。

「なっ、何でもない!」

 ライルはすぐに立ち上がると、そそくさと逃げるようにその場を立ち去った。

「……」

 残された鎮紅はライルの様子を不思議に思うしかなかった。

 その横でアルドとマリエッタがニヤリとしていたのにもライルは気づかなかった。

 

「はぁ……」

 二度目のため息を吐く。

 結局あの後、ライルはすぐに部屋に戻って心を落ち着かせようとした。

 だが、何度深呼吸しても頭の中には先ほどの鎮紅の顔が浮かんでいた。

 ブンブンと頭を振っても、その顔は消えない。

 そのときだった。

 自分が鎮紅のことが好きになっていると言うことに。

 今でも頭の中に鎮紅の顔が浮かんで……

「先輩」

 と、鎮紅の顔がちょうどポッカリ浮かんだとき、突如近くで声がした。

 聞き覚えのある声だとは知らず、ライルの驚きようは半端ではなかった。

 大きな声を上げて驚くと、背もたれに使っていたタンスに頭を強打し、ドサドサと頭にタンスの上に置いてあったものが落ちてきた。

 あまりのライルの不幸ぶりに、声をかけた本人もあちゃー、と言った様子でさすがに戸惑ったようだった。

 だが、ライルはこんなもので気絶したりはしない。

 落ちてきたものを振り払うと、ライルは文句を言う。

「って、いきなり声をかけるな、アルド! びっくりしただろうが!?」

 アルドは決してライルの言葉を受け入れずに言う。

「ボーっとしていた先輩が悪いんじゃないですか。」

「うっ……」 

 図星をつかれて、ライルは黙ってしまう。

 そんなライルにアルドは面白がるように尋ねる。

「それで、先輩。一体、何を考え込んでたんですか?」

「いや、それは……」

「それは?」

 鎮紅のことを考えていた。などとは死んでも言えない。

 特に目の前のアルドだけには、知られたくなかった。

 だが、アルドはニヤリと笑いながらジリジリとライルを追いつめていく。

 いくら成績はライルのほうが良くても、この部分だけはアルドに敵うはずもない。

 やがて追いつめられたライルは、沈黙で貫くことにした。

(そう来ますか……)

 アルドはライルのそんな行動を予測し、さらなる質問をする。

「じゃあ、質問を変えますよ、先輩。誰のことで考え込んでたんですか?」

「!?」

 ライルの顔に驚愕の色が走る。

 完全に図星と分かる反応だった。

 アルドは納得したように頷き、言った。

「先輩……。分かりますよ? 先輩は初めてですからねぇ? 考え込むのは当たり前ですよねぇ?」

「な、何がだ?」

 ライルの背中にはもう冷や汗がダクダクだった。

 重要なワードは一つも口にしていない。

 自分でも冷静を保っているはずだ。

 なのに、アルドは何やら全てを知っているかのようなそんな口ぶりとしか思えない。

 アルドの次の言葉に、ライルはいやな予感がした。

 そして、その嫌な予感は的中する。

「いやぁ、実に嬉しい限りですよ。あの先輩が、しかも鎮紅さんに愛情感情を持つことがね」

「……」

 サァーっと血の気が引いていく感じがした。

 何で知っている? 誰にも打ち明けていないはずなのに……。

 ライルの頭の中は、アルドの言葉で混乱していた。

「なっ、何で知って……」

 肯定しそうになって慌てて言葉を紡いだが、アルドの耳にはちゃんと届いていた。

「やっぱりですか……。最初は偶然だと思ったんですけど、最近、鎮紅を見る先輩の目が物凄く優しいんですよね。だからと思ったら、案の定ですか」

(鎮紅を優しい目で見てる? 俺が?)

 意識した行動ではなかった。

 つまり、無意識のうちに自分は鎮紅のことを目で追っていたわけになる。

「ほーら。やっぱり、私の言った通りでしょ?」

「えっ?」

 アルドとは違う声が突然聞こえてきたので、ライルは声のしたほうへと顔を向けた。

 そこにいたのは……マリエッタだった。

「だから、言ったじゃない。ライルは絶対に鎮紅のことが好きだって」

「確かにそうですけど、やっぱり少しは確認しなきゃいけないじゃないですか」

 アルドとマリエッタがライルを挟んで会話をする。

 ライルはさっぱり状況が把握できなかった。

 マリエッタは何と言った? アルドと同じことを言ったよな?

 と、ライルの頭は一つの結論にたどり着く。

 この二人には、とっくのとうにばれていると。

 だとしたら……すでに鎮紅は……気づいている?

「鎮紅だったら、まだ気づいてないわよ? 鎮紅は、他人のことならすっごく敏感だけど、自分のことになるとどうやら鈍感みたい」

 ライルの心を読んだかのように、マリエッタは言った。

 どうやら、相当自分は感情が顔に出やすいらしい。

「はぁ……」

 色んなことが混じったため息がこぼれる。

「でも、いつもは冷静な先輩らしくないですね。そんなに動揺するなんて」

「……うるさい」

 言われずとも分かってる。

 彼女のことを考えると、いつもの自分らしくなくなることぐらい。

 冷静という名の仮面なんか、被っていられない事ぐらい。

 

「……」

 アルドたちにからかわれていたライルは、ついさっきやっとのことでその場を抜け出せた。

 ライルは特に意味もなく廊下をウロウロする。

 リタがその場にいたならば、間違いなく注意されていたであろう。

 しかし、偶然にもリタはあの後マリエッタと共に情報収集に出かけていた。

 安堵するまでには至らないが、やっぱりこういう場合は一人でいたほうが落ち着く。

 と、思ったときだった。

「あら? どうしたの、ライルくん」

 世界が止まった錯覚を感じた。

 リタに注意されることがない、と安心できたと思えば、最後はこれか。

 とどめにしては、あまりにもライルには動揺という名のダメージが大きかった。

「しっ、鎮紅か! い、いや、何でもないんだ。何でも」

「何でもないようには……見えないわよ?」

 鎮紅がそう捉えるのも、当然のことである。

 何せ自分が話しかけただけで、あの冷静なライルがここまで動揺するとは何かあったと考えるのが、普通に決まっている。

 それに、もう一つおかしいことがあった。

 気のせいかもしれないが、ライルの頬が赤く染まっているように見えるのだ。

「ライルくん、ひょっとして風邪を引いてるの? 顔、赤いわよ?」

「へっ? いっ、いや、これは風邪じゃなくて!」

 慌ててライルは訂正をした。

 だが、その言葉が墓穴を掘ることになる。

「じゃあ、何で?」

「そっ、それはだな……」

 当然、正直なことを言えるわけがない。

 こんな場で告白するのは馬鹿だ。

 ムードもくそもない、かなりの馬鹿野郎だ。

 一応、ライルはそんな馬鹿野郎ではない。

 だから、破れかぶれになろうと、誤魔化そうとした。

「そ、そう! そこの銭湯に行ってたんだよ! ちょっと疲れてな」

 指を北の方へと向けて、ライルは言った。

 確かにその方角には大きな煙突がある。

 ということは、銭湯があるということである。

「へぇ……。今度、私も行ってみようかしら……」

「お、おう! 絶対に行ったほうがいいぞ! 俺のお勧めだ!」

 勘のいい人間なら、一発で気づくような嘘だったが、何とか鎮紅を信じ込ませることができたようだった。

(……はぁ)

 言ってしまってから、小さくため息をつく。

 今思い起こせば、正直に好きだと言ってしまえばよかったかもしれない。

 少なくとも、鎮紅は自分の気持ちを素直に受け止めてくれるだろうし

「ライルくん、少し話さない?」

 鎮紅が、そう自分を誘ってくる。

(……まぁ、いいか)

「あぁ……」

 そういって、ライルは鎮紅の隣に腰を下ろす。

 鎮紅は、最近のことをライルに話しだした。

 他人が聞けばくだらないことかもしれない。

 でも、ライルにとっては楽しい時間に他ならなかった。

 

 今はこんな関係でもいい。

 やがては離れていってしまうけど、それまでに……。

 ゆっくりと、ゆっくりと、自分の気持ちを確かめて。

 そして、言えるときに……決心がついたときに言えばいい。

 何も急ぐ必要はない。

 鎮紅もいなくなるわけじゃないし、それに……この思いは確かに本当だから。

 だから、ゆっくり……ゆっくりと、進めていこう。

 最後には後悔がないように……

 

 

終了

 

 

あとがき

書いてみました。ライ鎮。これもまたマイナーです。超マイナーです。はい。

しかし、マイナーラブが私の心情なのです。って、語っても意味ありませんね。

この二人はいっつもは落ち着いているから、何かほのぼのとしてていいんですよね。

薙刃とはまた違ってね。

これは、やはりかきがいがあるというか、はい。

面白い限りです。はい。