小さくて大きな幸せ


「ありがとう。ライルくん」
 唐突にそう告げられて、思わずライルは首を傾げたくなった。
 そして、次に自分の記憶を探る。
 はてさて、やはり何かそれっぽいことをしたつもりもないし、何かしらを言った覚えもない。
「……俺、何かしたか?」
 お礼を言われてたずね返すということは失礼この上ないことだと思うが、理由がわからない以上はやはり聞かねばならない。
 そう彼女に対して、聞き返すと、彼女は首を縦に振った。
「えぇ」
「……いつのことだ?」
 再び尋ねると、今度は彼女は首を横に振った。
「いつなんて断定できないわ。私たちがライルくんと出会ってからずっとのことだもの」
「……ずっと?」
「えぇ。本当はいくらお礼を言っても足りないぐらいなんだけど……」
 そう言ってから、さらに彼女は言葉を続けた。

「ライルくんは私たちに『人を信じること』を教えてくれた。だから、ずっとお礼が言いたかったの」

 その言葉に、ふとライルは思い当たる節を見つける。
 出会ったばかりの彼等は、人を信じると言うことがほとんど出来ない状態になっていた。
 まぁ、仕方ないと言えば仕方ない。彼等の境遇がそうさせてしまったのだから。
「……別に、俺は俺なりに当たり前のことをしてきただけだと思ってるし」
「分かってるわ。ライルくんがそんなことを思っていることぐらい。それだから、私はライルくんに感謝してるの。ライルくんはいつでも自然に私たちに接してくれたから」
「そう……か?」
 そんなことに気を遣ったことなどなかったから、彼女にそう言われても、イマイチ納得することが出来ない。
 いや、気を遣っていなかったからこそ、彼女たちと自然に接していくことが出来たのかもしれないが。
「えぇ。薙刃も、迅伐も、私もそう思ってる」
「そうなのか……」
「えぇ。リタちゃんも、それがライルくんのいいところって言ってたわ」
「リタが?」
 アルドと共に、ライルにとっては幼馴染と言う関係でもある彼女。
 ある意味、ライルのことを一番といっていいほど観察してきた彼女がそう言うのだ。それは間違いないと言っても過言ではないだろう。
「リタちゃんって、ああ見えても結構ライルくんのこと気にかけてるのよ」
 そう言って、鎮紅は『あっ、リタちゃんには秘密ね』と、言葉の最後に付け足す。
 恐らくリタにとっては、あまり口外してほしくない内容であったのだろう。

「分かった……」
 鎮紅の願いに、ライルはそう言葉を返す。
「今日、言いたかったことはそれだけよ」
 そう言って、踵を返す鎮紅。
 彼女にもライルにも、それぞれ仕事と言うものは分配されている。
 ライルがパンを作る仕事だとすれば、鎮紅は客を引き寄せる、いわゆる接客係といったところだ。
 薙刃と迅伐の二人だけでは、辛いところもあるだろう。
「あぁ……。そうか。鎮紅……ありがとな」
 背中越しにライルはそう言葉を送る。
 彼女がその言葉に対してどのような反応をしたのか、その顔を窺い知ることは出来ない。
 ただ――彼女はきっと笑っている。
 ライルの勘に近いものが、そう判断していた。
「……鎮紅。最後に一ついいか?」
 背中越しにライルはそう言うと、鎮紅はその足を止めた。
「何? ライルくん」


「お前は、今、満足してるのか? この生活に」


 その言葉に深い意味があるわけではない。
 ただ――彼女の本当の思いが知りたかっただけなのかもしれない。
 そう尋ねるライルに対して、鎮紅は微笑を浮かべつつ言葉を返した。


「当然じゃない。私はこの生活を失いたくない。今までもこれからも、それはずっと一緒よ」


「……そうか」
 彼女の答えに、思わずライルの顔にも軽い笑みが浮かんだ。


 誰にも他人の気持ちなど分かるはずがない。
 自分は自分。他人は他人。そんな因果は決して断ち切れることはないのだから。
 実際、人を信じることが出来なかったのは、自分も同じこと。

 だからこそ、彼女の言葉は嬉しい。
 そんな人生を送ってきた自分が、他人の心を癒すことが出来ているのだから。

 あの時は、何故自分がこの世にいるのか分からなかった。
 でも、今なら分かる。きっと自分は、かつての自分のように悩んでいる人間を、救うためにいる存在なのだろうと。



 今日もまた始まる。

 明日という存在にもやがて近づいていく。

 当たり前が当たり前に繰り返されていく世界。

 だからこそ、人々は気付けないのかもしれない。周りにある本当の幸せというものが。

 だとすれば、自分は本当に幸せものだ。

 これほどまでにはっきりと幸せを伝えてくれる人々が、場所が、人生があることを間近で感じ取れるのだから。

終わり


あとがき
 ……懐かしくライ鎮小説なのですが……ふむ、意味不明な小説です。
 鎮紅は、恐らく日常的にライルに感謝をしていると思ってるんですよ。そういう生活を送れることに。
 そんなことを思って、この小説を書いてみたのですが……微妙ですね。申し訳ありません。
 長編メインとなってきた最近ですが、短編もがんばっていきますね。
 では、今日はこの辺りで