窓から差し込む白い光。
 外気の影響を受け、すっかり冷え込んだ部屋。
 それとは対称的な温かい布団から、ゆっくりと身体を起こす。
 そして、壁にかかったカレンダーに目をやり
「そうか。今日からなんだな」
 ライルは改めて新年の到来を実感する。
 それが指す日付は――1月1日


 そうして、いつもと変わらず、早速厨房へと足を進めたライル。
 しかし、今日は元日。
 それを理由として、店の前にはちゃんと『休業日』という看板を、昨日のうちに貼り付けておいた。
 それなら、何故、彼が厨房に向かったのかというと――

 ライルは厨房にある保存庫の中から、1つのケースを取り出す。
 そして、彼がその中から取り出したものは――お餅。
 実はこの餅、この店の常連客であるおばさんに『余ってしまうから』という理由で頂いたものだった。
 さらに加えて、彼が保存庫の中から取り出したのは、以前に仕入れておいたほうれん草。
 もちろん、料理に必要な調味料も忘れることはない。
 ――分かる人は分かるだろう。
 今、彼が作ろうとしている物。それはお雑煮だ。
「……作るか」
 ライルが日本で迎えた元日はこれで2回目となるが、もちろん昨年も彼はこの料理を作った。
 味は無論好評。自分でも初めての餅料理だったが、美味くやれたと思えたぐらいの出来だった。
 もちろん今年も美味く完成させる……という気持ちで、彼は調理を始める。
 と、そんな時――
「相変わらず早いわね。ライル」
 厨房に現れたのは、珍しくもマリエッタ。ライル以上の統率能力を持つ、このパン屋第一のまとめ役である。
 彼女が早起きなのは、もはや周知の事実だが、こんなに朝早くからこの場所に訪れることは滅多にない。
 その理由としては、すぐに自分の仕事に取り掛からないといけないためだ。
 まぁ、彼女も正月ということで休暇のようなものを貰っているのだろう。恐らく
「見たことない食材ね。何作ってるの?」
 ライルの近くに歩み寄ってきたマリエッタは、机の上に置かれた”餅”を指差す。
「お雑煮……って言っても分からないだろうな。……そうだな、日本の伝統料理の一つだと思ってくれ。それと、それは餅って言うんだ」
「へぇ……。よく知ってるわね、あんた」
「……まぁ、な」
 密かな趣味だし……と、次いでライルは呟く。
 その呟きがわずかに耳を掠めたのか
「――ん? 何か言った?」
 と、マリエッタは彼に尋ねる。
「い、いや。別に何も……」
「……そう。それならいいけど」
 というマリエッタの言葉を聞いて、ライルはホッと一安心する。
 そうして、改めて気を取り戻そうと手元の食材に手をつけようとした。
 ――が、その前に
「私もそれ、手伝うわ」
 と、彼女から声がかかる。

「……いいのか?」
 確かに手伝ってもらえるに越したことはない。
 さらに言えば、マリエッタの料理の腕はライルはもちろんのこと、薙刃たち他の面々も認めているほどのものだ。
 薙刃や(違う意味で)迅伐とは違って、安心して作業を任せられるのだが。
「いいわよ。どうせ、何もすることないから。暇なだけだし」
 その一言を聞いて、ライルはなるほど……と思う。
 そういう理由があったからこそ、彼女の足はここへと向けられたのだろう。恐らく、ここにライルがいると踏んで。
 それでは、こちらもその言葉に甘えさせてもらおう。
「……とは言っても、あんまりすることはないんだけどな。……まぁ、いいか。じゃあ、そのほうれん草を3等分に切ってくれ。俺は、その間に味付けを用意しておくから」
「はいはい、分かったわ」
 そう、ライルが言うと、マリエッタは彼の横に置かれてあったほうれん草を手に取り、まな板の前へと向かう。
 そして、傍らに置かれた包丁を手にとり、ほうれん草を――切る。――切る。
 休むことのないその動きは、さすが……というべきものだろう。
 もし、鎮紅があんな風に包丁を動かしたら、まな板の上は惨劇が広がっているか……はたまた指が数本なくなっているかもしれない。
 想像するだけで、恐ろしい光景だ。


 ……と、それから数分後。
「おお〜! おいしそうな匂い」
 と言いつつ、厨房に入ってきたのは薙刃。
 色気より食い気。花より団子な少女は、新年になっても変わることはない。
「もうすぐ出来るわよ」
 と、マリエッタ。
「あぁ、もう少し待ってろ」
 と、ライル。
 薙刃は知らないことだが、つい先ほど雑煮に入れる餅を焼いている際、餅が膨らみだした時のマリエッタの驚きようは滑稽なものだった。
 何せ、驚きのあまり、一旦火を止めてしまったほどだ。
 その後、その行動に驚いたライルに指摘され、何事もなかったかのように彼女は振舞ったが……やはり恥ずかしかったのだろう。
 ライルにはちゃんと、『誰にも言わないで』と口止めをしてあるのであった。

「――あれ? 珍しいね、マリエッタがライルと一緒にいるなんて」
 しかし、薙刃が驚いたのは別のところ。
 二人も言われてみれば、この相手と二人でいるのは特に珍しいのではないかと気付く。
「ひ、暇だったから、手伝ってあげただけよ」
 と、マリエッタは言葉を返す。
 しかし、彼女にとって幸いだったのが、ここに来たのが薙刃であったということ。
 もし、彼女ではなく鎮紅がこの場に現れていたら、ここは戦場となっていたかもしれない。
「へぇ……。そうだったんだ。言ってくれれば、あたしも手伝ったのに」
 という薙刃の言葉に、ライルは『ははは……』と言葉を漏らす。
 そうして、少し考える素振りを見せて――言う。
「じゃあ、薙刃。みんなの分のお皿を用意しておいてくれないか?」
「……あ、それって、ひょっとして仕事?」
「あぁ。そうだ」
 と、ライルが頷くと、薙刃は嬉しそうに笑顔を浮かべて
「……よし! あたし、がんばるね!」
 と、すっかり意気込んで、彼女は居間へと走っていった。
 ライルとマリエッタは彼女のその様子に笑みを浮かべながらも、料理の仕上げへと手を進める。



 所変わって、ここは居間。
 そこにはもう、ライルとマリエッタを除く顔ぶれが揃っていた。
 揃っていたのだが……若干1名だけ様子がおかしい。
 「お雑煮、お雑煮〜」と口ずさみながら、率先して皿を並べる薙刃ではなく
 部屋の片隅で、何か怪しげな素振りをしている迅伐でもなく(ある意味、怪しいが)
 「寒いわ」と繰り返し、居間に布団まで持ち出した鎮紅でもなく
 「暖かいですねぇ」と、全身に特注の分厚いコートを羽織っているアルドでもなく
 「こういう日は、かき氷に限るね」と、本気なのか冗談なのか分からないことを言っているジルベルトでもない。
 そう、際立っておかしいのは、部屋の端でブツブツと何かを呟いている――リタであった。
 もちろん、その様子に気付いていない者は、この中にはいない。が、寧ろ怪しすぎて声をかけるに掛けられない状態だった。
 そればかりか、先ほどからたびたび厨房の方へと目を向けては元に戻し、目を向けては元に戻すという奇行まで始まった。
 新年早々――何かに憑かれたか? とも思えるほど、彼女のおかしな仕草。

(ねぇ、リタちゃん。何があったのかしら?)
(さぁ……? 僕にもさっぱりです)
(あの二人のことが気になってるんじゃないかな?)
(それとはまた違う気がするわ。正確には分からないんだけど……)
 こんな風に密かに三人の間で密談が交わされていたりするのだが、それでも真相は掴めない。
 と、その時――
「鎮紅さん」
 今まで部屋の端に座っていたはずのリタが、突然と鎮紅の背後に現れる。
「な、何? リタちゃん」
 もちろん、そのことに鎮紅が驚かないはずがない。
 『いつの間に……』と、心の中で密かに思いつつも、リタに言葉を返す。
 彼女は真剣な眼差しで――こう言った。

「初夢は――正夢になるんですか?」

「――は?」
 彼女の言葉に、鎮紅は思わず間の抜けた言葉を返してしまうが、彼女の瞳に冗談の陰りは見えない。
「どう、なんですか?」
「ま、まぁ、確かにそう言われてるわねぇ……。でも、急にどうしたの? そんなこと」
「いえ、それならいいんです……」
 と言うと、彼女は再び部屋の端まで歩いていき、その場に腰を下ろした。
 そして、再び何かを呟き始める。

(――何かを夢で見たのかしら)
(――あの様子からすると、そうみたいですね。リタさんのことだから、先輩のだということは確定ですけど)
(――ライルに詰め寄られる夢とか、だったりしてね)
(――まさか。……あ、でも、ありえるわ。リタちゃんがあの様子だったら)
(それに、わざわざ聞いてくる時点で、相当な夢だったに違いないですよ)
 と、三人の密談は続く。
 その傍らの薙刃と迅伐は、そんな四人の空気を知る由もない。
 ある意味、平和な存在であった。

 それからしばらくして、ライルが居間へと雑煮が入った鍋を運んでくる。
 おお〜! と歓声を上げる日本人組と、何だそれは? とばかりに、鍋の中身を不思議がる外国組。
 そして、肝心のリタはというと……ライルが居間に来た瞬間にはいつもの冷静沈着な彼女に戻っていた。
 ただ、何故か、ライルとは顔を合わせようとしない。そして、ライルもそれに気付かず、みんなの皿に作った雑煮を盛っていく。
 新年になっても、この二人の意思疎通能力は――変わらないようである。
「お餅はよく噛まないといけないんだよ」
 と、そんな彼らをよそに、薙刃が外国組の面々にそう言い聞かせる。
「そうなの?」
「そうねぇ。よく噛まないと、喉につまることがあるから」
「……(コクリ)」
「危険な食べ物なんだね」
「うん。でも、おいしいんだよ」
 そんな会話が展開されている中、ライルは次々と机の上に皿を置いていく。
 と、その背中に、リタの声がかかった。
「――手伝う」
「あ、あぁ。助かる」
 そう言って、ライルから茶碗を受け取るリタ。
 そんな彼女に、ライルはポツリと言葉を漏らす。
「――何にも、変わらないな」
 それを聞いて、リタも小さく言葉を返す。
「何かが変わってほしかったの?」
「――いや、そういう意味じゃないけど」
 そんな彼の一言を聞いて、ふぅ……とリタは一息をつく。
「今は変わらないのが当たり前。――変わっていくのは、これから。……そうでしょ?」
「……そう、だな」
 と言って、彼の言葉は止まる。

 ――そう、変わらないのが当たり前。
 変わりたいのなら――自分の力で、変えていかなければいけない世界。

(これで一歩、前進……!)
 初夢を実現させるため、密かに努力を開始するリタであった。


終わり


あとがき
 ということで、書かせていただきました。お正月記念小説となります。
 今回は特定のCPにこだわらないというのが当初の目的だったのですが……最終的にはライリタっぽくなってしまいましたね。
 最初のうちは、久しぶりにマリエッタ中心に進めようかなとも思ったのですが、あえなく断念。
 そのうち、友達が『初夢見たかー?』という質問をしてきたため、そこから初夢ネタを持ってきました。
 ついでに私の初夢は――何だったっけな。図書館にいると、急に床に落ちていた本が空を飛び始めるという意味不明なものでした。
 ……ある意味、正夢になってほしくもある夢ですね、これは。
 ――では、今日のところは、これにて。