「……というわけだが」

 黒板に指を指しながら、生徒が理解できるよう説明を加える担当教師。

 だが、そんな声でさえ森には遠くから聞こえてくるようだった。

『決心しなきゃいけないんじゃない?』

 先ほどのクラスメイトの言葉が頭をよぎる。

(分かってるわよ……)

 分かっている。本当に、そろそろ決心しなきゃいけないことぐらい。

 でも……、怖い。

 植木に、自分の気持ちを伝えることが……。

 たった一言…。それだけだ。

 でも、もし植木が断ったらどうなる?

 付き合いづらくなるのなら、まだマシだ……。

 もしかしたら、植木との関係が無くなってしまうかもしれない……。

 そんなこと想像するだけでも怖い……。

 どうせなら、何も言わないままのほうが……いい。

(って、違う!! そんなんじゃ、いつまで経っても同じじゃない……)

 ふと浮かんだ考えに、思わず森は首を振りそうになった。

 そんなときだった。

「じゃぁ、ここの問題を……。植木、答えれるか?」

 植木は、めんどくさそうにゆっくりと立ち上がった。

 *START―あの日の約束―* そして始まる日々 第三話

 植木は立ち上がると、黒板の文字を凝視した。

 よく見れば、黒板の中央に何やら植物の細胞の絵が見える。

 そう。今は理科の時間だ。

 核、液胞、葉緑素、細胞壁、細胞膜、ミトコンドリア、ゴルジ体など、様々な細胞質が植木の頭をよぎる。

 こんな風に勉強ができるようになったのも、毎日の予習のおかげであったりする。

 そして、担当教師が指を指す部分を見れば、聞かれているのは小胞体の周りについている小さな粒のことだと分かった。

 植木は、導き出した答えを口に出す。

「リボゾーム……ですか?」

 先生は、ふむ。と頷き、続けて植木に問いかける。

「じゃあ、リボゾームの働きも言えるか?」

(働き? えっと……何だったっけ?)

 首を傾げながら、植木は記憶を探り始める。

 確かに、勉強したはずだ。リボゾームのことも知っていたし。

 植木は、とにかく自分の頭の中から必死に思い出そうとしていた。

「タンパク質の合成でしょ……」

 そんなとき、どこからともなく小さな声で誰かがそう呟いた。

 植木は、そう言われると同時に、自分の頭の中からそれを掘り出した。

「えっと、タンパク質の合成ですか?」

「正解です。」

 そう先生が言うと、植木はゆっくりと自分の席に腰掛けた。

 それにしても、先ほどの声の人物は誰だったのだろうか?

 植木は、とりあえずその人にお礼が言いたくなっていた。

(何やってんのよ……。あいつ)

 答えに詰まったのか、立ったまま動かない植木を見て、森はイライラしていた。

 植物が得意と言っても、植木にはまだ充分な記憶力が無い……。

 忘れてしまうのは仕方ないと思っても、やはり誰かが答えないとイライラしてしまうのが人間の心理というものだろう。

 だからこそ、森は小さな声で……

「タンパク質の合成でしょ……」

 と言った。

 そんな森の声が聞こえたのかどうかは知らないが、植木はすぐに答えた。

 よかった……。

 そんな気持ちが、森の心には生まれていた。

「へぇ……。中々お優しいことですねぇ? 森あいさん?」

 からかった様子で、ニヤニヤ笑いながらクラスメイトは話しかけてくる。

 だが、森はさして動揺することなく、しらばっくれるかのように答える。

「何がよ?」

「何って分かってるくせにー。今日の理科の時間に、植木くんに答え教えたの、あいちゃんでしょ?」

「うっ……」

 ……ばれている。森は直感的にそう思った。

 確かにこいつは、植木のすぐ後ろの席にいるから自分の声は聞こえるかもしれないが……、さして他の生徒たちはあの後、何も言ってこなかった。当然、植木もである。

 ばれてないのか……。と思った瞬間、これだから少し森は困った。

 仕方なくここは、沈黙を貫くことに決めた。

 だが、そんな森にちょっかいをかけるかのようにクラスメイトは続ける。

「あいちゃんって本当に植木くんには親切よねぇ。植木くんのことに限って、やけに心配性だし……」

「なっ!? そ、そんなことないわよ!!」

 思わず大声で森は反応してしまった。

 周りの視線が痛い……。

 森は恥ずかしそうに、赤く染まった顔を俯かせた。

「ふーん……」

 そのクラスメイトの声はやけに笑いが入ったような……、そんな声だった。

 恐る恐る顔を上げてみると、そのクラスメイトはニヤリと不気味な笑いを浮かべていた。

(……な、何? その笑みは……)

 森に悪寒が走る……。

 この目の前のクラスメイトが、なにやらとんでもないことを口走る気がした……。

 そして、案の定それは的中した……。

「じゃぁ、あいちゃんのナップサックに入っていた、あの2つの弁当箱は何かなぁ?」

「!?」

 森の目が見開いた。

 どうやら、よほどクラスメイトの言ったことに驚きを隠せないらしい……。

(ちゃんと見えないように隠しておいたのに……。何でばれてるの!?)

 そう。ちゃんと外からは見えないようにナップサックの中に閉まっておいたはずだ。

(ばれるはずが……。あっ!?)

 次の瞬間、森の頭にはばれた原因らしき現象が思い浮かんだ。

 確か……家を出る前にナップサックの中身を確認したはず……。

 そのとき、誤って弁当箱を見えるところまで持ち上げてしまったのか!?

 と、考えてみるが、すでにばれてしまったことだ。悔やんでも、どうしようもない。

 まぁ、そんなところをよく見ているこいつもこいつだが……

「もしかして、あの弁当は、あいちゃんが一人で食べるのかなぁ?」

「そ、そうよ! きょ、今日はやけにお腹が空いちゃって……。はは……」

 焦ったような苦笑いが、やけに空しかった……。

 どうやら森は、人に嘘をつくのが苦手らしい……。

「ふーん……。じゃあ、昼食の時間に植木くんと一緒に誰もいない屋上で、そのお弁当を二人で仲良く食べるわけじゃないのね?」

「そっ、そうよ! その通り!」

 ……完璧な図星だった。

 森の額に、ススーッと冷や汗が流れる。

「そう……」

 クラスメイトは哀れそうに、森を見つめた。

 短い沈黙が、やけに……寂しかった。

続  第四話へ

 こんな些細なことだけど、あなたと関係があるって考えるだけで……安心するの。

1