「……」
下りてくる瞼に必死に抵抗しながら、ボーっと黒板を見つめる。
『あいつは鈍感やからな……。ちゃんと言わなきゃ、伝わらんで?』
そんな佐野の言葉が甦る……。
先日、急に遊びに来たかと思えば、今度は付き合っていないと言って、やけに驚いていた。
いや、呆れていたと言った方が合っているかも知れない……。
はぁ……とため息をついていたかと思えば、そんな言葉を残してすぐに帰っていった。
まぁ、佐野も人のことが言えない……と言ったところだろう。
ヒデヨシからの情報によると、佐野も未だに鈴子との仲も進展していないらしい……。
最近集中力が無くなっていたのは、ひょっとしたら佐野の言葉のせいかもしれない。
佐野の言ったことを行うのは、とても簡単のようで……実際は、違った。
何度言おうと決心したことか……。でも、結局は言えなかった。
度胸がない……。そう思われたっていい。それも事実だ。
だが、怖いのだ……。そう、死を直面するような場面とはまた違った恐怖が襲ってくる……。
でも、早く言わなければいけないことは分かっていた……。
言わなければ終われない……。たとえこの気持ちが伝わらなくても、そうしなければ自分も諦めがつかない……。
(今日こそ……)
そんな決心をしたときだった……。
「植木。ちょっといい?」
待ち望んでいた彼女の声が耳に届いたのは……。
*START―あの日の約束―* そして始まる日々 第四話
呼ばれた方向へ首を回すと、案の定そこには森がいた。
「ん? あぁ……」
眠たそうな声で植木は返事をすると、体全体を森のほうへと向けた。
「あのさ……」
ナップサックを手に持ちながら、恥ずかしそうに視線をウロウロとさせながら、口ごもっている森。
植木も、あたりを見回してみる……。
(あぁ……。なるほどな)
眠たかったからかもしれないが、今は昼食時だった。
昼食となればクラスにはほとんどの生徒がいるわけで……。
案の定、植木たちの方へと視線を向けている生徒たちは何人かいた。
恥ずかしがり屋の森のことだ。どうせ、それが嫌なのだろう。
植木は立ち上がると、森の手を引っ張った。
「えっ? ちょ、ちょっと!」
突然のことに驚きを隠せないのか、森は大声を出す。
顔を赤めている仕草が、ちょっとかわいかったりする……。
だが、植木はそんなことを顔を出さず、冷静に言う。
「わざわざ教室じゃなくても、そんなに恥ずかしいなら廊下でもいいだろ?」
植木の言葉に、森は少し納得していないようだったが、グイグイと強引に引っ張っていく植木の行動に慌てて口を開く。
「わ、分かったわよ! だから、手離して!」
そんな声が聞こえると、植木はパッと手を離した。
(あっ……)
森の心に思わず寂しさがこみ上げる……。
何だか、植木の体温を感じてドキドキしている自分だけが馬鹿みたいだった……。
「で、何?」
廊下に出た植木は、後ろからついてきた森に聞く。
そう、森が何か言いかけていたことは分かるのだが、何を言おうとしていたのかは植木には想像も付かない。
唯一分かるのは、森がその手からナップサックを離さないということだけだ。
「あ、あのさ……」
恥ずかしそうに顔を俯かせる森。
だが、しばらくすると、決心したのか顔を上げる。
「お、お弁当、よ、よかったら、一緒に食べない?」
そして、ゴソゴソとナップサックを手で探り、一つの弁当を取り出した。
「はい?」
思わず、植木はキョトンとした表情になった。
そんな植木の反応をどう解釈したのか、森が慌てて言う。
「あっ! 嫌だったらいいの! た、ただ作りすぎちゃっただけだし……」
森は、再び恥ずかしそうに顔を俯かせた。
こんなときだけ、素直に言えない自分の意地が嫌になった……。
いくら作りすぎたからって、普通2個弁当箱に詰めれるぐらい余分に作る人間などいない。
ただ、『植木のために作ってきたんだよ』といえばいいだけの話だ……。
だが、そんなこと一生言えないことぐらい自分でも分かる。
そんな自分が出来るのは、ただ植木が素直にこの弁当箱を受け取ってくれることだけだった。
(森の弁当?)
植木は未だに状況を飲み込むことが出来なかった。
ただ分かることは、森が顔を俯かせていること。
そして、自分に向かって一つの弁当箱が差し出されていること。
これは……素直に受け取ってもいいのだろうか。
しばらくの間、二人に沈黙が走る……。
「別にいいけど……」
そんな沈黙を破ったのは、やはり植木だった。
植木は森の弁当を受け取ると、教室に戻ろうとした。
だが、慌ててその腕を森が掴む。
「?」
何故そんなことを森がするのか分からなくて、植木は不思議そうに森を見つめる。
森はというと、植木の腕にすがりついたままだった。
「あ、あのさ……屋上で食べない?」
聞こえてきたのは、森のとても小さな声だった。
「屋上? でも、屋上は立ち入り禁止だったような……」
植木は、ふと記憶を探ってみる。
そう、確か校則の中には『無断での屋上への侵入は禁止』と書いてあったはず。
「そんなことはどうでもいいのよ! で、屋上で食べよ?」
「あ、あぁ……」
ある意味、強引のように森に説得され、植木はしぶしぶ屋上へと向かった。
案の定、屋上のドアには入室禁止という紙が貼ってあったが、森は特に気にすることなくドアを開けた。
植木も悪い気はしていたが、逆らうことはできなさそうなので、森の後に着いて屋上に出る。
ヒューと気持ちのいい風が、体を通り抜ける。
だが、それも一瞬ですぐさま襲ってきたのは、直射日光という環境での地面の暑さだった。
「あちぃ……」
思わず服をパタパタと動かしながら、暑さを少しでも減らそうとする植木。
まぁ、夏の直射日光ほど地獄な暑さはないであろう。
「植木―。こっちこっち」
森の声がしたかと思うと、森は屋上にできた僅かな影の部分に腰を下ろしていた。
植木は、とにかく少しでも涼しくなるのなら……と思い、森の隣に腰を下ろす。
「「……」」
何故だかは分からないが、二人の間に何やらギクシャクとしたものが感じられた。
そのせいか、植木が森の隣に座ってから二人とも何かするわけでもなく、ただ座っていた。
「じゃ、じゃあ、食べよ! ほら。時間もないし!」
そんな空気に耐え切れなくなったのか、森が植木を促す。
植木も、あぁ。と返事して、弁当のふたを開けた。
高校になったせいか、森の弁当の中に以前のような蛸の足らしきものが見当たらなかった。
卵焼き、ほうれん草の煮浸しなどなど、色とりどりのおかずが詰め込まれてあった。
見るだけでも、食欲が引き立ちそうな弁当である。
植木はゆっくりと箸を伸ばし、卵焼きを摘まみ口に頬張る。
「……うまい」
そんな植木の言葉を聞いて、森は嬉しそうに言う。
「でしょ! でしょ! その卵焼きは特に力を入れて……。あっ……」
思わず出てきてしまいそうだった言葉に、慌てて森は口を押さえる。
幸い、植木にその言葉は届かなかったようだ。
(何で素直に喜べないんだろ……)
今頃遅いが、森に後悔の念が襲った。
「植木……。あのさ……」
「ん?」
森が突然、深刻のように話し始めたのは弁当を食べ終わってからすぐだった。
森の手には、二人分の空の弁当がある。
ご飯を食べてからだというのと、こんな場所にいるという理由のせいか、とんでもない眠気が襲ってくる。
「その……。」
口ごもりながら、森はチラチラと上目遣いで植木を伺う。
「?」
何だ? と、思って植木も森へと視線を落とす。
「……お弁当。おいしかった?」
不安そうな様子で、森は植木に聞く。
なるほど……。このことで口ごもっていたのか。と植木は納得し、それに答えた。
「あぁ。すっげぇ、うまかった」
嘘一つ感じられないような笑顔で、植木は答えた。
森は恥ずかしそうに植木から視線を逸らすが、その顔はとても嬉しそうだった。
「ほ、ホント?」
「あぁ」
そう再確認をすると、森は植木のほうを向いて嬉しそうに笑った。
気が緩んでしまえば、きっと自分の顔が真っ赤になってしまっていただろう。
何故なら、あまりの彼女の嬉しそうな微笑みに、思わず見蕩れてしまったから……。
少し落ち着いて考えてみる……。
今は昼休み……。さらに、彼女と自分以外あたりには人一人姿が見当たらない。
まぁ、屋上なのだから当然なのかもしれないが……。
植木は突拍子に思った。
今、言おう……と。
自分の思いを伝えるのに、これ以上の機会があってたまるものか……。
それに、この機会を逃してしまえば……、いつ言えるか想像もつかなくなる。
今までなら、それでも我慢できた……。だが、最近は、もう自分の気持ちを抑えきれなくなりかけていた。
彼女が……自分以外の誰かにとられてしまうのではないか。
自分の思いを伝えることすらできず、一生の未練を残してしまうのではないか。と。
植木は、真剣な表情で森を見つめる。
「な、何?」
何かを決心したような植木の表情に、思わず森は動揺する。
見つめられた瞳に、自分が吸い込まれそうだった。
植木は、これから言うことのために息をスゥーと吸い込む。
そのとき……。
キーンコーンカーンコーン
昼休み終了のチャイムが学校中に響き渡る。
チャイムが鳴ると同時に、森は慌てる。
「あっ。植木。私たち五時間目、実験室じゃなかった!? 早く行かなきゃ!」
昼休みから、五時間目までの休憩時間は5分間だ。
さらに、ここは南舎の屋上。
実験室は、北舎の2階の端っこにある。
急がなければ、間に合わない計算だ。
「あ、あぁ……」
植木はガックリと落ち込んだ様子で、それに答える。
「どうしたの?」
「いや……。何でもない」
植木の表情に思わず森は疑問を抱いたが、植木が気にするな。といったので、深くは追求しなかった。
また言えなかった……
今度は……いつ言えるんだ?
続 第五話へ
不安なんだ。お前のその笑顔を見ていると……。何だか手の届かない場所に行ってしまいそうで……。