待つのは、嫌いだ



「遅い……」



10分。いや、5分だって待っていたくない。
30分を超えるなんてもってのほか。



「はぁ……」



あの時の感情が蘇ってくる。
いつになったら現れるのか。いや、もうずっと現れてはくれないのだろうか、と。
そんなことはない、と



「遅いよ……。バカ植木」



分かっているはずなのに。
それでも、怖い。
私は、ただ待っていることが、怖いのだ


Never before in loneliness


「どうも、ありがとう。助かったよ……」
そう言って頭を下げる老婆をよそに、彼――植木耕助は大きく膨れ上がった彼女の買い物袋を玄関先にゆっくりと置いた。両腕にかかっていた重量感がフッと抜けると同時に、植木は彼女を見てニカッと笑みを浮かべる。

「これぐらい、大したことねぇって。婆ちゃんも、あまり無理すんなよ?」
「あぁ、本当にありがとう。お礼と言ってはなんだけど、お茶でも飲んでいかないかい?」
「嬉しいけどごめん、婆ちゃん。俺、これから約束事があるんだ」
「そうかい。それは残念だね……」

老婆が寂しそうに少し顔を曇らせたのを見て、植木の心に一抹の後悔がよぎった。しかし彼の心境を察したかのように、彼女はすぐさまニッコリと優しげに微笑む。それを見て、彼の中の後悔はスッと消え去っていく。

「人を待たせているんだろう? じゃあ、早く行っておいで」
「おぅ! ありがとう、婆ちゃん」
「お礼を言うのはこっちの方だよ」


植木は老婆の方に顔を向け、大きく腕を振りながらその場を後にする。そして老婆の姿が完全に見えなくなった辺りで、彼はシャツの袖をめくり、付けておいた腕時計を確認した。

「げ……。時間、もう過ぎてる」

その瞬間、彼の表情は一気に焦りの色へと変貌した。


メガサイトから1年ぶり(彼自身にとっては100年ぶりだが)に人間界に帰ってきた植木だが、悠々と落ち着く暇もなく高校受験の勉強に勤しむこととなった。とは言っても、彼は以前の戦いによって勉強の才を失ってしまったため、一人だけで勉強のペースが捗るわけもない。
そんな時、すでに高校生となっている森から「一年生の間はそんなに忙しくないだろうし、勉強ぐらいなら手伝ってあげる」と提案(強制?)され、その後の数カ月に及ぶ涙ぐましい努力の結果、森が通っている高校に合格することができた。その際、二人の間に色々なドラマがあったわけだが、それは別の話である。


「やばい……。約束の時間、過ぎちまった」
時計が示す時刻を目にして、彼は思わずそう呟いた。
彼がそう呟くのも無理はない。

植木は今日の昼過ぎから、森と一緒に公園の清掃を行う約束をしていた。
100年を過ごしてきたとしても、やはり植木は植木だった。メガサイトから帰ってきた翌日には、いつも通り、いつもの公園で掃除をして、森に「あんた100年ぶりに帰ってきて、まずやることはそれなの?」と笑われていた。
それからはしばらく受験勉強で忙しかったため、公園掃除に向かう頻度は少なくなっていたが、彼が無事に高校に合格できたこともあって、ここ最近は毎日のように一人で掃除を行っていた。そんな中、森が一緒に掃除したいと言い出したのである。

(物好きなやつだなぁ)

森の申し出に対して、彼は率直にそう思った。もちろん、手伝ってくれる人が増えて嬉しいとも感じたので断る理由もなかったのだが。

しかし、今日は色々と運が悪かった。
約束していた時間から30分前ほどには着くように家を出たが、ひったくりだとか、先ほどの重そうな荷物を持った老婆に出くわしてしまった。もちろん無視することはできたが、そんなことは彼の性格が許すはずもなく。

そんなこんなで、約束していた時刻は午後2時。時計が指し示す時刻は午後3時。
すでに1時間以上の遅刻が決定していた。
「あいつ、怒るだろうなぁ……」

止むを得ない事情とは言っても、彼の脳裏には、彼女が自分に激昂する様がすぐさま浮かび上がった。それを考えて、彼は小さくため息をつく。
「とりあえず、急ごう」
フッと息をついてから、彼は勢い良く駆け出した。

(素直に謝れば、許してくれるよな?)
彼の髪が、風に触れて揺れる。
この淡い期待が彼女に届け、と彼は願う。





目の前で消え行く彼を見て、気づいたことがあった。
彼がいない日常から、気づいたことがあった。
そして嘆いた。自分の無力さを。

植木に対する記憶が戻った瞬間、伝えたいことがたくさんあった。謝りたいこともたくさん。
だけど、それを伝えるよりも先に、植木は消えた。私には決して手の届かない世界に。


数ヶ月のうち、私は彼のいない日常を受け止めることはできなかった。

いつものように公園で掃除してるんじゃないか、と。
また困っている誰かを助けているんじゃないか、と。
自分は、夢を見てるだけではないか、と。

私は、信じたくなかった。


花々が咲き誇り、新しい出会いに胸を躍らせる季節も。
蝉の声が鳴り響き、その暑さに項垂れてしまう季節も。
作物が実を結び、多くの賑やかな行事がある季節も。
寒さに凍えながら、一年の出会いに感謝する季節も。

彼がいそうな場所を探しまわっては、ただ失望して帰宅する日々。
でも、決して泣けなかった。泣いたら、何もかもに押し潰されてしまうような、そんな気がして。
そして、いつからか気づいた。


私は、彼のことが好きだった、と


植木、と天を仰いで呟いたことは何度あったか。
悲しいほどに、空は広く、青い。
この声がもし届くのなら、この想いがもし届くなら、彼は今すぐに現れてくれるのだろうか。
この広い空のどこかから、舞い降りてきてくれるのだろうか。
「寂しいよ……植木」






「……り、森ッ!」
聞きなれた声が私を呼んでいる。それに加え、勢い良く肩を揺らされているような感覚がする。
ぼんやりとした意識の中で閉じていた瞼を開くと、そこには見慣れた緑髪の少年がいた。気のせいか、その瞳には焦燥の色が見える。
「う、え・・・き? って、あんた……!」
彼の名前を呼ぶと同時に、私の意識は一気に覚醒した。
今日は彼と一緒に掃除をする約束をしていたこと。約束の時間から30分近く経っても彼が来なかったこと。ベンチに座って考え事をしている間に、春先の日差しを浴びて、いつの間にかウトウトして眠ってしまったこと。
それらを一斉に思い出し、私は感情の赴くままに言葉を言い放った。

「約束の時間から、どれだけ遅れて」
「何の夢、見てたんだ?」
「……え?」

私の言葉を、植木の真剣な、その言葉が、その瞳が遮った。
彼の言葉で思い出したのはさっきまで見ていた夢。いや、夢と言うよりは植木がいなかった頃の記憶。しかし、今までそんな夢を見ていたなどと彼に言えるはずもなかった。

「べ、別に夢なんて何も見てないわよッ!! そんなことよりも」
「……じゃあ、何で泣いてたんだ?」
「……え?」

彼の言葉に思わずギクッとしてしまう。そんな心を読み取ってか、彼は私の両肩に手を置いて真剣な眼差しで私をジッと見つめた。
何かを見透かそうとするその眼差しに、私は視線を合わせることができなくなってしまった。

「やっぱり……。何を見たんだ?」
「なっ……。だ、誰もそんなこと言ってないでしょ!! 勝手な事言わないでよ!」
「嘘だ」
「嘘じゃないッ!」

まるで全てを見透かされているようで、私は半ばヤケクソになって言い返す。だけど、私が言葉を返せば返すほど、彼の表情は真剣味を帯びていく。
その表情を見るたびに、私の心はズキッと痛んだ。
彼の顔をほとんどまともに見ることができず、私は居た堪れなくなってその場から立ち上がろうとする。しかしその瞬間、両肩に置かれた彼の手に力が篭もり、私は立ち上がることができなかった。

「離しなさいよッ!」
「森がちゃんと言ってくれるまで、この手は離さない」
「……離せッ、この…ッ!!」

そう言って、私の肩に置かれた彼の手を叩く。
だけど、分かってる。この程度のことでは、彼は決して離してはくれない。寧ろ私が必死になればなるほど、彼は私を離そうとはしないだろう。

「何されても、絶対に離さねぇからな」
「ッ…。あんたには関係ないでしょ!!」

無理だと分かっていても、植木には話したくなかった。だけど、彼は強く言い切るのだ。

「関係ある」
「私が見た夢と、あんたに何の関係があるのよッ!」


「森を泣かせたくない」


「ッ……!?」
「これだけの理由じゃ、ダメか?」
植木の言葉に思わず絶句する。
ずるい、と思った。そんな不安気な表情で、そんな理由で言われたんじゃ、断ることなんて出来るわけがない。
フッと軽く息をついて、私は覚悟を決めてゆっくりと口を開く。

「……植木がいなかった時のこと、思い出してたの」

私が口を開き始めたためか、植木は私の両肩に置いていた手をゆっくりと離した。
恐らく私を信頼しているからこそ、彼は手を離してくれたのだろう。彼の優しさが、私の心にほんの少しの勇気をくれる。
自分の弱さを曝け出す、勇気を。

「メガサイトで植木が消える前、私、植木のことをずっと待ってるって言ったよね」
「……あぁ、覚えてる」
「だけど私は、植木がいなくなったなんて信じられなかった。あれは夢だったんじゃないか、って信じたかった」
「…………」
「ずっと植木の面影を探してた。……見つかるはずなんてない、って分かってたのに」

あの頃の想いが蘇り、目元に熱いものが込み上げてくる。だけど、泣いちゃいけない。まだ、泣いたらいけない。

「本当は待つ覚悟なんて、全然できてなかった。ずっとずっと待ってるって、言ったくせにね・・・」
「森……」
「植木が1年で帰ってきて、本当によかった。もし、もっと時間がかかってたらと思うと、私……」

そこまで言って、不意に考える。
もし植木が5年、あるいは10年以上帰って来なかったら? 生きてる間に帰って来なかったら? 私はどんな人生を送っていただろうか。
ひょっとすると寂しさで押し潰されていたかもしれない。いつまで待てばいいのだろうと、いつ訪れるか分からない未来に疲れはてていたかもしれない。
そんなことを考える時点で、私はあの発言に値するほどの覚悟をできてはいなかったのだろう。
自嘲気味にフッと軽く笑って、目の前に立つ彼を見る。

「……植木?」

植木は顔を俯かせていた。先ほどまではジッと私の顔を見ていたはずだったのに。
どうしたのだろう、と思って、私は下から彼の顔を覗き込もうとした。

「どうし……」

次の瞬間、私の顔は彼の胸に埋められた。
抱きしめられたと分かったのは、背中に感じたのは彼のたくましい腕。

「うえ、き・・・?」
「ごめん」

何に対する謝罪なのか。抱きしめていること? それとも。

「覚えててくれ、なんてワガママ言って」
「え……?」
「俺がそんなこと言わなかったら、森はそんなに悩まずに済んだかもしれない」

顔を上げれば、目の前には後悔の色を帯びた植木の表情があった。あぁ、コイツはまた……

「……あんたは、覚えててもらわなくてよかったって言うの?」
「森が辛い思いをするぐらいなら、そっちの方がいい」
「…………」

自分を犠牲にしたがる。
きっと彼は本心から後悔しているのだろう。彼の優しさは、自分も十分に分かっているから。
しかし、そんな彼を見て、ムカムカとした気持ちが胸に込み上げてくる。

「……あんたねぇ」

抱きしめられたままで上手く動かせない右手に力を込めて、私は右手のすぐ近くにあった彼の左脇腹を力一杯殴る。
突然の不意打ちに、彼は「うぐっ」と声をくぐもらせる。しかし、これだけでは収まりきらない。

「そんな淋しげな顔をして言われても、説得力がないのよッ!」

そう言って、もう一発。

「あんたが俺のこと忘れてくれ、なんて言っても絶対に忘れてやらない! 絶対、ずっと覚えててやるんだからッ!」

彼の悲しげな表情を、後悔に溢れる言葉を見たかったわけじゃない。
それに、忘れられるわけがないのだ。彼の笑顔も、守ってくれた背中も、その何もかもを。

「私は、あんたのことを忘れたい、なんて思ったことない! ずっと、ずっと会いたかった!」

あるがままの想いを吐露する。溢れ出す言葉と一緒に流れ出る涙。
泣かない、と決めていたはずなのに。

「……本当に、会いたかった。だから、そんなこと、言わないでよ……」

せめて泣き顔は彼に見えないようにと、彼の胸に顔を埋める。
今まで溜め込んでいた想いが堰を切ったかのように溢れ、涙が止まらない。

「……ごめん、森」
小さくそう言って、植木は私を抱きしめる腕に力を込める。

「ありがとう。俺のこと、覚えててくれて……」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
彼がその時、どんな表情をしていたのか、私には知る由もない。だけど、私には彼も泣いているように感じた。きっと、心の中で。
しばらくの間、私たちは何一つ言葉を交わさず、ただ抱き合って泣いていた。
ずっと癒えなかった寂しさや後悔を、洗い流すかのように。






どれぐらいの時間が経っただろう。
溢れ出した涙もようやく収まって、私は埋めていた顔を上にあげた。そこには植木のニカッと笑う、いつもの笑顔がある。
「もう、平気か?」
「うん。もう大丈夫」
「そうか」
植木は? と聞こうとしたけど、彼の笑顔を見てやめた。
彼が今まで感じていた後悔も、きっと彼の心にはもうない。そんな気がしたのだ。
もちろん、私……は? ……あれ?

私、さっき勢いに任せて何を言ったっけ……?

「森?」
私の様子が変化したことを不思議に思ったのか、彼は訝しげに私の顔を覗き込む。だけど、私は彼の行動を冷静に分析していられるほどの余裕などなくなってしまった。

「あ、あ、あ……」
背中に回された腕、近づければすぐに触れられそうな距離にある顔、そしてさっきの自分の告白。それらが全て、自分が密かに想いを抱く植木に対して行われた。
泣き疲れて冷静になった私に、今の状況はあまりにも刺激的すぎた。
自分の顔の熱が急激に上昇していくのが分かって、私は思わず彼から顔を逸らした。

「あ?」
「あ……、あ、あんたッ! 何でごく自然に、わ、私を抱きしめてるのよ!?」
「え?」

頭上に?マークが浮かんでいるかのように、彼は不思議そうな表情で私を見た。そして当たり前のことのように、彼は口を開く。

「だって、森が泣いてたから」
「わ、私が泣いてたら、抱きしめるっていうのッ!?」
「うん」
「う、うん、じゃないわよ! だ、第一、あんたはこんなことをして恥ずかしくないのッ!?」
「全然。だって俺、森のこと好きだし」

彼の口から、信じられない言葉が放たれた、気がした。
「……え?」


好き……? え? 誰が、誰に対して?
植木が、私に対して……好き?


「……さっきの言葉で、気づかなかったのか?」
「へ……?」
先ほどの彼の言葉で頭が混乱して、何のことかまったく分からない私。そんな私の様子を知ってか知らずか、彼は小さくため息をつく。

「……森は鈍感だな」
「なッ……!?」
「泣かせたくないなんて、本当に好きな奴にしか言わないと思うぞ。普通」
「…………」
あの彼に鈍感と言われたことには少し腹が立ったが、今回ばかりは認めざるを得ないかもしれない。植木のあの言葉を受けても、私は彼の優しさが生んだ発言の一つ、のようにしか捉えていなかった。
それを知って、私は少し植木に対して申し訳ない気持ちになる。

「で、森の返事は?」
「へっ!?」
唐突に、植木の口からそんな言葉が紡がれて、私の混乱はますます加速する。
再び私が顔を上に向けると、そこには真剣味を帯びた植木の顔があった。

「俺は森のことが好き。森は?」
「……え、っと」

言葉が詰まる。
まさか自分の想いを言ってほしいと言われるとは考えていなかった。ましてや、告白されるなどもってのほか。
彼に想いを告げるのは、もっともっと先のことだと思っていたのに。

(……ずるい)

あの鈍感な彼に、主導権を握られてることは悔しかった。だけどそれ以上に、私の心に違う気持ちが溢れてる。

「……
私も、好き
「え?」

彼には聞こえなかったらしい。今までの人生の中で、一番勇気を振り絞って出したっていうのに。

「だからっ! あんたのことが好きだ、って言ったの! 二度も言わせんな、バカッ!!」
「うぉッ!?」

半ばヤケクソになって声を荒らげたためか、彼は驚いたように大きく目を見開いた。自分で言っておきながら、可愛気のない告白だなと少し後悔。
だけど彼は私の言葉を聞いて、真剣な表情をフッと緩ませると、ニカッと笑みを浮かべた。
私の好きな、こいつの笑顔。いつまでも忘れることができなかった、こいつの……。

「そうか。じゃあ、一緒だな」
「そ、そうよ」
「森」
「……なによ」
「もう少し、抱きしめてていいか?」

その言葉に少し照れくささも感じたけど、それ以上に今はこの幸せを感じていたい。そう、思った。

「……うん」




別れは辛いものだけど、教えてくれることもたくさんある。
私たちはまた離れ離れになるかもしれない。だけど、せめてその時までは。……そしてまた出会えたなら。

ずっと一緒にいよう。失った時間を取り戻すために。


終わり

あとがき
始めてプラスネタで書いてみました。
最終話を読んでから、ずっと書きたいなぁと思っていたのがこのネタ。
森は強い子です。植木も強い子です。
だから、ずっと不安を抱えて、いつも笑ってる気がするんです。
そんな二人だからこそ、通じ合うものがあるんじゃないかなぁ・・・と。
森とか、植木に「泣いてもいいよ」とか言われないと、泣かないと思うんですよね。多分、ですけど。
だから、植木は1年で帰ってきてよかったなと思うんですよ!w
ホントに5〜10年近くだったら、森がヤンデレ化してたかもしれません。植木を見ても、幻覚と思っちゃうとか。
植木と森には、1年間離れ離れになった分、イチャイチャしてもらいたいですね・x・

まだまだ書き足りないことはありますが、あとがきはこれにて。