「・・・植木のやつ、遅い」

そう愚痴を漏らしながら、彼女――森あいは鞄を床に下ろして校門前に一人佇む。
彼女の口から漏れた彼――植木耕助と彼女は妙な縁で仲良くなり、今となっては一緒に帰るのが当たり前な仲。だが、二人の関係は周りがチヤホヤするような関係ではない。
少なくとも二人はお互いをそうは認識してはいない。周りを除いて、だが。

「・・・ったく、いつまで待たせるのよ」

ふぅ、と小さくため息をついてから、森は顔を上げてオレンジ色に染まった空をボーッと眺めた。
彼女がこうして彼を待っているのは、数十分前の彼の言葉からだ。



「すまん。ちょっと先に行って待っててくれ」
「え? 何か用事でもあるの?」
「おぅ。委員会の仕事が少し残ってるんだ」

帰りのSHRも終わり、帰り支度をするために森が鞄に教科書類を詰めていると、そう植木が声をかけてきた。
彼が所属しているのは美化委員会で、そのせいか森は朝や放課後に彼が校内の清掃をしているのをよく見かけていた。まぁ、掃除好きの彼にはピッタリだろうと彼女は思っていたし、植木自身も委員会の仕事にやりがいを感じていた。

「分かった。・・・で、ちゃんとすぐ終わるんでしょうね?」
「荷物を片付けるだけ、とか言ってたから、多分すぐ終わると思うぞ」
「そ。じゃあ、校門で待ってることにするわ。ただし、遅くなったら先に帰るからね?」
「おう」

それだけ伝えれば満足だ、と言わんばかりに植木はニカリと笑ってから、鞄を肩に担ぎながら足早に教室を出て行った。
森は正直、彼のその笑顔があまり得意ではない。嫌いというわけではなく、苦手という方が正しい。ただ校門で待っていると言っただけなのに、それだけで本当に嬉しそうに笑う彼の表情が。

(・・・何で、そんなに嬉しそうなのよ)

いつもは何を考えてるか分からないような(本当に何も考えていないだけかもしれないが)、ボーッとした顔をしているせいだろうか。そんな表情とのギャップに、森の心を少なからず揺らされる。

(あ、アホらし・・・!)

自分の心にわずかな芽生えた気持ちを振り払うかのように、彼女は鞄の中に一気に荷物を詰め込んでチャックを閉じた。そして慌てるように教室を後にした。





夕暮れ時の空も少しずつ日が陰りだし、辺りが暗くなり始める。彼と最後に言葉を交わしてから、すでに1時間近くが経とうとしていた。彼女の身体を抜ける風も、やんわりと冷たいものに変わりつつあった。

「帰ろうかな・・・」

遅くなったら帰る、とちゃんと伝えてあるからと自分に言い聞かせながら、森は床に置いておいた鞄の手提げ紐を掴んだ。釈然としない気持ちはあったが、彼が来ないのだからしょうがない。
明日会ったら、文句の一つでも言ってやろうと考えながら、彼女は帰路に着く一歩を踏み出そうと・・・

「・・・すまん。遅くなった」

した矢先に、目の前に現れた彼の姿。ここまで走ってきたのか、その息はさすがの陸上部の彼と言っても軽く乱れている。
そんな彼の姿を見て森は小さくホッと息をついたが、そんな気持ちよりも先に口から出るのは募りに募った不満の気持ち。

「遅いわよ! 一体、何分待ったと思ってるのよ!」
「・・・すまん」
「何で、こんなに遅くなったわけ?」
「それは、まぁ・・・色々あったんだ」
「・・・はぁ。まぁ、いいわ」

不満を漏らしたい彼女の気持ちは、目の前で申し訳なさそうにしている植木を見ているうちに少しずつ薄れていった。森とて、彼が止むを得ず遅れてしまった事情は分かっている。
気持ちを落ち着かせるために、ふぅ、とまた小さく息をついてから彼女は言葉を告げる。

「でも、このままじゃ許してあげないわよ」
「え?」
「だーかーら、1時間近くも待たされたんだから、何かしてもらわないと割りに合わないじゃない」
「何か・・・」
「そうそう。例えば、今度アイスでも・・・」

と、彼女が言葉を紡ぐよりも先に、彼が動いた。いや、正確には彼の手が

「・・・え?」

彼女の背へと動いていた。

「は・・・、ぇ・・・」
「・・・・・・」
「ちょ、ちょっと・・・ッ!? い、いきなり何してるのよ!?」
「え? だって、何かしろって言っただろ」
「た、確かに言ったけど・・・って、こういうことじゃないわよ!?」

最初のうちは呆然とした様子で彼の腕の中に収まっていた彼女であったが、数瞬後には気がついたかのように出来る限り身体を動かして彼から逃れようと暴れ始めた。しかし、彼にとってはそんな彼女の抵抗などお構いなしと言った様子で。

「森とこうしてると、落ち着く・・・」
「は、はぁ・・・!? あ、あんた、何を言って・・・」
「・・・疲れた。寝る」
「は、はぁ!? こ、こんなところで寝るな!! というか、手を離してよ!?」
「Zzz・・・」

森の言葉を聞くことなく、植木は深い眠りへと落ちていった。
彼が眠っているうちに逃れようと彼女はしばらく抵抗を続けたが、未だ彼の腕に力が込められたままであることに気づいた。やがて彼女は小さくため息をついて、彼からの抱擁を静かに受け入れる。
森にとって幸いだったのは、ほとんどの生徒がすでに帰っていてこの光景に奇異の視線を向けられることはないこと。
そして・・・。


(・・・バカ。何が、こうしてると落ち着く、よ・・・)
彼女自身の胸の高鳴りを、彼に聞かれることがなかったこと。


終わり