冷静になって今の状況を分析してみる。
 目の前の彼女――これは森だな。自分のクラスメイトだ。
 そして、自分は――植木耕助。
 自分の背中には、壁。そして、目の前には彼女の身体。
 つまり、冷静に考えれば、彼女によって壁に押し付けられている状況というわけである。
「森……?」
「あんたが……」
「……?」
「あんたが悪いのよ……」
 いきなりそんなことを言われても、訳が分からない。
 彼の心境は、まさしくそれでしかなかった。


 何故、こんなことが起こっているのか、理由がわからない。
 彼――植木耕助は大して回転しない頭で、必死に自分の中の記憶を探り始めた。
 

 朝――家から、徒歩で登校。

 授業中はたびたび居眠りをしながらも、きちんと話は聞いていた。

 昼休みは……。
(ん……? 何かあったような……)
 妙に引っかかる部分があったが、何があったのか正確に思い出すことが出来ない。
 仕方なく、このことについては後回しということにしておいた。

 そして、午後からの授業――これも、きちんと受けていたはずだ。

 で、放課後になって、今の状況に至る。

 
 やはりというか、一つ引っかかる部分があったにはあったが、心当たりというものは彼にはない。
「俺、何かしたのか?」
 そう尋ねかえす植木。真相を知るには、彼女に聞くのが一番だと思ったためだろう。
 だが、その言葉は……森の何かに火をつけたらしく
「何かしたのか……ですって?」
 凄まじい形相で、植木の顔を睨みつける森。その身体中からは、もはや殺気まで滲み出ているような気がした。
「よくあんなことをしておいて……そんなこと言えるわね」
「いや、本当に身に覚えがないぞ。俺、何をした」
「ふ、ふふ……。あんたの頭は、記憶障害でも起こしてんのかしらね?」
 極限まで高まる殺気。
 幾多の戦いを乗り越えてきた植木の身体にさえ、身の毛もよだつような寒気が襲い掛かった。
 それはまさしく――本能的な恐怖。
「これよ、これ!」
 突如、彼女は自らの首元に指を指した。
 そこには……ピンク色に染まった何かの跡。
「あっ……」
 それを見て、何かが思い出せそうな気がした……が、何故か詳細を思い出すことが出来ない。
「……どう? これでも、しらばっくれるつもり?」
「えっと、どういう経緯でそんなことが起きたんだっけ?」
「あんたがいきなり襲ってきたんでしょうが!」
 彼女の叫びと同時に、腹部に衝撃。
 あまりに不意打ちだったため、かなり痛い。
「ふ、不意打ち……」
「フッ、いい気味よ。いつまでもしらばっくれてるから……」
「ちょっと待て……。本当に、それは覚えていないんだよ」
「そんなわけないでしょうが!」
「本当だ! 何か強力な衝撃が加わったみたいに」
 ――強力な衝撃。
 その単語を聞くと、何か思い当たったのか、森は『あっ』と声を漏らした。
「……? 心当たりがあるのか?」
「う、ううん。何でもないわ」
 話を逸らすように、彼女は言葉を続けた。
「それよりも……よ。そんなことをしたんだから、それ相応の罰を受けるのは当然よね?」
「罰?」
 その単語に、彼は首を傾げた。
 記憶にはないが、彼女の首元のものを見れば、襲ったというのは紛れもない事実であろう。
 だとすれば、何かしら謝罪のようなものはしなければならないのは分かる。
 しかし、それが……罰とは。
「そうそう。あんたはちゃっかり分かりやすい場所に、あんなもの作ってくれたんだから……」

「私は、あんたよりももっと分かりやすい場所に作ってあげるわ」

「え……?」

 彼女の言葉の真意を確かめるまでもない。
 それは、すぐに訪れた。
 首筋に訪れるわずかな痛み、柔らかな感触。
 それは紛れもなく――彼女の唇であって。

「も、森……」
 さすがの植木も、彼女の行動に動揺を隠せない。
 だが、肝心の森はというと……
「うーん、まだ見えにくいわね」
 などと、唇を離して、そんなことを呟いていた。
 その言葉を聞くや否や、植木の身体に再び寒気が襲う。

 このままでは――明日、学校に行けなくなってしまうのではないかと。

「よし。じゃあ、今度はここで」
「お、おい! やめ……」
 彼女の跡付けの儀式は、数時間にも及んだ。


 結論から言おう……。

 植木は、次の日、学校を休んだ。

 植木の姉、翔子の証言によると、その日の植木は

『そうねぇ。耕ちゃんの身体のいたるところが赤くなってたわ。タコと遊んででもいたのかなぁ?』

 だったそうである。


終われ