夏休みの最後の日。

ドタバタと課題に追われている者以外なら、せめて最後くらい優雅に1日を過ごしたいと思うであろう日。

長かった休みが終わってしまうのは少々惜しいが、大量の課題を済ませ、これまでとは違った1日を過ごせるかと思うと誰もが心躍らせるだろう。

その1日が大好きな人と過ごせるのならば、なお一層格別。



*   *   *   *   *   *   *   *   

「…なんで、こうなっているのかしら…」

森の現実逃避の声は、誰にも届くことなく目の前の冊子の山に吸い込まれていく。

目の前に山と積まれた冊子は、紛れも無く夏休みの課題だ。

しかし、それは森のものではない。

この冊子の本当の持ち主は、今現在、冊子の山の向こうでペンを握りながら、悲鳴とも唸り声ともつかない声を上げ続けている少年――植木耕介だ。

何故、森が他人の宿題を目の前にして現実逃避しなければならないのか?

その理由は、今朝携帯にかかってきた1本の電話だった。

曰く、「課題終わらせるの手伝ってくれ」と。

前日にようやく、自分の分の課題を終えたばかりで、もうしばらくは視界の隅にも入れたくないと思っていたのに、まさか翌日に再び、至近距離で直視することになろうとは。

「うーえーきー。分かんないのなら解答集写しなよぉ」

「いや、もう少しで解けそうなんだ…」

さっきから、同じような会話を繰り返している。

甘さの欠片など微塵も無い、会話。

少しだけ 寂しくなった。


勉強の才を無くして、理解するのに人一倍時間がかかるようになった植木は、それでも諦めずに努力している。

それは、誰の目から見ても凄いことだと思う。

この課題だって、植木は初日から努力しながら終わらせようと頑張ってきたんだと思う。

だけど、努力しても終わらなかったんだと思うと、その努力さえ無駄だったんじゃないかと思ってしまう。

ページをめくりながら森は物思いに耽る。

なんで、植木は楽な道を進まないのだろう?

この課題だって、解答集を写せばすぐに終わるのに。

学校だって、休んでしまえばクラスの女子にいじめられることなく、毎日を平和に過ごせる。


これが、彼の正義なのだろうか?

ポトリと、ノートに雫が落ち、ペンのインクを滲ませる。

「…り。おい!森!」

不意に植木の声で、現実に引き戻された。顔を上げると植木が心配そうな表情で顔を覗き込んでいた。

「何、泣いてるんだ…?」

思いかけない言葉にハッとして、目の下に指を当てるとたしかに濡れていた。

「あ、もしかして今日1日つぶしてしまった事か?…本当に悪かった!…」

一向に言葉を発しない森の代わりに、植木はそう続けた。

「…違うの。ちょっと悲しくなちゃって…。ごめんね。心配かけて」

さっきまで思っていたことを全てしまいこみ、森はそう言った。微かに涙の痕が残る顔を無理矢理笑顔にする。

「さっ、がんばろ。まだまだたくさんあるぞっ!」

「…おう」

まだまだ疑いの残る表情で植木は頷いた。


だけど、その後植木は予想だにしない行動に出た。

音を立てないように森の背後に近づくと、後ろからそっと森を抱きしめた。

森がその事に気づき、振り返ろうとした時には既に植木の腕の中に収まっていた。

「ちょっ…植木!こんなことしてる場合じゃないでしょ!?離して!」

緊張で裏返りそうな声で必死にそう訴えても腕の力は緩むどころか強まっていった。

「…ごめん。心配かけて」

「…植木?」

先ほどとは違う様子に驚いて、森はさっきとは別の意味で緊張した。…まさか気づかれたの?

「…聞こえたんだ。森が泣いてるのに気づく前。″これが正義なの?"って。
…始めは意味分かんなかったけど、さっきの″解答集写しなよ″って言葉思い出して。ピンときた」

顔が赤くなった。声に出てたなんて…!!

「学校に行くのは学校が好きだから。勉強するのはちゃんと理解したいからで、正義とは…あんま関係無いんだ」

耳元で空気が動く。植木が微かに笑ったのが分かった。

「ありがとな。心配してくれて」

最初とは違う言葉を残して、植木が離れていった。

徐々に背中に感じていた体温が失われていく。


その後のことは、よく覚えていない。

再び泣き出してしまって、宿題の手伝いどころではなくなったこと。

再び泣き出した私の扱いに困り果てていた植木の顔。

なんとか終わらせた宿題は濡れてしまって、ハンガーに掛けられていたこと。

全部、おぼろげにしか覚えていない。

ただ一つ覚えていたのは、

抱きしめられた時の鼓動と体温だった。



=あとがきと言う名の言い訳=

おひさしぶりでございます、晴鈴です。皆様とのお約束(?)
を違えぬために、お恥ずかしながら植森小説を投稿させていた
だきました。実は、一発目に書いていたものは少々ギャグ風味
だったのですが、弟(晴鈴の双子の弟です)の奇襲の際に何か
の不備でキレイさっぱり内容が消えてしまい、投稿することが
できませんでした(泣)
思い出しながらこれを書いたのですが、記憶中枢がストライキ
を起こし、別物になってしまいました。
タイトルと内容が合っていないのはどうか、見逃してくださいませ。
次回もよろしくお願いします。