8月17日・当日
―――午前8時24分…。
洋式住宅に囲まれた住宅街で一際浮いている古き貫禄がある総合武術神剣道場の硝子引き違い戸がガンガンと振動を伝える。
「………………………。」
家の家主が鬱陶しそうな目つきで扉の向こうの存在を睨みつける。
濃紺の浴衣は決して大柄ではない彼の体格になぜかしっくりとする。漆黒の短髪は少しボサボサとしていて、未だコンタクトを入れていない目は常以上に鋭さを帯び、いつも以上に細い。一回睨めばその辺のヤンキーが道を簡単に通してくれるほどの眼力があった。
扉の向こうに立つ少女・湯木邑鼎(ゆきむらかなえ)は滅茶苦茶な形相で睨んでいる少年・神剣析羅(かばやさくら)の凄まじい眼力を笑顔で撥ね退けている。
「何の用だ貴様は…こっちは折角の休みを無駄にしたくないんだ、即刻消え失せろ。」
あからさまな罵詈雑言も彼女の耳には入っていない。
「さぁさぁ、行くわよさくらん。」
「は?」
湯木邑は睨み罵る析羅を無視して彼の腕を引いていった。
間抜けな声を上げて析羅は引っ張られる。
無理矢理漆黒のリムジンに乗せられ、扉を閉められ、走行した。
リムジン内で彼の悲痛な叫びが聞こえたのは言うまでも無い。
霞む意識の中でしばらく車は走り、目的地に着いたのか動きは止まった。
扉は開き、視線の先にはビルがあった。
コンタクトを着用していない状態で来たゆえに、いつも以上に目を細めてピントを合わせてビルの正体を考える。
桜花テレビ
地元から一番近いテレビ局だった。
「さ、早く早く」
嬉しそうな声を上げて湯木邑は析羅の背中を押した。
事態を飲み込めないまま、析羅は押されたままでテレビ局内に入る事になる。
財閥の実力なのか。彼女は容易くパスを貰ってくると、しばらく長い廊下を歩いて行った。
ある場所に行き着くと「どうぞー」と扉を開けて入室を促す。
其処はスタジオだった。
出演するメンバーから考慮するとお笑いの類だろうか、多くが芸人である。
芸人の名前が書かれたボールが勢いよく飛び出し、壁に跳ね返り、勢いを弱める事無くそれは湯木邑の顔面にクリーンヒットした。テンテンと小さくバウンドするボールを析羅は拾い上げ、MCに向かってなるだけ手加減して投げ返す。
芸人の名前が呼ばれ、再びボールが飛び、湯木邑の鳩尾に直撃した。遂にそれで彼女は昇天し、スタッフの人に運ばれた。
再びボールをMCに投げ返し、芸人の名前が呼ばれた。どうやら二人以上のお笑い芸人をシャッフルしてコラボでもやるらしい。
周囲のスタッフを横目に見て、一人析羅は遠目でお笑い芸人のコントを楽しんでいた。
「災難でしたね鼎様」
執事を務める男は淡々と湯木邑に言う。当の本人は顔と腹を押さえながらよろよろと歩いている。傍から見れば滑稽この上ない動きだ。
「ご…誤算だったわ、まさかボール飛ばして――しかも受け取る人いないし――出す芸人決めるなんて思ってもいなかったわ。」
「今回はそういう企画なんでしょう」
冷静に執事は回答した。
「このテレビ局は飽くまで地元ですし、彼も帰り道ぐらい判るでしょうから 帰りましょう鼎様」
「う―――…」
長く続く廊下の中央を陣取って二人は帰路についた。
終わりかと思われる