伊波玲奈は体操部で汗を流す。
 玲奈が所属しているのは、体操部であるが、女子の多い新体操ではない。
 理由は単に
「自分に向いていないから」
 の一つだった。
 正直に言えば、それを望んでいる男子生徒が何人もいる…といえば、事実だろうが、本人からしてみればそんなこと関係ない。
 例えば、この体操部。
 これは、ただ単に身体の柔軟性とか、反発力とか、瞬発力を付けたいとかで入っただけだ。
 空手、柔道、弓道、合気道…などなど、武道に関わることをほとんど極めた玲奈にとっては、「普通の女子がやるようなスポーツはやりたくない」という言い分があるのだろう。
「よし。今日は部活はここまでにしておくか」
 体操部の顧問の声が、体育館に響く。
 それと同時に、体操部の輩は個人個人に部活を打ち切り、体育館から去っていく。
 体操、というものは、団体種目もあるが、メインは個人だ。団体にしても、個人がどれだけがんばったかによって勝敗が決まる。だから、一緒に残ってやっていくというのは、あまりないことだった。
「私も帰ろ…」
 玲奈はもう、高校三年生。
 次の大会が終われば、この体操部ともお別れだった。
 と…
「伊波」
 自分を呼ぶ顧問の声が、玲奈の耳に届いた。
 とっさに自分の犯した失敗を振り返ってみるが、最近はこれといって見当たらない。
 疑問に思いつつ、玲奈は顧問の下へ向かう。
「何ですか? 先生」
「…最近、ここらへんで不審者が多いらしい。もし、そいつと出会ったら、捕まえてくれ。最近、他の生徒の保護者が気にしてるみたいだからな」
 ”捕まえてくれ”。…先生は、決して間違えたわけではない。
 もはや、お馴染みのことだった。
 玲奈は美人…だとは本人は思っていないが、男子生徒の中では後輩、同級生ともに、人気が高い。
 だが、玲奈は、武道の達人だ。
 そして、玲奈を狙って不審者が向かってくる…。
 これは心配すべきことなのだが、玲奈に限ってそれは必要ない。
 以前も、不審者を逆に病院送りにさせたことがあるほど、玲奈は強いからだった。
「…分かりました。それでは」
 慣れたことなので、玲奈は特に気にする様子もなく、その場を去った。

 と、その帰り道。
「…ふぅ」
 一日の疲れをため息で吐く。
 玲奈の登校手段は徒歩だ。
 理由の一つに家が近い、というものがあるからだったが。
「…ん?」
 と、玲奈の視線の脇に何やら人影が写った。
 何もないのなら、そのまま無視しようと思ったが、その人影は自分を見つけたのかどうなのか、分からないが
「あ、あの…」
 と声をかけてきた。
(不審者ね…)
 玲奈は有無を言わさず判断し、その人影の腹に、ドゴッとローキックを叩き込む。
「ゴフッ!?」
 人影は悶絶しながら、うずくまった。
 玲奈は実はスカートを履いているだとか、そういうことはまったく関係なかった。
 見事な蹴りだった。本気だったら、アバラが折れるほどの。
 玲奈は人影の前に立って言う。
「…さぁ。不審者さん。おとなしく交番まで行きましょうか?」
 拒絶をすれば、もう一度叩き込むつもりで玲奈は言った。
 だが、そのとき、玲奈は気付いた。
「う〜ん……」
 泡をブクブクと口から出しながら、気絶している人影の風貌がはっきりと見える。
「え?」
 思わず玲奈は声を上げる。
 その姿は、まだ幼い少年だった。
 いや、背丈は自分よりも大きい。
 だが、顔はまったくの童顔。まだ、幼さを残した顔つきだった。
 とりあえず、辺りを見回してみる。
 誰の姿もない。
「…はぁ」 
 思わずため息をつく。
 …早とちりのあまり、こんな子供を蹴ってしまうとは…。
 不審者だと思ってしまった自分が、あまりにも愚かに思えた。
「…この人、どうしよう」
 と、口に出してみたが、肝心の本人は泡を吐き出しながら気絶している。
 …辺りには誰もいない。
 悩んだあげく、玲奈は自分の家に少年を連れて行くことにした。
 家には親がいなかったが、特に気にはしなかった。

「…はっ!」
 しばらくして、少年が目を覚ます。
「お目覚め?」
 自分の椅子に座りながら、玲奈は少年に尋ねた。
「あなたは…。…っていうか、ここ、どこですか?」
 少年はキョロキョロと部屋を見回している。
 玲奈は少しばかり恥ずかしくなったが、顔には出さない。
「私の家」
 というと、同時に少年が余計にキョロキョロと辺りを見回す。
「…へぇ」
 そんなに見回されると困る…。
 父親にすら、あまり自分の部屋を見せたことがない玲奈は、どこか恥ずかしくなる。
「…それよりも、あなたは誰?」
 玲奈の問いに、少年はうーんとしばらく考え込んでいたが、ポンッと手を打った。
「正直に言います。僕は、神候補の一人。芥川と言います」
「は?」


「…なるほど。神を決める戦い…ね」
「はい」
「…それで、あなたは私の担当神候補」
「はい」
「…それで、私がその戦いで優勝すれば、私は空白の才を、あなたは、神になれる」
「はい」

 頭がくらくらする。
 …ひょっとして、連れてくるべきではなかったのではないだろうか?
 後悔が次々と襲い掛かってくる。
「…最初は不安だったんですけど、さっきのあの蹴り。十分に、いや、かなりの高レベルで戦うことが出来ますよ!」
 嬉しそうに芥川は言う。
 そんなに嬉しそうに言われても、困る。
「…悪いけど、その話はお断…」
「あの蹴りは凄かったですね! どこかで習ってたんですか?」
「え、えぇ。まぁ、少しの間だけど…。って、そんなことはどうでも…」
「試合とかは出てるんですか?」
「いや、出てない…けど」
「なんでですか!? 絶対に玲奈さんだったら、優勝できますよ!」
 …あぁ。何だか…断るって言う話が…遠ざかっていくような…。

「それで、この戦いに参加してくれますか?」
 笑顔で芥川は言う。
「…もう、なんでもいいから」
 ゲッソリした様子で、玲奈は答える。
 あれから、何十分と褒め殺しをされてしまった玲奈は断る…ということが出来なくなってしまっていた。
 意外と…この芥川という少年は策士なんじゃないだろうか?
 と、今更ながら思う。
「それじゃあ、能力を選ぶんですけど…どれがいいですか?」
「能力? 例えば、どんなのがあるの?」
 玲奈は尋ねる。
 能力がどんなものなのか…ということは嫌というほど聞いていた。
「そうですね。…これなんかどうでしょう? 『物体間の距離を10倍または1/10倍に変える能力』」
「どんなのなの?」
 いきなり言われても、理解することは出来ない。
 芥川は、笑顔で言った。
「そうですね…例えば…」
 と、同時に玲奈の視界が急激に変更する。
 気付けば…先ほどよりも芥川の顔がすぐ近くに見えるような…。
「…こうやって、敵を一瞬で近づけたり出来たりするんです。」
 笑顔で芥川は言う。
 …分かった。この能力がどんなものなのか…よーく分かった。
 だが…急にこんなことをされた…というと、玲奈はどうしても我慢できなかった。
 パンッ!
 …挙句の果てには、ビンタだった。

「…いいビンタでした」
「…反省は?」
「…ごめんなさい」
「…よろしい」 
 笑顔で玲奈は言う。
 うん。これは罰だ。仕方ない…。
 コホンと芥川は一度場を整えるようにして、小さく咳き込んだ。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
 芥川は玲奈に手を差し出す。
 握手を求めている…と分かった。
 玲奈も、自分の右手を出す。
「こちらこそ…」
 そう、ここから玲奈の戦いが始まったのだった