「おはよう」
 こうして、今日も始まりを告げる。

 日常――それは、変わらない


「おっす、姉貴。今日はやけに遅かったな」
 居間にある椅子に腰掛けながら、制服姿で一斤の食パンを口に頬張る男性の姿が一人。
 その人物は、紛れもなく一つだけ年齢の離れた彼女の弟の姿である。
「あはは……。ちょっと、目覚ましがね……」
 苦笑いを浮かべながら、彼女も向かい合うようにして、椅子に腰を下ろす。
 彼女の椅子の前には、彼が頬張っているものと同じ形の食パンが一つ。この様子だと、どうやら彼が用意してくれたものらしい。
 心の中で、弟に対して感謝を述べながら、彼女はパンを少しずつ口に含む。
「……その言い訳は、昨日も聞いた」
 やれやれ……と呆れた様子で、彼は姉へと視線を向けた。
「まったく……。俺の姉貴とは思えねぇな」
「うぅ……。……ごめん」
 彼の言葉に、何一つ言い返すことが出来るわけもなく、代わりに彼女は申し訳なさそうに顔を俯かせた。
 朝が強い人間と、朝が弱い人間というものがいるということは、弟である彼も理解しているので、彼女の朝の弱さも仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「それに目覚ましだって、姉貴の部屋には6個ぐらいあるはずだろ? それで、何で起きられないんだよ」
「……起きられないものは、しょうがないよ」
「そりゃ、そうだけどさ。6個の目覚ましが同時に鳴るんだぜ。俺だったら、想像するだけでも頭痛がするね」
「だって、聞こえないんだもん」
「……信じられねぇな。姉貴の熟睡ぶりには」
 ますます呆れた様子で、彼女に視線を送る弟。それもそのはずだ。
 彼女の部屋とはいくつか部屋は離れているというのに、その目覚ましの音は彼の部屋までかなり大きめに響く。
 彼が毎朝早く起きられるのは、無論、自分が朝に強いからという理由もあるが、彼女の部屋の目覚ましというものも、その理由に含まれているのだ。
「……ごめん」
 相変わらず、彼女は謝りつづける。
 しかし、やはりというか、何と言うか、自分の姉である人物に謝られつづけるというのは、さすがに彼としてはいい気分にはならない。
「そんなに謝るなよ、姉貴。これじゃ、どっちが悪いか分かんなくなるだろ……」
 頭をポリポリと掻きながら、彼はそう呟く。
「そ、そうだね。ご……」
「だから、謝ろうとするなって」
「……うん」
 はぁ……と、彼は心の中でため息をつく。恐らく、彼女の前でため息をついてしまえば、彼女は再び謝ってしまうだろう。それ故だ。
「まったく、姉貴はさ、俺よりもずっと色々なことが出来るんだから。俺だって、姉貴のこと、これでも尊敬してるんだぜ?」
「え? そうなの?」
「そうだよ……。だから、憧れの存在にそんなに謝ってもらうって言うのは、俺としてもいい気分にならないわけ。分かったか?」
 彼がそう尋ねると、彼女は嬉しそうな表情を浮かべながらも、小さく頷いた。
「うん……」
「まったく……変な話しちまったな。って、そういえば、そろそろ時間じゃねぇか?」
「って、あっ……!?」
 そう言われて、時計に目をやった彼女が見た現実は、あまりにも厳しく……登校時間まで後30分を切っていた。
 ついでに言えば、彼女の家から学校までは自転車で約20分ほどかかる。それも、信号が順調ならばの話だ。
「は、早く言ってよ!」
「遅く起きてくる姉貴が悪いんだろ」
 一気に食パンを口に押し込み、部屋から持ってきていた鞄を肩に担ぎ、玄関へと急ぐ。
 そんな様子を、相変わらず弟は呆れた様子で見つめていた。もう、彼にとっては見慣れた光景である。
「車には気をつけろよ。姉貴」
 姉の後を追って、弟である彼も玄関にたどり着き、そう声をかける。彼女はちょうど靴を履いているところである。
「じゃあ、行ってきまーす!」
 トントンと、踵を叩き、靴を綺麗に履いた彼女は、そう言ってドアを開けた。
「おう。行って来い」
 彼の声が、背中越しに聞こえた。

 そう、これが――私たちの日常。

終了