結局その日は眠ることなど出来なかった。
結構な量の酒を飲んでいたというのに、丑三つ時を過ぎてもまるで眠くならず冷たい夜気が火照った頬に心地よかった。
傍らで眠っている緋真の規則正しい寝息が、今の咲弥にとっては時報せの鐘と同じ役目を果たしていた。

『昼過ぎ鳥居の下で待つ』

長い近況報告と障りのない文章の後に綴られた、たった一言。
康信にとっての手紙はおそらく、年賀状だろう。そうでなければ初春の挨拶を間違っても立夏の近い今に使うはずがない。
カチカチの言葉遣いで数枚に亘って綴られた長い長い文章。決して筆まめとはいえない彼が料紙と筆を前にして思案に暮れる姿が目に浮かぶようだ。
最後に逢ったのは、七年前。
まだ咲弥が見習いとしてお座敷に上がっていた頃だった。隊商である父の後を継がずお医者になるといった康信は、その日から毎日親父さんと喧嘩をして、擦り傷やらたんこぶを拵えては咲弥の室にやってきた。まだ見習いであまり仕事の無かった咲弥は、同い年で幼馴染の好もあり其の度に傷の手当てをしてやりながら彼の話に耳を傾けていた。
最終的に親父さんは康信のあまりの熱心さに根負けして、けれども父の威厳というものを守り抜くため“勘当”という形を取って康信に夢を叶えろと言った。
見送りは咲弥ただ一人だった。
靄のたちこめる中、薄っすらと涙の溜まった瞳を真っ直ぐに咲弥に向けて彼は言った。
『俺は、一人前のお医者に成るまで、戻らないからな!―――』
最後まで泣かなかったのはいかにも強情な彼らしいと、思った。
あれから、七年。
どのようなお医者になったのだろう?
どのような青年になったのだろう?
七年という短くて長い時を、康信はどのように過ごしたのだろうか?

夜が、明けようとしていた。