雪が、降る。
儚く消える、春の雪が。

◇ ◇ ◇

人里よりさほど離れていない場所に、一つの古びた庵(いおり)があった。
ほんの数月ほど前まで無人だったのだが、今は一人の尼御前(あまごぜ)と幼女が住んでいる。おそらくは母子であろう。
尼僧はその身分がもったいないほど若く、美しい。そして優しさも兼ね備えたまさに御仏の使いであった。
見捨てられたにも等しいこの里にわざわざやって来たのだ。公には決して出来ぬ理由があるのだろうと村人達は噂していた。
       
その日は雪が降った。
気候はもうまもなく春。春の雪というのは山奥では決して珍しいことではなかったが、まだこの地に慣れていない尼僧はとても驚いた。
「まぁ・・・・」
これは由々しきこと。奈津にでも命じて琴にあと一、二枚ほど着せてやらねば。
「奈津!奈津!!いるなら――あ・・・・」
忘れていた。ここはもう城ではないのだ。ここは山奥の庵。村人さえたまにしかやってこない。庵にいるのは私と琴の二人だけ。
「たたさま(母様)?たたさま??」
吾が姫の声がする。トテトテという可愛らしい足音。
「何でもないのよ、琴。ごめんなさいね、驚いたでしょう?」
「たたさま、ててさま(父様)どこ?」
幼子の問いかけに思わずドキリとする。きっとそれは、これからずっと続いていくものだろう。
尼僧はただ抱きしめることしか出来なかった。

もともと尼僧はある大名の家臣を務める者の正室だった。十七で嫁ぎ、まもなくして姫を授かった。それがこの琴だ。家同士の取り決めごと、政略ではあったが彼女は夫を心から慕い、愛していたし、夫もまた同様に彼女を愛し、娘をとても可愛がった。
時は戦国の世。そんな時勢であったからこそ、親子三人での日々が宝玉のように感じられたし、いつまでも続いて欲しいと願っていた。が、別れは突然訪れた。
突然の主の死をきっかけに跡継ぎの問題が勃発。城内は二極化した。夫は対抗勢力の手の者に掛かり、鬼籍の人となった。その後対抗勢力の推した人物が後を継ぎ、"主に歯向かった者"として家は潰された